御器所 – Wikipedia

御器所(ごきそ・ごきしょ)は、愛知県名古屋市昭和区の地名。住居表示実施地域の御器所一丁目から御器所四丁目と、未実施の御器所町がある[WEB 6]

御器所一丁目から御器所四丁目については名古屋市昭和区中央西部に位置する。西は白金一丁目、北は鶴舞三丁目・鶴舞四丁目に接する。また、御器所町は区北西部に残存し、西で鶴舞町および鶴舞一丁目、北で千種区および吹上一丁目と接している。町域の大部分は名古屋工業大学のキャンパスにあたる。

当地は名古屋台地と総称される台地のうち、特に御器所台地と称される部分に位置する。また、東郊通付近は旧精進川により形成された沖積低地となっている。

御器所の地名の初出は『昭和区誌』によれば、『吾妻鏡』の1190年(文治6年)4月19日条である。御器所は後述の通り熱田神宮の神領であったものが、国衙領となり、それを平家が私物化し、平家滅亡後に源頼朝の手を経て一条能保に嫁いだ頼朝の妹に渡ったとされる。御器所の地は、彼女の没後に能保の子に相続されたが、南北朝時代に至って御器所保と称される荘園となった。

1351年(観応2年)には当時の御器所保地頭職にあたる高階重成が臨川寺にこの地を寄進し、翌年には地頭職も寄進している。

江戸時代には当地は大代官所の支配下に置かれた。

当地の名物として御器所大根を用いた沢庵漬が知られており、江戸時代に屋号を萬太と称する者により盛んに行われるようになり、1920年(大正9年)の産額は78万974貫、41万6146円と記録されている。

町名の由来[編集]

御器所四丁目の住居表示板。読みがシールによって修正されている。

『尾張志』によれば、当地は熱田神宮の神領であり、神事に使用する土器を調進する場所であったことによるという。また、御器所は「ごき」と読むが、昭和に行われた住居表示により成立した御器所一丁目から御器所四丁目については行政当局により住居表示に関する法律の「よみやすく、かつ簡潔なよみを使う」との趣旨により、「ごきしょ」の読みが与えられた[新聞 1]。しかし、この読みについてはほとんど浸透せず、当地の住民にすら認知されない状況であったため、平成に入ってから公式に「ごき」に戻されている[新聞 1]

沿革[編集]

  • 1873年(明治6年)10月9日 – 村内個人宅において第25番小学叢雲学校が成立する。
  • 1876年(明治9年) – 前津小林を合併したことにより、愛知郡常磐村が成立する。
  • 1879年(明治12年) – 前津小林が名古屋市に吸収されたため、愛知郡常磐村から御器所村に名称が復する。
  • 1889年(明治22年)10月1日 – 町村制施行・合併に伴い、愛知郡御器所村大字常磐となる。
  • 1905年(明治38年)3月 – 名古屋高等工業学校が設置される。
  • 1906年(明治39年)5月10日 – 愛知郡御器所村大字御器所と改称する。同郡広路村との合併による。
  • 1907年(明治40年)4月5日 – 御器所尋常高等小学校が設置される。
  • 1909年(明治42年)10月1日 – 一部が名古屋市中区に編入され、同区板橋町・老松町・千早町・大池町がそれぞれ成立した。
  • 1921年(大正10年)8月22日 – 名古屋市中区に編入され、同区御器所町と改称する。
  • 1925年(大正14年)8月5日 – 中区御器所町に南区熱田東町の一部が編入される。
  • 1930年(昭和5年)12月1日 – 中区御器所町に南区瑞穂町の一部が編入される。また、南区に一部が編入され、同区御器所町が成立する。
  • 1931年(昭和6年)
  • 1933年(昭和8年)9月20日 – 中区御器所町の一部が、同区御器所通に編入される。
  • 1937年(昭和12年)10月1日 – 中区御器所町の一部が昭和区に編入され、同区御器所町が成立する。また同時に熱田区御器所町が成立する。
  • 1942年(昭和17年)
  • 1956年(昭和31年)8月1日 – 一部が出口町に編入される。
  • 1958年(昭和33年)1月16日 – 中区御器所町の一部が昭和区御器所町に編入される。
  • 1972年(昭和47年)8月1日 – 昭和区島退町・洲原町・都島町・東郊通の各一部により同区御器所一丁目が、天池町・御器所町・御所町・島退町・洲原町・都島町の各一部により御器所二丁目が、天池町・御器所町・御所町・桜井町・洲原町の各一部により御器所三丁目が、御器所町の一部により御器所四丁目がそれぞれ成立する。また御器所町の一部が出口町・鶴舞一〜二丁目に編入される。
  • 1979年(昭和54年)
    • 5月5日 – 昭和区御器所町の一部が同区吹上一〜二丁目に編入される。
    • 6月3日 – 中区御器所町が同区金山五丁目に編入され消滅する。
  • 2001年(平成13年)2月 – 地元町内会の有志により、住居表示により「ごきしょ」となっていた読みに関して、「ごきそ」にする旨の要望書が名古屋市に提出される[新聞 1]
  • 2002年(平成14年) – 2月市議会において名称を変更する議案を上程する[新聞 1]

