Month: September 2017

益田競馬場 – Wikipedia

益田競馬場(ますだけいばじょう)は、島根県益田市にあった地方競馬の競馬場。 現在の益田場外発売所(ますだじょうがいはつばいじょ)についてもここで記述する。 コースは1周1000mでフルゲートは8頭[1]。日本一小さい競馬場として知られていた[1]。ただし、厩舎区画などがあったことから、競馬場全体の敷地面積では川崎競馬場より大きい。基本的に土日祝日の開催、毎年4月開幕で1月末で閉幕。2月から3月は休催であった。 馬券売り場はスタンドとは別棟となっていた。馬券はこの別棟の馬券売り場か新しく作られたスタンドでしか購入できなかった。着順掲示板はアナログの手動式であった[1]。パドックは京都競馬場と同じくめずらしい円形。馬場とスタンドの敷地の間には公道が通っていた[1]。また開場時から休止時まで、競馬新聞の「シーホース」が発売されていた。新聞の名前は、日本海のそばの競馬場ということから名付けられた[1]。 おもにアラブ系の競走馬によるレースを展開してきた。250戦出走のウズシオタロー、46勝を挙げたニホンカイキャロル、西日本アラブダービー(のちの全日本アラブグランプリ)勝利後、園田競馬に移籍して重賞6勝を挙げ「益田の怪物」と言われたニホンカイユーノスなどが過去に益田競馬場に所属した。また、当時の日本記録である350勝をあげた女性騎手の吉岡牧子、国外で活躍する日本人騎手のパイオニア的存在であった道川満彦、現在大井競馬場に所属している御神本訓史もこの益田所属の騎手であった。 1990年度第14回開催(1991年3月)から1994年度第14回開催(1995年1月)まで頭数不足を補うため退厩期限付きでサラブレッドを一時導入、その後1997年11月からホッカイドウ競馬の3、4歳馬を導入し、さらに翌1998年度の第2回開催から転入条件を緩和し、収得賞金250万円以下で出走歴のある3 – 5歳馬を転入可能とした。なお負担重量が63kgを超える上級馬はアラブ系競走に編入されるとした[2]。 しかし、慢性的な赤字経営やサラブレッド導入による中央競馬 (JRA) との交流戦の開催も困難だったこともあり、2002年度で経営の改善が見込めない場合はその年で休止(事実上の廃止)する方針を決めたが、結果的には2002年8月のお盆開催を最後に休止となった。 休止後は益田場外発売所として南関東公営競馬を中心とした場外勝馬投票券発売所として活用されている。また、跡地の一角には公共職業能力開発施設である島根県立西部高等技術校が2011年4月1日に開校された。 益田市立高津学校給食センターも新設され、2016年4月8日より益田市内の小中学校へ提供する給食の調理が開始された。 コース概要[1][編集] 右回り1周1000m、直線200m 距離設定 800m、1200m、1350m、1600m、1800m、2200m(いずれもフルゲート8頭) 1947年 – 島根県馬事振興会によって、益田競馬場が建設される。

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1-形式 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “1-形式” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年2月) 線型代数学におけるベクトル空間上の(代数)一次形式(いちじけいしき、英: linear form)あるいは簡単に 1-形式(いちけいしき、英: one-form)とは、その空間上の線型汎関数(すなわち (0,1)-テンソル、共変ベクトル)のことである。普通、この文脈で一次形式という呼称は、その空間上の高次の形式(あるいはそれに対応する多重線型形式)の中で特に一次であることをはっきりさせるために用いられる。詳細は「線型汎関数」の項へ譲る。 微分幾何学において、可微分多様体上の一次微分形式(いちじびぶんけいしき、英: differential form of degree

