Month: May 2022

トマス・ハワード (初代サフォーク伯) – Wikipedia

初代サフォーク伯トマス・ハワード(英語: Thomas Howard, 1st Earl of Suffolk, KG, PC、1561年8月24日 – 1626年5月28日)は、イングランドの貴族、政治家。 ステュアート朝初代国王ジェームズ1世の時代の1614年から1618年にかけて大蔵卿(英語版)を務めたが、カトリックであったため、プロテスタント強硬派によって失脚に追い込まれた。サフォーク伯ハワード家の祖にあたる。 第4代ノーフォーク公トマス・ハワードの次男。母は父の二番目の妻であるマーガレット(初代オードリー男爵トマス・オードリー(英語版)の娘)[1]。異母兄にフィリップ・ハワード(第20代アランデル伯爵)、同母弟にウィリアム・ハワード(英語版)がいる[2]。 ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ(英語版)で学ぶ[1][3]。 1588年のアルマダの海戦に従軍し、海軍卿(英語版)を務める親族の第2代エフィンガムのハワード男爵チャールズ・ハワードからナイトに叙された[1]。1596年のアゾレス諸島遠征や1597年のカディス攻撃では艦隊の司令官の1人となった[1]。帰国後の1597年4月23日にガーター騎士団ナイト(KG)に叙され[1]、12月5日にハワード・ド・ウォルデン男爵として貴族院に召集される[1]。 ジェームズ1世が即位してステュアート朝が始まった後の1603年5月に枢密顧問官(PC)に列するとともに宮内長官(英語版)に任じられる[1]。1603年7月21日にはサフォーク伯に叙される[1]。1605年7月にサフォーク総督(英語版)・ケンブリッジシャー総督(英語版)に就任[1]。1611年7月にはドーセット総督(英語版)に就任[1]。 大蔵卿初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルの死後、ジェームズ1世は大蔵卿のポストを空けて委員会制にし、サフォーク伯の叔父に当たる初代ノーサンプトン伯爵ヘンリー・ハワードが財政を主導するようになった[4]。甥のサフォーク伯も1612年6月に大蔵委員会の委員の一人に任じられた[1]。 1614年から1626年にかけてケンブリッジ大学学長(英語版)を務めた[3]。 1614年7月に大蔵卿(英語版)に就任した[1]。1610年に財政改革案「大契約」が議会から否決されて以降、王庫の財政は危機的状況に瀕していた。1614年に議会が再招集され、政府は議員買収や派閥工作などで議会懐柔に努めたが、国王秘書長官(英語版)ラルフ・ウィンウッド(英語版)が議会対策に不慣れなうえ、宮中内の派閥争いの発生のために挫折した。その派閥争いは主としてカトリックのサフォーク伯が、ウィンウッドや第3代ペンブルック伯ウィリアム・ハーバート、ジョージ・アボット(英語版)ら宮中内の財政改革派(プロテスタント強硬派)への協力を拒んだことに起因していた[5]。 またサフォーク伯はカトリックとして親スペイン的であったので、プロテスタント強硬派は財政的困窮に苦しむジェームズ1世がサフォーク伯の上奏を受け入れてスペインから財政援助を受けるためだけにスペイン王室との婚姻に動く可能性を恐れていた。そこでプロテスタント強硬派はサフォーク伯をジェームズ1世を切り離す意図でジョージ・ヴィリアーズ(後の初代バッキンガム公)を国王の側近に据えてその昇進を後援した。ヴィリアーズは巧みに権謀術数を駆使し、ついに1618年にサフォーク伯に汚職容疑をかけて失脚に追い込んだ[6]。これによりサフォーク伯は公金横領と商人への恐喝の容疑で星室庁裁判所にかけられ、罰金刑に処せられた[1]。この時サフォーク伯を裁いたのが大法官フランシス・ベーコンで、それを恨んだサフォーク伯は1621年の議会で貴族院議員としてベーコンを収賄罪で追及するメンバーの1人になった[7]。

