モンスター・リッパー – Wikipedia

モンスター・リッパー
Bertha Faye in 1995.jpg

Bertha Faye in 1995

プロフィール
リングネーム モンスター・リッパー(全日本女子プロレス)
ラ・モンステル(LLI)
バーサ・フェイ(WWF)
ロンダ・シン(WCW)
ナイトロ・ガール・ビーフ(WCW)
本名 Rhonda Sing
ニックネーム 120キロの怪物
身長 170cm
体重 115kg
誕生日 1961年2月21日
死亡日 (2001-07-27) 2001年7月27日(40歳没)
出身地 カナダの旗 カナダ
アルバータ州カルガリー
トレーナー ミルドレッド・バーク
デビュー 1979年1月4日
引退 2000年
テンプレートを表示

モンスター・リッパーMonster Ripper、1961年2月21日 – 2001年7月27日)は、カナダ・アルバータ州カルガリー出身の女子プロレスラー。本名:ロンダ・シンRhonda Sing)。

少女時代から地元カルガリーのスタンピード・レスリング(スチュ・ハート主宰)の大ファンであり、プロレスラーを目指しロサンゼルスにあるミルドレッド・バークが経営する養成所でトレーニングを積む[1]

その後、全日本女子プロレスにスカウトされ、来日。松永高司会長により「モンスター・リッパー」のリングネームを名づけられ、1979年1月4日、マミ熊野とのタッグで対ジャッキー佐藤・マキ上田(ビューティ・ペア)戦でデビュー。佐藤からフォールを奪い勝利で飾る。同年7月31日、佐藤が持っていたWWWA世界シングル王座に挑戦し奪取。そのパワフルなファイトスタイルから、日本の専門誌では「女ハンセン」などと形容されたこともある[2]

それ以降は100kgを超える巨体を武器にメキシコのLLIを主戦場とし、日本、カナダ、米国、欧州を転戦していた。

1980年代に全女ではデビル雅美、ジャガー横田、ジャンボ堀、ミミ萩原などと抗争を繰り広げ、1987年には初代IWA世界女子王座に君臨。多くのタイトルを獲得していった。日本ではジャパン女子プロレスに参戦していた時期もあったが、1991年に全女に戻りブル中野、アジャコングと抗争を展開した。

1995年、WWFと契約。バーサ・フェイBertha Faye)のリングネームでコミカルなヒールに変身し、アランドラ・ブレイズからWWF女子王座を奪取した。WWFではマネージャーのハービー・ウィップルマンとの恋愛アングルも組まれた[3]

1999年からは本名のロンダ・シン名義でWCWに移籍。ナイトロ・ガール・ビーフNitro Girl Beef)を名乗り、ナイトロ・ガールズのダンスに闖入したこともあったが、短期間で姿を消した[4]

2000年、WCW退団とともに引退。日本で引退試合を望んでいたものの、2001年7月27日、40歳で死去[1]。死因は今もなお謎のままである。

2003年、カリフラワー・アレイ・クラブ(北米のプロレス・プロボクシング殿堂)の顕彰を受けた。また、日本でも全女が設置した女子プロレス殿堂に外国人で唯一殿堂入りを果たしている。

獲得タイトル[編集]

  • WWWA世界シングル王座
  • IWA世界女子王座
  • WWA女子王座
  • WWWWA世界シングル王座
  • WWC女子王座
  • WWF女子王座
  1. ^ a b Rhonda needs no help”. SLAM! Wrestling. 2010年10月18日閲覧。
  2. ^ 『デラックス・プロレス』1982年5月号P65「モンスター・リッパーの言いたい放題」(文:ロッシー小川)(1982年、ベースボール・マガジン社)
  3. ^ Harvey’s whipped”. WWE.com. 2010年10月18日閲覧。
  4. ^ WCW Monday Nitro – December 13th, 1999”. DDT Digest. 2010年10月18日閲覧。

外部リンク[編集]