北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター – Wikipedia

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター(ほっかいどうだいがくスラブ・ユーラシアけんきゅうセンター、英: Slavic-Eurasian Research Center)は、北海道大学の研究センターで、旧ソ連・東欧研究の総合的・学際的研究を行う研究所である。シベリア・極東、中央ユーラシア、東欧、地域比較のすべてをカバーするのは、日本国内で唯一である[1][2]。北海道大学に設置されたスラブ研究室に端を発する[2]。略称はスラ研またはスラブ研、SRC。 1953年、北海道大学にスラブ研究室が組織され、ロシア(ソ連)をはじめとするスラブ地域研究の拠点を作る試みが行われた[3]。1955年、スラブ研究室は北海道大学法学部附置スラブ研究所(後にスラブ研究施設に改称)として官制化され[2][3]、 日本唯一のスラブ地域研究機関として活動を開始した[3]。そして1978年、北海道大学共同教育研究施設への改組に伴い、スラブ研究センターと改称された[3]。1990年代前半、ソ連とユーゴスラビアの解体に伴い、旧ソ連・東欧地域全体をスラブと呼称することが難しくなったため、「スラブ・ ユーラシア」という言葉を考案し、2014年スラブ・ユーラシア研究センターと改称した[3]。 2009年6月、共同利用・共同研究拠点「スラブ・ユーラシア地域研究にかかわる拠点」として認定された[3]。共同利用・共同研究拠点第2期期末評価では、最高点のSと評価された[1]。 ロシアだけでなく、アメリカ、オランダ、中国、フランス、イギリス等の諸大学・研究機関とも学術交流協定を結んでいる[1]。 研究活動[編集] 研究分野は政治、経済、国際関係、歴史、文学・文化、言語学、人類学に及ぶ[1]。日本語・英語・ロシア語の3カ国語で研究成果を発信し、4種類の査読誌を発行している[1]。 旧ソ連・東欧研究の総合的・学際的研究の国際的な拠点であり、1980年代から毎年、国際シンポジウムや研究会、講演会を多数開催している[1][2]。また、重点領域研究 「スラブ・ユーラシアの変動」(1995〜1997年度) 、21世紀COEプログラム「スラブ・ユーラシア学の構築」(2003〜2007年度)、若手研究者インターナショナル・トレーニング・プログラム(2008〜2012年度)、新学術領域研究「ユーラシア地域大国の比較研究」(2008〜2012年度)、グローバルCOEプログラム「境界領域の拠点形成:スラブ・ユーラシアと世界」(2009〜2013年度)などの大型プロジェクトに積極的に取り組んでいる[3]。 ロシア部門 シベリア・極東部門 中央ユーラシア部門 東欧部門 地域比較部門 2019年4月現在の研究スタッフは、専任研究員が8名(うち教授7名、准教授1名)、助教・特任助教4名という陣容である。その他、図書・編集担当の教員2名、および数名の非常勤研究員、プロジェクト研究員、外国人研究員、客員教員や日本学術振興会特別研究員がいる。また、全国に百数十名の共同研究員がいる。

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アンリ・ドカエ – Wikipedia

Henri Decaëアンリ・ドカエ 別名義 Henri Decae 生年月日 (1915-07-31) 1915年7月31日 没年月日 (1987-03-07) 1987年3月7日(71歳没) 出生地 フランス、セーヌ=サン=ドニ県サン=ドニ 死没地 フランス、パリ 国籍 フランス 職業 撮影監督 ジャンル

