俄山弘法大師堂 – Wikipedia

俄山弘法大師堂(にわきやまこうぼうだいしどう)は広島県福山市津之郷町の俄山にあるお堂、名水、湯治場。弘法大師の湯[1]あるいは単に俄山弘法大師とも呼ばれる[2][注釈 1]

807年(大同2年)、弘法大師(空海)が明王院を開くときに俄谷を訪れ[3]、病に悩む地域住民の救済のために加持祈祷(かじきとう)を行い、錫の杖で俄山の斜面の岩を突くと、そこから霊水が噴出するようになったと伝えられる[4][1]霊水は「温泉水弘法水」として近隣住民が数多く集まり利用するようになった[4][5]。「温泉水弘法水」の御利益を求める民のために、お堂や水くみ場、お籠り堂(休憩所・宿泊所)が整備され、1919年(大正8年)に入佛祭りが執り行われた[4]。1918年に発足した俄山弘法大師遺徳会が運営し、会員が交代で24時間365日駐在している[6]。俄山弘法大師遺徳会は地域住民280世帯で構成される[1]。お堂には弘法大師像が祭られる[6]。信仰の場であるとともに、地域住民の集いの場にもなっている[6][1]。2006年には俄山弘法大師堂に迫る山火事があり、住民総出で3日間の消火活動を行った[6]。2009年に宿泊施設と入浴施設が建て替えられた[1]

郷土誌での言及[編集]

備陽六郡誌[編集]

「備陽六郡志」(びようろくぐんし)は1740年頃から30年間に渡って福山藩士の宮原直倁(1702-1776年)が執筆した全44冊からなる自筆稿本で、備後地方の江戸自体からの歴史を語るうえで外せない郷土資料である[7]。「俄山弘法大師堂」は大正時代の創設なので江戸時代に編纂された「備陽六郡志」に言及がないのは当然であるが、奈良時代から知られている「弘法の水」に関すると思われる記述も無い。

西備名区[編集]

福山市の庄屋・馬屋原重帯(1762-1836年)が著した備後全域の地誌「西備名区」の津之郷村のページには下記のような記載がある。

俄来越南の小谷にあり。里諺に云、昔いつの比にやありけん、一人の山伏、女をこの山中にて斬り、其刀を此谷水に洗ふ。然るを里人見付け大勢集まり、石こつめにして小石を以て埋殺しぬ、是を山伏塚と伝ふ。其の太刀を洗いし谷水を人飲む時は腹痛す。其比空海師、此の所を通り給い、此よりを聞召、大刀洗より南の小谷の巌石に加持して霊水を出し、里人に教へ示して曰く、若、人、大刀洗の水を飲みて腹痛せは、此の水を飲むへし、必ず其の災を免るへしと、夫より此の水を弘法水という

— 「西備名区」 津之郷村 弘法水 大刀洗水 山伏塚より

刀を洗った谷水というのは俄山弘法大師堂のすぐ横を流れる小田川と思われる。現在「山伏塚」というものは残っていないが、俄山弘法大師堂から北に400mほど登った場所に、俄山不動院の「奥の院」があり、その横に「女郎塚」というのが存在し、これが殺された女性の塚だと思われる[8]

福山志料[編集]

江戸後期の漢詩人の菅茶山(1748-1827年)が残した地誌「福山志料」(1809年)の津之郷村のページには下記のような記載がある。

今岡永谷あたりへ超ゆく山中にあり 人飲めば腹痛す その南に又霊水あり これを飲めばその痛たちまち治すと云

— 「福山志料」津之郷村「毒水」より

沼隈郡誌[編集]

1923年(大正12年)に編纂された沼隈郡誌では以下のような記載がある。

津之郷村俄山越えの南谷にあり、伝へいふ往古一人の山伏女を此山中に斬り、其刀を此谷水で洗ふ、里人その惨虐を悪み、多勢にて追詰め、石こづめにして埋殺しぬ、是を山伏塚と云ふ。また外に女郎塚もあり。其太刀を洗ひし谷川の水を呑むに、忽ち(たちまち)腹痛を起し、里人飲用水に苦しむ。其比空海上人草戸(現在の福山市草戸町)に止錫し此事を聞き歩を抂けて當村に来り。此峠に登り杖にて巌石を打ち加持し玉ふに霊泉涔々として湧出す。上人里人に教へて曰く、大刀洗の水に腹痛を起す時は此の泉の水を呑むべし。必ず其災を免れんと。以来此水を稱して弘法水と呼びしが、大正8年頃より誰言ふとなく弘法水の利益各地に宣伝され、俄に詣人踵を接して四時絡繹絶えず、お堂建ち籠堂建ち、露店出て、繁賑を極むに至る、分析の結果ラジュウム含有水なること判明せり。