字一覧[編集]

南永金・滝子・稗田・高辻・下島田・江越・下赤島・高縄手・上赤嶋・段子田・下島田・坂下・地村・北永金・中屋敷・門屋敷・亀口・円上・鎌田・白金・向田・鳥喰・大清水・古市場・布池・河田・都島・菱池・吸場・外田・島退・島西浦・砂田・北市場・登城海道・東脇・出口・念仏・玄方・天神前・天神東・荒畑・東寺・山崎・木市・西狭間・北丸屋・北山・北山前・東畑・下離松・上離松・山ノ田・東狭間・吹上・竹戸・小針・西鶴舞

世帯数と人口[編集]

2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

丁目 世帯数 人口
御器所一丁目 435世帯 866人
御器所二丁目 677世帯 1,314人
御器所三丁目 725世帯 1,415人
御器所四丁目 431世帯 852人
2,268世帯 4,447人

人口の変遷[編集]

国勢調査による人口の推移

2000年(平成12年) 4,645人 [WEB 7]
2005年(平成17年) 4,452人 [WEB 8]
2010年(平成22年) 4,494人 [WEB 9]
2015年(平成27年) 4,452人 [WEB 10]

市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。

  • 天池西商店街
  • 天池東商店街

御器所町[編集]

御器所一丁目[編集]

御器所二丁目[編集]

御器所三丁目[編集]

略地図
曹洞宗竜興寺
曹洞宗宗円寺
浄土宗享栄寺
引接寺
曹洞宗久松寺
瑞雲保育園
御所町公園
瑞雲山と号す。本尊は釈迦如来。
瑞現山と号す。本尊として十一面観音を祀る。
亀齢山と号す。本尊は阿弥陀如来。
  • 瑞雲保育園
  • 御所町公園

御器所四丁目[編集]

略地図
御器所八幡宮
真言宗豊山派神宮寺
永西寺
村雲公園
  • 大政所 – 豊臣秀吉の生母。御器所村で生まれたとされる。
  • 豊臣秀吉 – 『愛知郡誌』は愛知郡中村で生まれた定説を採るものの、御器所村で生誕した異説があるとしている

日本郵便[編集]

  • 集配担当する郵便局は以下の通りである[WEB 13]

WEB[編集]

新聞[編集]

  1. ^ a b c d 「御器所 1-4丁目 「ごきしょ」やっぱり「ごきそ」に 30年間知らず 住民の〝苦情〟で変更 5月から元の名前復活へ」『中日新聞朝刊』中日新聞社、2002年3月5日。

文献[編集]

参考文献[編集]

  • 『尾張国愛知郡誌』愛知郡役所、愛知郡役所、1923年2月28日(日本語)。
  • 『昭和区誌』昭和区制施行50周年記念事業委員会、昭和区制施行50周年記念事業委員会、1987年(日本語)。全国書誌番号:88010876
  • 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1989年3月8日(日本語)。ISBN 4-04-001230-5。
  • 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日(日本語)。全国書誌番号:93012879

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、御器所に関するカテゴリがあります。