増田眞一 – Wikipedia

増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1923年 – 2000年6月3日)は、日本の実業家、政治活動家(政事公団太平会同人)。

京都府舞鶴市出身。同志社大学法学部在学中に学徒出陣で応召。熊谷陸軍飛行学校特操2期生を経て、知覧特攻基地神鷲隊に配属される。1945年8月10日、ウィリアム・ハルゼー率いる米海軍機動部隊に向け出撃したが、天候不良と搭乗機の不調で突入に失敗、帰投。そのまま終戦を迎えた。

戦後復学して同大学院で田村徳治教授の薫陶を受け、皇国史観を保持しつつ労農運動に目覚める。その後地元で旅館、青年の家、マリーナ等経営の傍ら反基地闘争・反公害運動を行い、政治団体『政事公団太平会』を組織。1970年代より京都市長選挙を始め、各種国政選挙に頻繁に立候補し始めた。

選挙公報は手書きの小文字で判読し難いほどに埋め尽くされ、政見放送に於いては白髭を蓄えた風貌に飛行服姿で「天皇陛下は神様です」と唱えて合掌しながら、特攻隊の経験を語り、再軍備反対・反戦・平和・理想選挙・遷都・天皇親政の実現などを訴えたが、立候補したすべての選挙で下位落選し、供託金を没収された。

2000年6月3日、中央自動車道で運転していたライトバンがトラックに衝突し死亡[1]

  • 1971年 京都市長選挙 政事公団太平会公認 594票(5人中5位) 得票率0.10% 落選 供託金没収
  • 1974年 京都府知事選挙 無所属 1,434票(6人中5位) 得票率0.14% 落選 供託金没収
  • 1975年 京都市長選挙 政事公団太平会公認 7,877票(3人中2位) 得票率4.00% 落選 供託金没収
  • 1976年 第34回衆議院議員総選挙 旧京都府第2区 政事公団太平会公認 2,189票(7人中7位) 得票率0.31% 落選 供託金没収
  • 1983年 第37回衆議院議員総選挙 旧東京都第8区 政事公団太平会公認 179票(6人中6位) 得票率0.08% 落選 供託金没収
  • 1989年 第15回参議院議員通常選挙 比例代表区 政事公団太平会 15,872票(38団体中36位) 得票率0.03% 全員落選 供託金没収
  • 1991年 東京都知事選挙 政事公団太平会公認 740票(16人中15位) 得票率0.02% 落選 供託金没収
  • 1992年 第16回参議院議員通常選挙 比例代表区 政事公団太平会 11,757票(50団体中48位) 得票率0.03% 全員落選 供託金没収
  • 1996年 第41回衆議院議員総選挙 愛知県第6区 政事公団太平会公認 450票(8人中8位) 得票率0.01% 落選 供託金没収
  • 1998年 第18回参議院議員通常選挙 愛知県選挙区 政事公団太平会公認 3,385票(16人中16位) 得票率0.12% 落選 供託金没収
  • 1998年 舞鶴市議会議員選挙 政事公団太平会公認 169票(37人中37位) 得票率0.31% 落選 供託金没収
  1. ^ 『読売新聞』2000年6月4日