— 沼隈郡誌 p75-76 俄山ラジウム泉[8]

大正時代にお堂や籠り堂(宿泊所)が建てられ、露店がでるほど賑わっていた様子が伺える。また女郎塚と山伏塚は別に存在することが記されている。また「沼隈郡誌」のp76-77には、2種類の弘法水が内務省大阪衛生試験所に送られ、それぞれ2.38マッヘ、4.16マッヘの放射能を持つラドン泉水であるという分析結果を得たことが記載されている。

温泉として[編集]

元々は修行者を五右衛門風呂でもてなしたことが始り[6]。1960年代に遺徳会が旅館営業許可を得て、宿泊所の運営を始めた[6]。宿泊所は、宿坊ないしお籠り場、湯治場とも呼ばれる[2]。湯治場としての創業は明治時代で、大正時代に建て替えされている[1]。2000年くらいまでは1週間ほど連泊する修行者がいたが、その後は家族や友人らと共に利用するケースが増えている[6]。浴槽にはタンクに貯められた霊水が使用される[1]。1日に40人ほどが利用していたが、建物の老朽化によって客足が遠のき[1]、2008年には1日に20-30人の利用となっていた[9]。2008年12月から浴室と宿泊室を総工費3500万円で建て替え工事を実施し[6][2]、2009年4月にリニューアルオープンした[2]。建て替え費用は、寄付金と霊水の販売代金で賄った[2]。2018年現在の湯治場は木造平屋百七十平方メートル[2]。宿泊客用に和洋室を計3部屋、食材を持ち込める調理場も備える[2]。泉質は単純弱放射能冷鉱泉で、入湯設備や宿泊設備(宿坊)がある[注釈 2]。弘法大師ゆかりの隠れ湯としてPRされている[1]

  • 温泉名 – 俄山弘法大師温泉(加水・加温有、循環式)
  • 泉質 – ラジウム冷鉱泉[2]
  • 効能 – 皮膚病、高血圧、五十肩、冷え性、神経痛など[6]
  • 男女別内湯各1(それぞれ10平方メートル)[1]
  • 宿泊定員 10名[2]
  • 浴場のみの利用も可能[注釈 3]

名水として[編集]

山陽道福山サービスエリア(右下)と俄山弘法大師堂(赤丸部分)、左上は2009年の山林火災跡。国土地理院 CCG20101-C16-16を元に作成

石造りの水くみ場が設けられている。10L毎に霊水の販売がされ[注釈 4]、まろやかな軟水として人気を集める[6][9][10]。湧き水のことは少なくとも1200年前から知られていたが、名水として人気が高まったのは大正になってからであるが[6]、広島県内有数の名水とされる[9]。弘法水はミネラル分が少ない軟水で、炭酸イオンを適度に含み、さっぱりとした喉越しで、臭気は全く存在しない[9]。筋肉痛やリウマチ、神経痛、アトピー性皮膚炎に効くほか、胃腸に良いとされている[9]。施設には夜間の湧き水を蓄えるために、容量2トンのタンクも備えられている[9]。尾道から水を汲みに20年間通う客もいる[9]。便通がよくなり、お茶を入れるのに使うと美味しいという[9]。湧き水は枯れることはなく、1990年代の異常渇水のときにも地区住民の生活を支えた[9]

ギャラリー[編集]

全国に見られる弘法水の逸話[編集]