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チログロブリン – Wikipedia

チログロブリン[5]またはサイログロブリン(Thyroglobulin、Tg)は、甲状腺の濾胞細胞(英語版)で産生される660kDaの二量体糖タンパク質であり、全て甲状腺中で使用される。Tgは甲状腺濾胞の細胞外コンパートメントに1リットルあたり数百グラム分泌・蓄積され、甲状腺のタンパク質量の約半分を占める[6]。ヒトTG(hTG)は、合成時には2768アミノ酸を含むサブユニットのホモ二量体である(成熟タンパク質ではN末端から19アミノ酸の短いシグナルペプチドが取り除かれる)[7]。 チログロブリンは、全ての脊椎動物において、甲状腺ホルモンの主要な前駆体である。甲状腺ホルモンは、チログロブリンのチロシン残基がヨウ素と結合し、その後タンパク質が切断される事によって生成される。各チログロブリン分子には約100~120個のチロシン残基があるが、濾胞コロイド内でチロペルオキシダーゼによるヨウ素化を受けるのは、その内の僅か20個である。従って、1つのTg分子は約10個の甲状腺ホルモン分子を形成する[6]。 甲状腺ホルモンの合成:チログロブリンが粗面小胞体で生成されてから、タンパク質分解によって甲状腺ホルモンが放出されるまでの過程。 チログロブリン(Tg)は、甲状腺ホルモンであるチロキシン(T4)とトリヨードチロニン(T3)を合成する際の基質となり、不活性型の甲状腺ホルモンとヨウ素を甲状腺濾胞の濾胞内腔に貯蔵している[8]。 新たに合成された甲状腺ホルモン(T3とT4)はチログロブリンに結合しており、濾胞内のコロイドを構成する。甲状腺刺激ホルモン(TSH)の刺激を受けると、コロイドは甲状腺濾胞の内腔から周囲の甲状腺濾胞上皮細胞にエンドサイトーシスされる。その後、コロイドはプロテアーゼによって切断され、チログロブリンからT3とT4が分離する[9]。 活性型の甲状腺ホルモンであるT3とT4は血中に放出され、一部は血漿タンパク質に結合した状態になり、チログロブリンは濾胞内腔に戻され、引き続き甲状腺ホルモン合成の基質としての役割を果たす事になる[10]。 臨床的意義[編集] 半減期と臨床的上昇[編集] チログロブリンの代謝は、甲状腺でのタンパク質のリサイクルを介して肝臓で行われる。循環しているチログロブリンの半減期は65時間である。甲状腺切除後、チログロブリン濃度が検出されなくなるまでには、何週間も掛かる事がある。チログロブリン濃度は、甲状腺を摘出した後、数週間から数ヶ月間は定期的に検査すべきであろう[11]。 甲状腺乳頭癌または濾胞癌の患者では、その後も引き続き検査すべきである。その後のチログロブリン濃度の上昇は、甲状腺乳頭癌または濾胞癌の再発の徴候である[11]。その為、血中チログロブリン濃度は、主に一部の甲状腺癌(特に甲状腺乳頭癌や濾胞癌)の腫瘍マーカーとして用いられる[12][11]。髄様甲状腺癌や未分化甲状腺癌では、チログロブリンは生成されない。 チログロブリンの濃度は、簡単な血液検査で調べる事が出来る。甲状腺癌の治療後に検査が行われる事が多い[11]。 抗チログロブリン抗体[編集] 臨床検査室でのチログロブリン検査は、抗チログロブリン抗体(ATA)(別名:TgAb)の存在によって複雑になる事がある。抗チログロブリン抗体は、正常な人では10人に1人、甲状腺癌の患者ではそれ以上の割合で存在する。これらの抗体が存在すると、報告されたチログロブリンのレベルが誤って低くなる(稀に誤って高くなる)事があるが、この問題はATAの存在を同時に検査する事である程度回避出来る。ATAが検出された場合に、臨床医が取るべき理想的な戦略は、(1回の検査室での測定ではなく)定量的な測定の継続的実施である。 ATAは、橋本病やバセドウ病の患者によく見られる。甲状腺機能が正常な場合でもATAは存在し得るので、これらの病気の診断にはあまり役に立たない。また、橋本病に関連した神経内分泌疾患である橋本脳症の患者にもATAが見られるが、これは橋本病が原因ではない[13]。 相互作用[編集] チログロブリンは、免疫グロブリン結合タンパク質(BiP)と相互作用する事が示されている[14][15]。 ^ a b c