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丹尾頼馬 – Wikipedia

丹尾 頼馬(にお たのま、1858年10月15日(安政5年9月9日[1][2])- 1928年(昭和3年)7月8日[1][3][4])は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、福井県丹生郡岡山村長。 越前国丹生郡下野田村[1][5](福井県[3]岡山村、豊村[4][6]を経て現鯖江市[1][5])で、丹尾兵馬の長男として生まれた[1][2]。その後、大地主、農業、村役、馬売買を営む本家・丹尾清左衛門の養子となる[1]。同郡家久村の木村塾で学び[1]、1866年(慶応2年)福井藩立・立教館に入り漢学、数学、習字を修めた[2]。1869年(明治2年)中學明新館(現福井県立藤島高等学校)に入学[2]。その後上京し、築地のカロゾルス(クリストファー・カロザース)に師事し英語を修めた[2]。1877年(明治10年)慶應義塾に入った[1][2][3][5][6]。 1881年(明治14年)自由党が創立されると、丹南地方の有志と共に入党し、大地主・富商らと政治活動に加わった[1][5]。1885年(明治18年)丹生郡下野田村外13ケ村戸長となる[2][3][6]。1889年(明治22年)4月、町村制施行により岡山村が発足すると初代村長に就任[1][2][3][5][6]。丹生郡会議員にも選ばれ2期在任し[1][3][5][6]、郡参事会員も務め[2]、その他、郡徵兵参事員、水利組合管理郡会議員などにも在任[2]。1897年(明治30年)8月、福井県会議員に選出され2期在任し[1][5]、同参事会員も務めた[3][6]。この間、道路整備の推進、九頭竜川改修事業の区域拡大などに尽力した[1][5]。 1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(福井県郡部)で初当選し[1][2][7]、以後、第10回総選挙まで再選され[1]、衆議院議員に連続4期在任した[3][4][6]。この間、立憲政友会院内主事などを務め[4]、敦賀道の改修に尽力した[1][5]。 実業界では、1899年(明治32年)北陸絹糸株式会社の設立に参画し社長に就任した[2][3][6]。 国政選挙歴[編集] ^ a b c d e f g h i j

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横手市立平鹿中学校 – Wikipedia

横手市立平鹿中学校 過去の名称 平鹿町立平鹿中学校 国公私立 公立学校 設置者 横手市 併合学校 浅舞中学校吉田中学校醍醐中学校 校訓 自律共生[1] 設立年月日 1997年4月1日 開校記念日 4月28日[1] 共学・別学 男女共学 学期 2学期制 所在地

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神部為蔵 – Wikipedia

日本の政治家 神部 為蔵 かんべ ためぞう 神部為蔵 生年月日 (1864-03-18) 1864年3月18日(元治元年2月11日) 出生地 相模国高座郡本郷村 没年月日 (1947-01-31) 1947年1月31日(82歳没) 所属政党 憲政会立憲民政党 親族 神部俊郎 テンプレートを表示 神部

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エリオット・フロム・アース – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “エリオット・フロム・アース” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年9月) 『エリオット・フロム・アース』(原題: Elliott from Earth) は、アメリカのカートゥーン ネットワークとイギリスのカートゥーン ネットワーク・スタジオ・ヨーロッパ(英語版)制作のアニメ。2021年3月6日にカートゥーン ネットワークで放送、同年10月24日に日本で放送。 2021年4月7日、カートゥーン ネットワーク・スタジオ・ヨーロッパは1957年7月7日に有名なアニメーターであるウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラによって設立されたアメリカのオリジナルスタジオに敬意を表して、ハンナ・バーベラ・スタジオ・ヨーロッパとして再ブランド化したため[1][2]、2022年1月9日に日本のカートゥーン ネットワークで放送された「カートゥーン

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しもほうや保育園 – Wikipedia

しもほうや保育園(しもほうやほいくえん)は、東京都西東京市下保谷にある私立の保育所である。設置当初は旧保谷市による公立の保育所だったが、2009年に西東京市より市内の柳橋保育園を運営する社会福祉法人至誠学舎東京に民間委託され、2021年には園舎などの建物も至誠学舎東京東京に売却され民設民営化された[1][2][3]。 受入年齢は0歳児(産休明け)より小学校入学前まで。入所定員数114名。 園庭側より(2014年4月) 目次 1 沿革 2 特色 3 保育時間 4 休園日 5 実施保育 6 年間行事 7 所在地 8 交通アクセス