弘法大師と湧き水にまつわる逸話は本件に限らず全国各地で知られ、その数は1500件近く存在する[11]。最も多いのが奈良県と和歌山県で、双方とも140カ所ほどが伝えられる。広島県にも本件を含めて35カ所の「弘法水」が存在する。逆に少ないのが沖縄県と北海道はゼロとなっている[12]。その大部分は水不足に悩む地区であり、溜池の分布との類似性が指摘されている[12]。弘法水とは、いわゆる独鈷水の1つである。湧水の名称として「弘法水」のほかには、「弘法清水」,「弘法井戸」,「大師の水」,「清水大師」,「御水大師 杖突水」,「御杖の水」,「杖立清水」,「独鈷水」,「金剛水(遍照金剛)」,「塩井戸(水湧出)」,「加持水(加持祈祷による)」,「閼伽水(聖なる水)」,「硯水(すずりみず」などがみられる[11]。その多くが本件のような山地や丘陵近くの湧水であり、平野部での井戸や崖からの湧水は殆ど含まれない[11]。またその多くに眼疾患、皮膚疾患、胃腸疾患の改善効果があるとなどの「薬水伝説」を伴うものが多い。湧水の量は毎秒1リットル以下の小規模のものが多く、水質面ではカルシウム濃度や塩分濃度、硫酸イオン濃度が高いなどの特異な特徴を持つ湧水が多いことも知られる。以上より、弘法水とされる湧水は、浅い地層の地下水ではなく、地底深い場所から湧出する深層地下水や温鉱泉の一種と考えられている[11][12]。これらは実際に弘法大師によって見出された湧水ではなく、地区において重宝される貴重な湧水ないし特徴的な湧水が、水神信仰や弘法大師信仰と摺り合わされて成立したものだと推測されている[11][13][12]

特記事項[編集]

  • 俄山弘法大師堂のすぐ手前には、「俄谷砂留群」と「俄山不動院」がある。俄山弘法大師堂の脇の未舗装路を山奥に進むと、400メートルほど奥に「俄山奥の院」がある。その横に山伏に斬り殺されたという女性の塚が残る。その道中の西側斜面が2006年の山火事現場である。

関連項目[編集]

  1. ^ 他の呼び方として「弘法さん」、「弘法の水」なども使用される
  2. ^ 2001年頃の宿泊料金(お籠り料)は大人1人600円であった。2009年の料金は1000円、2018年現在の料金は2000円。
  3. ^ 外来浴は1人300円(2009年)
  4. ^ 2008年現在の弘法水の値段は10Lあたり100円
  1. ^ a b c d e f g h i j 「弘法大師の湯」を一新 福山の津之郷住民 大正以来の建て替え 2009.04.04 中国新聞 朝刊 福山 (全459字)
  2. ^ a b c d e f g h i 湯治場の施設一新 名水知られる「俄山弘法大師」(福山) 今月から営業再開 共同浴場や宿泊室
    2009.04.20 備後1-15版 20頁 山陽新聞朝刊 写有 (全557字)
  3. ^ 広島観光ナビ 弘法の水 2018年5月2日閲覧
  4. ^ a b c 弘法大師堂 現地の案内看板 津之郷学区まちづくり推進委員会作成 2018年5月1日閲覧
  5. ^ 備後 名水物語 中国新聞 2007.01.04 朝刊 福山・尾三 (全3,139字)
  6. ^ a b c d e f g h i j k おいでんせぇ 弘法水(福山市津之郷町) 俄山弘法大師遺徳会副会長 大目勤さん 2013.04.20 中国新聞 朝刊 福山 (全727字)
  7. ^ 備陽六郡誌 福山市役所 文化財復興課
  8. ^ a b 沼隈郡誌 1923年 ISBN 978-4653012665
  9. ^ a b c d e f g h i 水の風景 38 俄山弘法大師(福山市津之郷町) 山の地下水わき出る 2008.01.31 夕刊-3版 6頁 山陽新聞夕刊 写有 (全717字)
  10. ^ ゆうかん特報 備後の名水 あ~まいぞ 評判のスポットめぐり 地域おこしにも一役 長寿や健康 効果うたう 1998.10.26 中国新聞 中国夕刊 夕二 写有 (全1,360字)
  11. ^ a b c d e 日本各地にある「弘法水」とは ―「大師由来」伝説1500近く立正大教授 河野忠氏 2014年4月4日付 中外日報(論) 2018年5月2日
  12. ^ a b c d 河野忠 日本を代表する伝説の水「弘法水」繊維学会誌 67(12), “P-371”-“P-372”, 2011-12-10
  13. ^ 河野忠 弘法水の水文科学的研究 日本陸水学会 講演要旨集 R68(0), 156-156, 2003

外部リンク[編集]

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