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ヴィクトール・パリモフ – Wikipedia

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年12月) Painting in Tretyakov Gallery, Moscow ヴィクトール・ニカンドロヴィチ・パリモフ(Victor Palmov, ロシア語: Виктор Никандрович Пальмов, 1888年10月10日 – 1929年7月7日)は、ロシアの未来派の画家。 サマーラに生まれる。 1911年から1914年まで、モスクワ絵画・彫刻・建築学校に学ぶ。 1920年には来日。同年10月に、ダヴィッド・ブリュリュックとともに、「日本に於ける最初のロシア画展」を開催(東京京橋・星製薬株式会社。500点出品)。 1921年、国民美術協会第9回展にて「モスクバ未来派の画家ヴィクトル・パリモフの展覧会」を開催(東京上野・竹之台陳列館。73点)。 その後ロシアに戻り、1920年代にはキエフ美術学校の教授も務めた。

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霊芝 – Wikipedia

レイシ レイシ Ganoderma lucidum 分類 学名 Ganoderma lucidum (Leyss. ex. Fr.) Karst 和名 マンネンタケ 霊芝(レイシ、Ganoderma lucidum (Leyss. ex. Fr.) Karst)はマンネンタケ科の一年生のキノコで、形態は系統により様々に変化する。肉質はコルク質様で表面はニスがかけられた様な光沢がある。別名万年茸(マンネンタケ)、霊芝草(れいしそう)。薬用植物。

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全ルーシ – Wikipedia

全ルーシ / フセヤ・ルーシ(ロシア語: Всея Руси[注 1]、教会スラブ語: Всеꙗ Русіи)とは、ルーシの君主であるヴェリーキー・クニャージやツァーリの称号の全名に、接頭辞的に冠された用語である。また、キエフ・ルーシから現ロシアにかけての正教会の聖職者の称号にも用いられている。 統治者による使用[編集] モンゴルのルーシ侵攻以前には、全ルーシの称号は、キエフ・ルーシ(キエフ大公国。当時の国称はルーシ)のヴェリーキー・クニャージ(大公)であるキエフ大公によって散発的に用いられた[1]。全ルーシを自身の称号に付するのは、自身はルーシ全域を政治的に統一し、諸公の頂点に立つものである、という意志を示すものであった(なお、用いた統治者が、必ずしもルーシ全域の諸公を支配下に治めていたわけではない)。史料においては、フセヴォロド・ヤロスラヴィチ、ウラジーミル・モノマフ、ユーリー・ドルゴルーキー、ロスチスラフ・ムスチスラヴィチらのキエフ大公に用いた例がみられる。またクニャージ(公)であるスモレンスク公ムスチスラフ・ロマノヴィチ、ガーリチ・ヴォルィーニ公ロマン・ムスチスラヴィチに対しても、全ルーシの語を用いた記述がみられる。 モンゴルのルーシ侵攻によってキエフが凋落すると、ジョチ・ウルスは、ウラジーミルの支配者がヴェリーキー・クニャージ(大公)の称号を冠することを承認した(ウラジーミル大公)。当時、ウラジーミル大公位はトヴェリ公、モスクワ公らの諸公によって争われていたが、次第にモスクワ系諸公が優位を確立し、イヴァン・カリター(イヴァン1世)以降のモスクワ系ウラジーミル大公(モスクワ大公[注 2])は、皆が全ルーシを称号に付した[2]。ビザンツ帝国からの書簡においても、イヴァン1世、その子のセミョーン、イヴァン2世、ドミトリー・ドンスコイ、ヴァシリー1世に対し、「全ルーシの大王(Μέγας ῥὴξ πάσης Ῥωσίας)」という表記が付されている[3][注 3]。これらの表記はパトリキ(ビザンツの貴族階級)が用いたのみならず、ビザンツ皇帝ヨハネス6世の1347年の書簡にも見られる。おそらく、これらはビザンツ側が一方的に用いただけではなく、ルーシの統治者自身もビザンツへの書簡の中で自称していたと考えられる[3]。 イヴァン3世の印章(1489年頃)。左、時計でいう7時から9時のあたりに全ルーシ 18世紀、ロシア皇帝エカテリーナ2世の命令書では全ロシア(Всероссійская)が用いられている。上から2行目 16世紀、モスクワ大公は自身の称号にツァーリをも用いるようになるが、ツァーリの称号の全名の中に全ルーシ(表記はвсея Росіи等とも)も含まれた。また、併せて「ゴスダーリ(君主[4])」という用語も用いられた。リトアニア大公国に対する領土拡張戦争(モスクワ側から見れば、旧キエフ・ルーシ=全ルーシ領の奪回戦争。)に勝利したイヴァン3世は、「全ルーシの君主(Государь