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ワルザザート太陽熱発電所 – Wikipedia

1号機と2号機(2019年10月) ワルザザート太陽熱発電所(ワルザザートたいようねつはつでんしょ)は、モロッコ中部のワルザザート近郊にある太陽熱発電所である。モロッコの公用語であるアラビア語で「光」を意味する「نور」(ヌール)を冠して、地元では単に「ヌール発電所」と呼ばれる場合もある。 ワルザザートは険しいオートアトラス山脈(英語版)の南側に形成された内陸の町であり、乾燥した気候である。雨は少なく、太陽光を受けるには適した気候である。また、緯度も北緯31度よりも南と、充分に低緯度に位置しており、強い日射が望める[注釈 1]。 21世紀初頭の段階でも、モロッコは原油や天然ガスが少しは産出していたものの、特に原油は輸入を行っていた状態だった[1]。2009年の段階で、モロッコの貿易収支は赤字であり、328億ドルの輸入額の6.5パーセントを占めていた[1][注釈 2]。 一方で、発電に関しては、2008年の段階で、モロッコの1年間の総発電量は約20300 GW・hであった中で、水力発電が6.7パーセント、風力発電が1.4パーセントで、残りの大部分の91.9パーセントが火力発電によって賄われていた[1]。 発電所概要[編集] この発電所は、太陽熱を利用して汽力発電を行う複数の発電機が備えられており、さらに溶融塩を利用した蓄熱装置も装備している。これらが主力設備であり、2019年4月現在、合計で最大で510 MWの出力を擁する。また、これらとは別に太陽電池による発電パネルも併設して、昼間の電力供給を補っている。つまり、その分で太陽熱発電機の出力に回す太陽熱を、蓄熱装置へと蓄えられる事を意味する。蓄熱装置に蓄えた太陽熱は、夜間など太陽熱が得られない時間帯に利用して、汽力発電を実施する。 なお、2019年4月の段階で、この発電所の敷地面積は、25 km2に達していた。 発電所の建設は、スペインの企業共同体の協力を得て、モロッコ太陽エネルギー庁(MASEN)も関与したワルザザート太陽共同体(Ouarzazate Solar Complex)によって行われた。 パラボリックトラフ式の太陽熱の収集方法の概念図。凹面鏡の焦点にパイプを通して、ここに熱媒体を流し、発電設備の方法へと太陽熱を集める。単に地面に凹面鏡を配置するだけなので、広い土地さえあれば、比較的容易に大規模化できる。 ワルザザート太陽熱発電所の第1期工区として建設された場所である[2]。地面に多数の放物線形状の凹面を有した凹面鏡を並べて、太陽光を集めて熱を得る、いわゆる「パラボリックトラフ式」である。約4.5 km2の敷地に、約50万枚の凹面鏡が並べられており[3]、最大で160 MWの出力が可能である。また、夜間でも約3時間の発電が可能な溶融塩を使用した蓄熱装置も備える[4][5]。1号機は2016年2月5日にモロッコの電力網に組み込まれ、商業運転を開始した[6]。開業までに1号機に費やした費用は、約39億ドルであった[7]。なお、運転開始時点で、1 kW・hの発電を行うために、約0.19ドルの費用を必要としていた[8]。 復水器が水冷式[編集] ワルザザートは乾燥した気候であり、普通であれば、そのような場所で汽力発電を行う場合には、空冷式の復水器を使用する事例が目立つ。しかし、1号機の復水器は水冷式である。さらに、凹面鏡の洗浄にも水を使用し、最大で1年間に1700 kLの水を使用する[9][注釈

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手をつなごう (山下久美子のアルバム) – Wikipedia

『手をつなごう』(てをつなごう)は、山下久美子のセルフカヴァー・アルバムで、2010年6月23日にキングレコード / DEEP ZONEから発売された[1]。 2005年に発売されたカヴァー・アルバム『Duets』以来約5年ぶりの新譜リリースで、山下としては唯一、キングレコードのDEEP ZONEレーベルから発売された[2]。 山下自身初のセルフカヴァー・アルバムで[注 1]、山下自身が選曲し、音楽プロデューサーに笹路正徳が担当した[2]。 楽曲解説[編集] 宝石 MELODY – from Liverpool 19thシングル「MELODY – from Liverpool」のセルフカヴァー。 秋ラメきれない Night

