ヴァランジュヴィル=シュル=メール – Wikipedia

ヴァランジュヴィル=シュル=メールVarengeville-sur-Mer)は、フランス、ノルマンディー地域圏、セーヌ=マリティーム県のコミューン。

海に面した墓地には、とりわけ、教会のステンドグラスをデザインしたジョルジュ・ブラック、劇作家ジョルジュ・ド・ポルト・リシュ(fr)、作曲家アルベール・ルーセル、画家ジャン=フランシス・オービュルタンが埋葬されていることが知られている。印象派の画家クロード・モネは、ヴァランジュヴィルを訪れその風景を描いている。

ヴァステリヴァルの海岸

コー地方にある。現地ではヴァルーズと呼ばれる、海に面し侵食された白い崖は、マンシュ海峡への往来を容易にする。コミューンはディエップの西およそ5kmのところ、プールヴィルとサント=マルグリット=シュル=メールの中間にある。

ヴァランジュヴィル[編集]

地名は、1035年にWaringivillaであったことが証明されている。12世紀にはWare[n]gervillaであった[2]。これは中世の地名で、-villeとは『農村のドメーヌ』を意味し、すなわちvillageとなる(ガロ=ローマ語のvillaという単語から派生している。ラテン語で農村のドメーヌはvilla rusticaである)。そして先行するのは、頻繁に見られるように、ゲルマン語(またはノルマンディーのアングロ・スカンジナビア語)発祥の人名である。おそらく、フランク族の男性名Warengariusを必要とする可能性が高い[3]。セーヌ=マリティーム県では今もVarangerという姓が見られるからである[4]。サルト県ではGuérangerとGarangerという姓がある。頭文字のWが12世紀にVに移行したのは、ノルマンディー北部にあるヴァランジュヴィルの状況で説明がつく。一方で、さらに南(そして標準フランス語)ではGarangevilleという姓が生まれた。

19世紀、我々はカトリエ地区で多くの砦跡を見ることができたが、今日では消え失せてしまい、いつから存在したのかその日付もわからないままである。多分、それは古代遺跡だったのだろう。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2015年
1011 986 998 1050 1048 1179 1071 985

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[5]、2006年以降INSEE[6][7]