エミリー・フィッツロイ – Wikipedia

Emily Fitzroy
エミリー・フィッツロイ
エミリー・フィッツロイ
生年月日 (1860-05-24) 1860年5月24日
没年月日 (1954-03-03) 1954年3月3日(93歳没)
出生地 イギリスの旗 イギリス ロンドン
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ガーデナ
国籍 イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間 1913年 – 1944年(女優)
テンプレートを表示

エミリー・フィッツロイ(Emily Fitzroy、1860年5月24日 – 1954年3月3日)は、イングランド出身で、後にはアメリカ合衆国の市民権を取得した女優。1915年に映画にデビューし、1944年に引退するまで、ちょうど100本の映画に出演したとされる。

エミリー・フィッツロイは、女優としての経歴を、まず舞台から始め、アメリカ合衆国へ渡って、1912年から1922年にかけてニューヨークのブロードウェイで6本の演劇と1本のミュージカルに出演し、名を知られるようになった。

映画には1913年から1944年にかけて、百本ほどに関わったが、その大部分はアメリカ合衆国の映画で、イギリス映画はごくわずかであり、うち六十本ほどはサイレント映画であった。

代表作には、D・W・グリフィス監督の『東への道』(1920年:リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメスと共演)、キング・ヴィダー監督の『剣侠時代』(1926年:ジョン・ギルバート、エレノア・ボードマン (Eleanor Boardman)と共演)、エドマンド・グールディング監督の『アンナ・カレニナ』(1927年:ジョン・ギルバート、グレタ・ガルボと共演)、ジョージ・スティーヴンス監督の『病院の一夜』(1940年:キャロル・ロンバード、ブライアン・エイハーン (Brian Aherne) と共演)、D・W・グリフィス監督の『焔の女』(1941年:マレーネ・ディートリヒ、ブルース・キャボットと共演)などがある。

  • Just to get married、セシル・ハミルトン (Cicely Hamilton) 作、ルーシー・ワトソン (Lucile Watson) と共演 (1912)
  • Lady Patricia、ルドルフ・ベジア (Rudolf Besier) 作、ヘンリー・スティーヴンソン (Henry Stephenson) と共演 (1912)
  • Never say die、ウィリアム・H・ポスト (William H. Post) 作、ウィリアム・コリア・シニア (William Collier, Sr.) と共演 (1912-1913)
  • Lady Luxury(ミュージカル)、ウィリアム・シュローダー (William Schroeder) 作曲、リダ・ジョンソン・ヤング (Rida Johnson Young) 作詞・リブレット、アイナ・クレアと共演 (1914-1915)
  • Rich Man, Poor Man、マクシミリアン・フォスター (Maximilian Foster) 作、ブランドン・ハースト、ジェシー・ラルフ (Jessie Ralph) と共演 (1916)
  • I.O.U.、ヘクター・ターンブル (Hector Turnbull) 、ウィラード・マック (Willard Mack) 作、メアリー・ナッシュ (Mary Nash) と共演 (1918)
  • What the Public wants、アーノルド・ベネット作、マーガレット・ワイチャーリイと共演 (1922)

おもなフィルモグラフィ[編集]

外部リンク[編集]