井本農一 – Wikipedia

井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 – 1998年10月10日)は、日本の国文学者、俳人、お茶の水女子大学名誉教授。1988年勲二等瑞宝章受勲。 山口県新南陽市(現周南市)に生まれる。父は小説家青木健作。1933年旧制成蹊高等学校文科甲類卒業。1936年東京帝国大学文学部国文科卒業。お茶の水女子大学教授、1976年定年退官、名誉教授、聖心女子大学教授、1984年実践女子大学学長。1988年退職。日本中世・近世文学、特に松尾芭蕉を研究。1988年春、勲二等瑞宝章受勲。 『日本文学史攷』修文館、1941年。 『国文学の再建 理論と方法』育英書院、1942年。 『宗祇論』三省堂、1944年。 『旅と日本文学』成武堂、1944年。 『詩人良寛』美和書房、1946年。 『おくの細道新解』明治書院、1951年。 『日本文学年表』明治書院、1952年。 『俳文藝の論』明治書院、1953年。 『奥の細道』弘文堂アテネ文庫〈古典解説シリーズ〉、1954年。 『奥の細道をたどる』上・下、角川新書、1957年。角川選書(改訂 全1巻)、1973年 『おくのほそ道をたどる』上・下、角川文庫、1984年。    『俳句風土記

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不老泉 – Wikipedia

不老泉(ふろうせん)は、大分県別府市中央町にある市営の共同温泉である。 別府八湯のひとつで別府市中心部に位置する別府温泉にあり、別府駅から徒歩約5分と交通の便がよい市営温泉である。かつては皇太子時代の昭和天皇が訪れたこともある別府市を代表する温泉であった。 古くは、「不老湯」、「田中ノ湯」、「田の湯」と呼ばれた。1875年(明治8年)の『速見郡村誌』には、「不老湯、質温、硫黄、明礬気ヲ以テす、瘡毒、皮鮮、悪瘡等総テ諸腫物、痒瘡症ニ即効アリ、浴場弐ケ所」と記されている。 すでに、1888年(明治21年)には共同浴場が設けられていたようであるが、1902年(明治35年)には3階建て(1、2階各90坪、3階75坪)への改築が行われ、男女それぞれ特等、上等、並等の3種の浴槽と、飲湯、髪洗湯、手拭洗湯、温度調和所、湯滝、休憩所、商品陳列所等を有する大規模な施設に整備された[1]。 さらに、1919年(大正8年)から1921年(大正10年)3月にも2度目の改築を行い、浴槽を男女それぞれ上等湯、並湯の2種とし、他に家族温泉、電気治療温泉を設けた。また、2階には休憩室、3階には展望台が設けられている。1920年(大正9年)11月7日には皇太子(摂政宮)時代の昭和天皇がこの温泉を訪れており[2]、当時は設備の整った別府市を代表する温泉であったことが分かる[1]。 1957年(昭和32年)には3度目の改築が行われ、1階に温泉、2階に地区公民館、3階に集会室が設けられて、地域のコミュニティー施設としての役割が持たせられた[3]。 2013年(平成25年)9月からは、建物が老朽したことから4度目の改築が行われ、2014年(平成26年)8月8日にオープンした。改築後の不老泉は、鉄筋コンクリート構造2階建てで、1階が浴室、2階が集会室(28畳と37畳の2室)。浴室は、改築前同様に市営温泉で最も広い浴槽を持ち、男女それぞれ、あつ湯(44度)、ぬる湯(41度)の2つの浴槽が設けられている[4]。壁面や坪庭には、1902年(明治35年)の改築当時の鬼瓦が配置されている[5]。なお、この改築に当たっては、旧来の敷地約1,600m2のうち、東側約600m2部分に別府商工会館が建設されている[6]。 ※一般的適応症(浴用):神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進[7] 入浴料金:100円[3] 営業時間:6:30 – 22:30[3] 休館日:年末大掃除日(不定) 大分県別府市中央町7-16[3] 関連項目[編集] 外部リンク[編集]

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新声会 – Wikipedia

新声会 (しんせいかい) は作曲家と演奏家の共同団体として1946年に発足した音楽家グループ。作品発表を続けたが、1949年には作曲家だけのグループになり、1950年まで続いた[1][2][3]。 1946年2月21日、柴田南雄の主唱により[4]作曲家と演奏家が協力して芸術を発展向上させるという趣旨で新声会が発足した。3月16日には第1回試演会を開催する。当初のメンバー (同人) は作曲家が團伊玖磨、入野義郎 (義朗)、宮城 (小野) 衛、柴田南雄、繁田裕司 (三木鶏郎)、演奏家が青山三郎 (Pf)、粕谷真央 (Vc)、須賀靖和 (Bar)、戸田敏子 (Mz)であった[1]。作曲家は全員が諸井三郎の弟子である[2]。後に作曲家の中田喜直、畑中良輔、石桁真礼生、筒井秀武、および演奏家も複数人参加したが、1949年以降は作曲家だけのグループになった。1949年以降の同人は入野義郎、柴田南雄、宮城衛、戸田邦雄、中田喜直、畑中良輔、別宮貞雄、石桁真礼生の8名である[1]。 同人は頻繁に自作品発表の試演会を開催し、また特別演奏会としてシューマンやショパンの作品演奏を集中して行った。第4回試演会では同人以外の作曲家も多く参加した。1949年以降は「作品発表会」と銘打った演奏会を開催した。新声会の行った演奏会は次の通り[5]。 第1回試演会[編集] 1946年3月16日 上智学院クルトゥール・ハイム 柴田南雄:『ピアノ変奏曲』 入野義郎:『チェロ奏鳴曲』 柴田南雄:『渡る日の』万葉集、『扁舟歌』三好達治詩