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世界最終戦争の夢 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “世界最終戦争の夢” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年9月) 『世界最終戦争の夢』(せかいさいしゅうせんそうのゆめ、英: A Dream of Armageddon)は、1901年にイギリスの週刊誌「ブラック・アンド・ホワイト」に掲載されたハーバート・ジョージ・ウェルズの短編SF小説。 あらすじ[編集] 物語は、列車の中で夢についての本を読んでいるナレーターを見て、顔のよくない男が会話を始めるところから始まる。白人の男は、「夢に殺されそうなので、夢を分析する時間はほとんどない」と言う。 その夢とは、自分が大物政治家であり、その地位を捨ててカプリ島で若い女性と暮らしているというものである。夢主は、一度も訪れたことがないにもかかわらず、島の様子を詳細に説明し、実際にカプリ島に行ったことのある語り手は感心する。夢を見ていた人は、自分の夢が終わるまでを語る。ダンスをしていると、祖国からの使者に声をかけられ、後継者が戦争を起こす前に戻って元の役割を果たすようにと言われる。しかし、それは愛する女性との別れを意味し、夢の中の自分は義務よりも愛を選ぶ。 3週間の夢の中で、弁護士は楽園のようなカプリ島と未来の世界の崩壊に立ち会うが、戦争は近づき、頭上を軍用機が飛ぶ様子が描写される。世界的な戦争がついに勃発し、夢の中の生活は世界的な大惨事と個人的な悲劇で終わる。物語の最後に主人公は、夢の中で殺されたにもかかわらず、”戦い、引き裂く大きな鳥 “によって身体が破壊されても、夢を見続けていたことを明かす。 1948年9月5日、CBSのドラマ番組「エスケープ」で、「世界最終戦争の夢」の翻案が送信された。2000年にNational

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桑名市 – Wikipedia

「桑名町」はこの項目へ転送されています。名古屋市中区にあった町名については「桑名町 (名古屋市)」をご覧ください。 桑名市(くわなし)は、三重県の北部に位置する市。 伊勢湾の堆積平野の伊勢平野と木曽三川による沖積平野の濃尾平野の境にある都市。愛知県と岐阜県に接しており、名古屋市から25km圏に位置する。名古屋市のベッドタウンとして宅地開発が進んでいる。無形文化財に石取祭や連鶴の折り方の「桑名の千羽鶴」などがある。 2004年(平成16年)12月6日に桑名市、桑名郡長島町、多度町の3市町村が合併(対等合併)して誕生した市である。 蛤(はまぐり)料理に代表される食文化を有し、ナガシマスパーランド、多度大社、六華苑、東海道の七里の渡しなど豊富な観光資源に恵まれた三重県下屈指の観光都市であり[1]、機械・金属系を中心とする工業都市でもある [2]。 木曽三川河口域に位置する桑名市(空中写真) 三重県の北部に位置する。木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の河口にあり、北西部に養老山地、南東部に伊勢湾がある。伊勢神宮の「一の鳥居」が設置されるなど、伊勢国の東の玄関口として位置付けられる。その地理的条件により、江戸時代には東海道でも指折りの宿場町、城下町、港町として栄えた。 隣接している自治体[編集] 主な地形[編集] 河川 木曽川 長良川 長島川、新川 (県管理) 揖斐川 新堀川、大山田川、沢北川、東川、流石川、三砂川、新田川、多度川、肱江川 (県管理) 山江川

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里庄町 – Wikipedia

里庄町(さとしょうちょう)は、岡山県の南西部に位置する町で、浅口郡に属する。2006年(平成18年)より浅口郡唯一の自治体でもある。倉敷市や広島県福山市に近く、それらの市のベッドタウンとなっている。 2006年10月10日から、倉敷市や浅口市などとともにご当地ナンバーである「倉敷ナンバー」が導入された。 町の中央部から北西部にかけては比較的平坦だが、その他は山林となっている。里庄町も瀬戸内地方に数多く見られるため池が多数点在する。 山: 虚空蔵山(270m)、毛野無羅山(206m) 河川: 新庄川 里見川 隣接している自治体[編集] 町の名前は里見村・新庄村の名から一文字ずつ取られたものである。 沿革[編集] 1889年(明治22年)6月1日 – 町村制施行により浅口郡里見村と新庄村が発足した。 1905年(明治38年)4月1日 – 里見村と新庄村が合併して里庄村発足。 1950年(昭和25年)6月1日 – 町制施行。里庄町となる。 同郡内の鴨方町、金光町、寄島町の3町が合併し浅口市となったが、現在のところ里庄町は合併の動きはない。

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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 – Wikipedia