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NECネッツエスアイ – Wikipedia

NECネッツエスアイ株式会社(英称:NEC Networks & System Integration Corporation)は東京都文京区に本社を置く、通信工事会社である。略称はNESIC。NECグループのネットワーク通信工事及びシステムインテグレーションにおける中核会社である。 売上の多くを通信インフラ設置工事で占める、通信工事および保守会社である。 元はNECの電話工事部門であったが、1953年に日本電気工事として分離独立。その後、日本電気システム建設と社名を変更し、2005年10月に現在の社名であるNECネッツエスアイとなる。「ネッツ」は、Networksの略語であり、「エスアイ」はシステムインテグレーションの略語である。 ※略称は旧社名時代より”NESIC”である。 NECグループの企業や住友グループの企業、大手企業、都道府県、官公庁、海外との取引が多い。 2006年4月、ネットワーク事業の強化を目的とした株式交換をNECとの間で行い、NECテレネットワークスを自社の完全子会社化。その後、2007年4月1日に吸収合併。 傘下に複数の子会社を持つ。東京証券取引所第一部上場、証券コードは1973。 南極地域観測隊において、昭和基地に設営された多目的衛星データ受信システムの保守点検などのため、同社内から1名が毎年観測隊に参加している。 主な事業[編集] 事業別のセグメントは以下の3種類に大別される。 デジタルソリューション事業[編集] 企業のネットワークやIT等、業務に必要なさまざまなICT(情報通信技術)のシステムやサービスを提供。特に、AI(人工知能)、IoT(Internet of Things)、RPA(Robotic Process

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坊勢汽船 – Wikipedia

坊勢汽船株式会社(ぼうぜきせん)は、兵庫県姫路市の海運会社である。姫路港と家島諸島の坊勢島・男鹿島および西島を結ぶ旅客航路を運航していた。同じく姫路―坊勢・男鹿間の旅客便を運航していた輝観光(ひかりかんこう)と2020年4月1日付で事業統合し、坊勢輝汽船株式会社(ぼうぜひかりきせん)を新設した[1]。本稿では坊勢汽船の後継の坊勢輝汽船、および貨物部門の関連事業所である坊勢貨物株式会社についても述べる。 姫路港から坊勢島へ旅客船を運航している。一部便は男鹿島に寄港する。坊勢貨物株式会社が貨物フェリーを運航しており、坊勢島・男鹿島・西島のほか、家島の南側の網手港にも発着する[2]。 2001年3月、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業に合わせて、「神戸ヴィーナスライン」として神戸港の中突堤とUSJを結ぶ航路の運航を開始したが、当初6往復を5月16日には4往復に減便、6月13日より運休となり、短期間で撤退した。 国内離島航路では珍しく、輝観光とは航路を同じくしながら共同運航の形をとらない競合会社であった[3]が、2020年4月をもって事業統合することとなった。なお、従来両社が運営していた姫路港―西島(兵庫県立いえしま自然体験センター)の旅客便は、2020年現在、輝観光が坊勢―西島間のみ独立で運航している[4]。 旅客船[編集] 姫路港 – 男鹿島 – 坊勢島 6時台から19時台まで12往復を運航、3往復は男鹿島に寄港する。土日は20時台の一便が増便される[5]。いえしま自然体験センターの利用者は、坊勢港から輝観光(1日6便)に乗り換える必要がある[4]。 貨物船[編集] 姫路港 – 坊勢島・男鹿島・家島(網手港)・西島 不定期便、平日のみ運航。 運航中の船舶[編集] 旅客船[編集] 1997年6月就航、讃岐造船鉄工所建造 2013年3月、交通エコロジー・モビリティ財団の助成によりトイレ・客席のバリアフリー化を実施、2014年2月、機関換装を実施