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ザ・キング・トーンズ – Wikipedia

ザ・キング・トーンズ 出身地 日本 ジャンル ドゥー・ワップ、R&B、歌謡曲 活動期間 1958年 – 2019年 レーベル ポリドールレコードエキスプレスSMSアポロン音楽工業DIAMOND HEADS RECORDRVC(BMGビクター)ビクターソニーレコードアイノクスKi/oon日本クラウンR’s Art Discフリーボード メンバー 内田正人成田邦彦石塚勇川島豊 旧メンバー 石井迪加生スミオ冨賀慎一郎大川由加利 ザ・キング・トーンズ[注

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dekirukoto.net – Wikipedia

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ジス・ボーイ – Wikipedia

「ジス・ボーイ」(This Boy)は、ビートルズの楽曲である。レノン=マッカートニー名義となっているが、ジョン・レノンによって書かれた楽曲。イギリスでは1963年11月に発売されたシングル盤『抱きしめたい』のB面に収録されて発売された。アメリカでは1964年1月に発売されたキャピトル編集盤『ミート・ザ・ビートルズ』のA面3曲目に、カナダでは1964年3月9日に発売されたシングル盤『オール・マイ・ラヴィング』のB面に収録されて発売された。シングル盤発売当時の邦題は「こいつ」。本作は、1964年2月16日に放送された『エド・サリヴァン・ショー』に出演した際に演奏された。 1964年に公開された映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』では、「リンゴのテーマ」(Ringo’s Theme (This Boy))と題されたジョージ・マーティンによる本作のオーケストラ・アレンジ版が使用され、ユナイテッド・アーティスツ・レコードから発売されたサウンドトラック・アルバム『A Hard Day’s Night (United Artists)』に収録された。シングル盤としても発売され、アメリカでは最高位53位を獲得した。 曲の構成[編集] 本作はレノンがスモーキー・ロビンソンのスタイルに触発されて書いた楽曲で[5]、ドゥーワップのようなコード変更やメロディー、アレンジが取り入れられている。なお、アレンジはボビー・フリーマンの「You Don’t Understand Me」[6]やテディ・ベアーズ(英語版)の「逢った途端にひとめぼれ」に影響を受けている。 本作はレノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3声コーラスが特徴となっており、後に発表された「イエス・イット・イズ」や「ビコーズ」でもこのコーラス・アレンジが取り入れられた。当初ミドルエイトにはギターソロが当てられていたが、レコーディング中に変更された。 レコーディング[編集] 「ジス・ボーイ」のレコーディングは、「抱きしめたい」ととも1963年10月17日に行われた。15テイク録音されたのち、2回オーバー・ダビングが施された。10月21日にミキシングが行われ、2つのテイクを結合して最終マスターを作成した後にミドルエイトの最後のヴァースを切り貼りし、曲の最後がフェード・アウトするように編集された。 1996年に発売されたシングル盤『フリー・アズ・ア・バード』のカップリング曲として、本作のテイク12と13が収録されていて、同テイクでレノンは「Thas

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すじこん – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “すじこん” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2012年2月) すじこん(鉄板焼) すじこんとは、牛スジ肉とコンニャクを甘辛く煮込んだもの。 牛肉を常食する近畿地方において、安価なすじ肉とこんにゃくを利用した庶民的な惣菜として明治時代から食べられてきた。牛すじとこんにゃくを煮込んだ料理には「どて焼き」もあるが、味噌煮であるどて焼きに対し、すじこんは醤油を味付けの主体としている。あまり濃い味付けをすることは少ないが、数日程度は冷蔵庫で日持ちする。 製法は、柔らかくなるまで下茹でした牛スジ肉とこんにゃくを一口大に切り揃え、醤油や砂糖、みりんなどで味が染みるまで煮る。下茹で時間を短縮するため圧力鍋を使用する場合もある。刻んだ青ネギを添えておかずや酒肴とするほか、お好み焼きやうどんのトッピングなどとして利用されている。 なお、「すじこん」および「すじコン」は、兵庫県西宮市にある鉄板焼き屋の経営者が商標登録している[1]が、料理そのものの由来や起源とは無関係である。 ぼっかけ[編集] 神戸市の長田区周辺では、すじこんを指してぼっかけという異称が用いられることがある。 ぼっかけは「ぶっかける」が訛ったもので、従来は神戸でも「すじこん」あるいは単に「すじ」と呼ぶことが一般的であり、「うどんやそばなど『汁物』に牛すじが載った場合のみ『ぼっかけ』と呼ぶ店が多かった」[2]とされる。 ぼっかけという呼称が広まったのは、阪神・淡路大震災で大きな被害があった長田区で2002年に食のイベントが開催され、B級グルメブームにあやかってインパクトの強い「ぼっかけ」という言葉を用い、地域復興の目玉商品に据えようと企画したのがきっかけである。地元食品会社との協力でレトルトぼっかけを共同製作し、当地の名物であるお好み焼きやそば焼き、そばめし、ぼっかけうどんなどのメニューを提供する店を記した地図を作成するなどしてまち起こしを行い、そうした活動をメディアが取り上げた[3]結果、長田独自の呼称として認知されるようになっていった。 関連項目[編集] ^

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