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2011年8月) 旧聖堂・大聖堂計画・現大聖堂の平面 左から洗礼堂・大聖堂・鐘楼(西からの眺め) サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレだいせいどう、イタリア語:Cattedrale di Santa Maria del Fiore)は、イタリアのフィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会である。フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。教会の名は「花の(聖母)マリア」の意である。 巨大なドームが特徴の大聖堂は、イタリアにおける晩期ゴシック建築および初期ルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルとなっている。石積み建築のドームとしては現在でも世界最大[要出典]である。このドームは予算削減と耐久性を考慮し、二重構造のドームで互いを押し合う設計になっており、木枠を使わずに煉瓦を積み上げて製作している(en:Opus spicatumを参照)。 建物の主軸はほぼ東西に通り、西に八角形の洗礼堂、東にラテン十字の平面をもつ大聖堂がならび、両者の正面玄関が正対する。大聖堂は東に至聖所、西に正面玄関をもつ。キリスト教において東はイエス・キリストを象徴する方角であり、教会の祭壇は東に正対しておかれるのが基本形であった(西ヨーロッパの大聖堂建築を参照)。 鐘楼は大聖堂の南西隅に配置されている。大聖堂の広場をへだてた東側には付属の美術館があり、教会の宝物や、かつて外部をかざっていた美術品がおさめられている。 三つの建築物とも世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として指定されている。 建築[編集] 1296年から140年以上をかけて建設された[1]。外装は白大理石を基調とし、緑、ピンクの大理石によって装飾され、すこぶるイタリア的なゴシック様式に仕上がっている。身廊とドームは初期ルネサンス、そして19世紀に完成したファサード(正面)はネオ・ゴシックによる混成様式である。全長153m、幅90m、高さ114m。ドームは八角形で内径43m。聖堂の大きさとしては世界で4番目に大きい[要出典]。 歴史[編集] 旧聖堂はサンタ・レパラータ教会堂と呼ばれ、フィレンツェで二番目に古い教会堂だった。この遺構は現在の聖堂の地下に埋まっている。この教会堂は393年に古代ローマ時代のドムス跡に建設され、ミラノ司教アンブロジウスによって献堂されたが、ビザンティン時代の戦役によって破壊されたために、7世紀から9世紀にかけて修復されロマネスク様式の建築となった。現在、遺構の一部は公開されており、側廊を持ち後陣を柱で分ける平面形式をみることができる。 フィレンツェの街が発展していく中で、教会堂は次第に手狭となっていった。14世紀に至るまで、建築、芸術の分野で目立った実績のなかったフィレンツェだったが、ピサやシエナの大聖堂建立に触発されてこれを凌ぐ規模の大聖堂の建設が計画された。1294年、フィレンツェ羊毛業組合 (Arte

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そうま竜也 – Wikipedia

そうま 竜也(そうま たつや)は、日本の漫画家、イラストレーター。旧ペンネームはL.ライム。 2000年代後半から一時期筆を折っていた。「のろりそ」名義で同人活動を行っている。 単行本リスト[編集] 『スペシャルBOYS』 (少年画報社〈ヒットコミックス〉、1990年10月1日、 ISBN 4-7859-1255-3) 『たおせ カラオケ番町!! そうま竜也作品集』 (バンダイ〈Pure cyber comix series〉、1992年3月10日、ISBN 4-89189-173-4) 『それいけ!!ちゃんぽん』 (ワニマガジン社〈ワニマガジンコミックス〉) PART1 1993年8月1日、ISBN 4-89829-131-7 PART2

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三塊厝駅 – Wikipedia

高雄駅付近鉄道路線位置図 三塊厝駅(サンクヮイツゥオえき、さんかいせきえき[5])は台湾高雄市三民区[6]にある台湾鉄路管理局縦貫線)の駅。かつては屏東線の中間駅だった。 現在の高雄駅が出来る前の日本統治時代には、三塊厝駅は高雄中学校(今日の高雄市立高雄高級中学)の生徒や教師及び付近住民の主要な門戸であった。後に高雄駅が浜線から現在の場所に移転すると、本駅は(新高雄駅と)近過ぎる為に利用客が大幅に減少し廃止の運命となった。旅客輸送は屏東線のみで扱い、縱貫線列車は停車せず、ホームも無かった。高雄市街鉄道地下化計画及び台鉄捷運化によって縱貫線の旅客駅として再開業した。旧駅舎は高雄市の古蹟に指定されている。 地上駅時代[編集] 1908年(明治41年)2月1日 – 「臨時停車場」として開設[7]。 1911年(明治44年)11月10日 – 貨物業務を開始[8]。 1923年(大正12年) – 現在の鳳北里三徳西街90巷8号に駅舎を建てた[9]。 1941年(昭和16年)6月21日 – 三等駅となり[10]:頁51、貨物業務は支線発着分のみとなった[9][11]。 1962年 – 旅客扱いを終了した[9]。 1986年[12]

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