身延町立身延中学校 – Wikipedia

身延町立身延中学校(みのぶちょうりつ みのぶちゅうがっこう)は、山梨県身延町梅平1000番地にある公立中学校。

身延駅と身延山のほぼ中間位置にある梅平に所在。県道804号(旧国道52号)の南側にあり、道路を隔てた北側には山梨県立身延高等学校がある。

現在の身延中学校は三代目であり、二代目の身延中学校を使用している(但し番地の変更等が行われている)。旧身延町域を学区としていた二代目身延中の学区以外の地域からはスクールバスを運行して通学に対応している(後述)。

(初代)身延町立身延中学校
  • 1947年(昭和22年)4月 – 学制改革実施に伴い身延国民学校が廃止され、新たに身延町立身延中学校が設置される。当初は身延町立身延小学校の校舎を間借りしていた。
  • 1949年(昭和24年)1月28日 – 失火により校舎全焼。その後は山梨県立身延第二高等学校(1950年(昭和25年)に身延高等学校と統合)の校舎を間借りすることになる。
  • 1954年(昭和29年)9月 – プール竣工。
  • 1955年(昭和30年)9月 – 校旗、校歌制定。
  • 1961年(昭和36年)12月 – 体育館竣工。
  • 1962年(昭和37年)2月 – 学校給食開始。
身延町立豊岡中学校
  • 1947年(昭和22年)4月 – 学制改革実施に伴い豊岡村立豊岡中学校が設置される。当初は豊岡村立豊岡小学校の校舎を間借りしていた。
  • 1950年(昭和25年)9月 – 校舎が竣工し、移転。
  • 1955年(昭和30年)2月 – 町村合併により、身延町立豊岡中学校となる。
  • 1965年(昭和40年)9月 – 体育館竣工。
身延町立大河内中学校
  • 1947年(昭和22年)4月 – 学制改革実施に伴い大河内村立大河内中学校が設置される。当初は大河内村立帯金小学校および大河内村立大和小学校の校舎を間借りしていた。
  • 1951年(昭和26年)7月 – 校舎竣工し移転。なお、竣工した7月11日を「創立記念日」としていた。
  • 1955年(昭和30年)2月 – 町村合併により、身延町立大河内中学校となる。
  • 1961年(昭和36年)12月 – 体育館完成。
  • 1963年(昭和37年)2月 – 学校給食開始。
  • 1964年(昭和39年)8月 – プール竣工。
  • 1969年(昭和44年)9月 – 体育館竣工。
(二代目)身延町立身延中学校
  • 1970年(昭和45年)5月 – (旧)身延町立身延中学校、身延町立豊岡中学校、身延町立大河内中学校が合併し、身延町立身延中学校が誕生。現在地へ移転。なお、合併前に入学した生徒はこれまでの校舎を使用。
  • 1972年(昭和47年)4月 – 全学年が現校舎で授業を受ける。
  • 1972年(昭和47年)10月 – 校旗制定。
  • 1973年(昭和48年)7月 – プール竣工。
  • 1984年(昭和59年)4月 – 現在の体育館が竣工。
  • 1989年(平成元年)6月 – この年より夏季期間に校舎の改修を開始。
  • 1991年(平成3年)9月 – 新校舎竣工。
  • 2011年(平成23年)4月 – 下山地区にあった身延町立下山中学校廃校に伴い同月より学区拡大。なお、統合ではないため(二代目)身延町立身延中学校として存続。
  • 2016年(平成28年)3月19日 – 旧下部町の身延町立久那土中学校および身延町立下部中学校、旧中富町域の身延町立中富中学校と統合により、(二代目)身延町立身延中学校の閉校式典が行われる。
(現)身延町立身延中学校
  • 2016年(平成28年)4月8日 – 三代目となる身延町立身延中学校が開校。身延町の中学校は1校体制となる[1][2]
  • 2019年(平成31年)4月 – 南部町立南部中学校と共に、身延高との連携型中高一貫教育を開始[3]

アクセス[編集]

スクールバス[編集]

2016年4月より通学用のスクールバスを運行している。身延中学校へ通学する生徒用であり、近隣にある身延高校生を含めその他の利用は不可。

  • 西島線:身延中学校-下山-飯富-原(八日市場)-切石-手打沢-西嶋
  • 原線:身延中学校-下山-飯富-原(八日市場)
  • 久那土線:身延中学校-下山-飯富-原(八日市場)-切石-手打沢-久那土
  • 下山線:身延中学校-下山-曙
  • 下部線:身延中学校-帯金-波高島-下部温泉-常葉-市ノ瀬-古関

関連項目[編集]

注釈

出典

参考文献[編集]

  • 身延町誌(身延町ホームページ。第七編第四章第四節に初代身延中学校についての記述がある)

外部リンク[編集]