ぶどう園と農夫のたとえ – Wikipedia

ぶどう園の小作人 Jan Gerritsz Sweelink October

ぶどう園と農夫のたとえ(ぶどうえんとのうふのたとえ、英語: Parable of the Wicked Husbandmen)は新約聖書のマタイによる福音書(21:33-46)とマルコによる福音書(12:1-12)とルカによる福音書(20:9-19)に登場する、イエス・キリストが語った神の国に関するたとえ話である。また悪い小作人のたとえ悪い農夫のたとえとも呼ばれる。

概要[編集]

イエスは周りにいる群集と神殿の祭司長、長老たちを前にして次のたとえ話を語った。

ひとりの家の主人が旅に出かけた。ぶどう園を残して行った。それを農夫たち(小作人)に貸して、彼らを信頼してその働きに委ねた。収穫の時期が来て、主人はしもべたちを送って、利益の中から主人の取り分を取りたてさせた。ところが、農夫たちは主人のしもべたちを袋叩きにして、ある者は殺してしまった。主人は再びしもべたちを送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に主人は自分の息子を送った。農夫たちはこれは跡取りだ、殺して相続財産を我々のものにしようと相談し、彼をぶどう園の外に放り出して殺してしまった。

イエスは祭司長や長老たちに、ぶどう園の主人が帰って来たらこの農夫たちをどうするだろうかと尋ねた。帰って来た主人は悪い農夫たちをひどい目に遭わせて殺し、収穫をきちんと納めるほかの農夫たちにぶどう園を任せるにちがいないと彼らは答えた。するとイエスは、だから神の国はあなたがたから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられると言った。

聖書本文[編集]

もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。[注釈 1]

<21:34>収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。

<21:35>すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。

<21:36>また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。

<21:37>しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。

<21:38>すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。

<21:39>そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。

<21:40>このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。

<21:41>彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。

<21:42>イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。[注釈 2]

<21:43>それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。

<21:44>またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。

<21:45>祭司長たちやパリサイ人たちがこの譬を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、

<21:46>イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。

— マタイによる福音書 21:33 – 46、口語訳聖書

イエスがこのたとえ話を語ったのは、エルサレム入城後のことだった。イエスは神殿の境内に入って人々に教えていた。そこに祭司長や長老たちが近寄ってきて、何の権威でこのようなことをしているのかと質問した。イエスは答えた。「では、わたしもひとつ尋ねる。あなたたちが答えたらわたしも答えよう。ヨハネの洗礼は天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じあったが、群集を恐れて「わからない」と答えた。イエスは言った、「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」と。

イエスの周囲にいる群衆は、ヨハネによる悔い改めを促す洗礼を天からのものとして受け入れ、ヨハネを神の預言者として認めていたが、祭司長や長老たちはヨハネを預言者と認めていなかった。そのような状況の中でイエスと祭司長たちとの間で神から与えられた権威をめぐって緊張間が高まっており、エルサレム神殿においての祭司長たちの権威とイエスの権威のどちらに正統性があるかが問題となっていた[1]。そして、このたとえ話が語られた。

たとえ話に登場するぶどう園を作った主人は神を表し、ぶどう園は救いの土地イスラエルとその都エルサレムを表している。ぶどう園を任された農夫たちはユダヤ人権力者、祭司長、長老、ファリサイ派の人たちを意味している[注釈 3]。そして主人が送ったしもべたちはイスラエルの預言者たちを表し、主人の息子はイエス自身を表している。そして、このたとえ話によってイエスは神の子である自分の正統性を主張し、エルサレムはユダヤ人権力者や祭司長たちから取り上げられ、神の国の到来はイスラエルだけのものではなく、それにふさわしい実を結ぶ民族、異邦人たちにも与えられることを告げている[2]

21章42節でイエスは詩篇第118篇からの引用を示し、自らの正統性を主張している。ここに語られている「家を建てる者の捨てた石」はイエス自身を表している。この捨てられた石が「隅の親石」すなわち中心的な土台となる。神のぶどう園再建の土台になり、新しい実を結ぶ神の民が造りなおされることを意味している。一見敗北者のように殺されてゆくイエスは、殺されることで自分の権威を貫く。こうして、愛によって世界を支配し、世界を所有する道を貫いた。これがイエスの、このあと数日後に起こった十字架の死の意味であることを、このたとえ話は示している[3]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 加藤常昭(2001)、p.247
  2. ^ 場崎(2011)、pp.355-359
  3. ^ 加藤常昭(2001)、pp.254-256

参考文献[編集]

  • 新共同訳新約聖書 日本聖書協会
  • 口語訳新約聖書 日本聖書協会
  • 『新約聖書』フランシスコ会聖書研究所訳注、中央出版社、改訂初版1984年。
  • 加藤常昭 『加藤常昭信仰講話3 主イエスの譬え話』 教文館、2001年2月10日初版発行。ISBN 4-7642-6357-2
  • 場崎 洋 『イエスのたとえ話』 聖母の騎士社、2011年3月25日初版発行。ISBN 978-4-88216-327-5

関連項目[編集]

外部リンク[編集]