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金バク! – Wikipedia

『金バク!』(きんバク!)は、2013年4月12日からOHK岡山放送で放送されている情報バラエティ番組。放送時間は毎週金曜 19:00 – 20:00 (日本標準時)[1][2] 番組開始時から2014年11月28日までの番組名は『夢みる金バク!』(ゆめみるきんバク!)[3]で、翌週の2014年12月5日に現在の番組名に変更した。本項目では両番組について記載する。 この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 2013年度の放送では視聴者参加型のバラエティ番組で、進行役の神谷文乃が参加者たちの夢を実現させるべく、ゲスト出演者とともに岡山県・香川県各地でロケを敢行するというものだった。その当時のキャッチフレーズは「地域にぎわい応援リアリティ番組」だったが[4]、2014年に入ってからは神谷がゲストに岡山県・香川県の観光地やグルメを紹介してもてなす街歩き番組になり、毎回ゲストを連れて各地でロケを敢行する。そして、ゲストにTwitterやFacebookなどのSNSを用いて訪れたエリアの魅力を日本全国に発信してもらうという内容になっており、岡山と香川の街を週交代で取り上げる形式や、長期間同時間で放送されていた「ニョッキン7」や「ニョッキン7+th」時代に出演していたタレントも再び出演するなど、ニョッキンシリーズの構成を引き継いだ内容に戻った。 なお、同年12月5日放送分から、番組名を『金バク!』(きんバク!)にリニューアルし、キャッチフレーズも「地域お宝発見バラエティ!」に改題。当日は、岡山放送の報道スタジオを移転したイオンモール岡山のスタジオから、岡山県出身の髙橋大輔とフジテレビアナウンサー(放送時点)の山﨑夕貴を迎え、生放送を行った。VTRでは道端アンジェリカをゲストに迎えた。 岡山放送ではこの番組があることから、フジテレビと他の系列地方局では金曜19時から放送される特別番組は19時57分からの短縮・飛び乗り放送になることがある(春や秋改編期・年末年始時期およびスポーツ中継の特番は除く)。 また、FNSソフト工場やスポーツ中継の特番・年末年始の特別編成番組がこの時間に放送された場合は休止となる。 再放送は、2015年7月現在、木曜深夜1:00からである。 2017年からは正月特番を放送。2017年のみ1月2日、2018年以降は元日正午からの2時間枠で放送。 2017年3月10日放送分で、番組開始から4年149回にわたって出演していた神谷が翌週の3月17日放送分(ゲスト:金子貴俊)をもって卒業することが発表された[5]。 2018年7月20日放送分で放送200回を迎えたが、特番による休止のため、放送開始から5年4か月での達成となった。 2020年3月20日放送分(第261回、ゲスト:遠藤章造)で、3年112回にわたって出演していた矢野みなみの卒業がロケ中に発表された[動画 1]。3代目MC今川菜緒[動画 2]への引き継ぎは、同日に開館するはずだった四国水族館(香川県綾歌郡宇多津町)からの生放送で行われた。 番組タイトルロゴ表記の色は、『(夢みる)金バク!』である。 現在の出演者[編集]

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ふぐ調理師 – Wikipedia

この記事は特に記述がない限り、都道府県の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 ふぐ調理師(ふぐちょうりし、Fugu Cook)とは、ふぐ条例等に基づき都道府県知事が行うふぐ調理師試験において免許を取得した者である。有資格者以外はその業務を行えない業務独占資格である。都道府県によっては、ふぐ包丁師、ふぐ取扱者、ふぐ処理師、ふぐ調理士、ふぐ取扱登録者、ふぐ調理者ともいわれる。以下「ふぐ調理師」で統一する。フグも参照。国家資格ではない。なお、勘違いされやすいが私的な範疇でふぐを調理する限りはふぐ調理師免許は不要である。 ふぐ調理師の免許や資格は、各都道府県が個別に定めており、特段の定めのない限り当該都道府県内のみでしか通用しないため、都道府県をまたいでの就職・調理については、勤務先の都道府県で新たに資格を取得する必要がある。このため一般社団法人全日本ふぐ連盟は、日本国政府に対して再三、全国統一の資格制度を求めているが、実現には至っていない[1][2][3][4]。 都道府県によって、免許や講習受講による「資格」取得の条件や難易度は異なり、最も厳格な筆記試験と実技試験を実施する東京都、講習において受講資格を定めていない地方公共団体や、受講後の試験のない地方公共団体もある[1]。 都道府県[編集] 都府県 名称 手法 学科 実技 北海道 ふぐ処理者 試験 水産食品の衛生に関する知識関係法規ふぐの種類と鑑別ふぐの処理と鑑別ふぐの一般知識 ふぐの処理ふぐの臓器の鑑別 山形県[5] フグ取扱者 講習 食品衛生関係法規山形県フグ取扱い指導要綱衛生と鑑別

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