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ジャート族 – Wikipedia

スーラジュ・マル王 ジャート族(ジャートぞく、英語: Jat People)は、インド北部およびパキスタンに住む民族およびカーストである[1]。 目次 1 概要 2 関連項目 3 脚注 4 外部リンク ジャート族はもともとインダス川下流のシンド州に住んでいたとされ、中世後期に北方のパンジャーブ地方、ヒンドゥスターン平野西部へ移動して、現在はおもにハリヤーナー州、パンジャーブ州などに住み、宗教はヒンドゥー教、イスラーム教、シク教などである。 ジャート族は17世紀にムガル王朝に対してたびたび反乱を起こし、18世紀にスーラジュ・マルの時代には頂点に達した。ジャート族社会はもともと農耕社会であったが、近世になり都会に住み、裕福な人たちも多い。 現在ジャート族はインドのハーリヤーナ州・パンジャーブ州以外の7つの州で「その他後進階級(英語版)」と認定されているが、2016年ハーリヤーナ州ロータク県(英語版)などのジャート族はOBCに相当する優遇措置を求めて暴動を起こしている[2][3]。 関連項目[編集] スーラジュ・マル(バラトプル王国の君主) チャラン・シング(Charan Singh、ジャート族出身のジャナタ党のインド首相1979-1980)

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スレーター則 – Wikipedia

量子化学において、 スレーター則 (Slater’s rules) とは、有効核電荷の具体的な値を与える法則である。多電子原子では、各電子は別の電子による遮蔽により実際の核電荷よりも小さな電荷しか感じない。スレーター則により、原子の各電子について実際の核電荷と有効核電荷を以下のように関連付ける遮蔽定数 s (S または σ と表記することもある)の値を得ることができる。 Zeff=Z−s{displaystyle Z_{mathrm {eff} }=Z-s} この法則はジョン・C・スレイターにより半経験的に導出され、1930年に公表された[1]。 ハートリー・フォック法による原子構造計算に基づいた修正値がエンリコ・クレメンティ(英語版)らによって1960年代に公表された[2][3]。 まず、[1][4]電子を主量子数(英語版) n に従って昇順、 n

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イオンプロダクトファイナンス – Wikipedia

イオンプロダクトファイナンス株式会社(AEON Product Finance Co., Ltd.)は、東京都千代田区に本社を置くイオングループの金融会社。旧商号は東芝ファイナンス株式会社。 割賦販売、信用保証、債権買取、集金代行などの個人向け事業を行う金融会社。かつては株式会社東芝の完全子会社で、東芝クレジット株式会社及び東芝不動産総合リース株式会社(現・野村不動産ビルディング株式会社)のリース事業を統合し、2002年に現在の形となった。 2013年5月に東芝グループを外れイオンフィナンシャルサービスの傘下となったことでイオングループ入りし[2]、同年10月に商号変更した。なお、グループ並びに商号変更後も東芝グループ社員向けクレジットカード、東芝ストアー向けクレジットカードの取り扱いは継続され、東芝グループとの関係は保持された。また、社名は有効期限更新時に順次新社名入りのカードが発送されるが、クレジットカードの名称そのものは従来通りとなる。その後、2017年に東芝ストアー向けクレジットカードのサービスを終了、東芝グループ社員向けクレジットカードの大半の業務を提携カード会社に移管するなど、東芝向け事業は縮小傾向にある。 元々、オートローン分野では他社(オリコ・アプラス・ジャックスなど)信販会社などと比べる加盟店数がかなり少ない為取扱高が伸びなかった。(東芝子会社時) しかしイオングループ入り後、イオングループに勤める従業員向け・イオンカード会員(一般顧客含む)向けの低金利オートローンなどで他社信販と差別化を図りつつ 加盟店外のディーラーでの購入車についてもオートローン契約を結ぶことが可能にし申込み・審査結果・契約書類発行などを顧客自身がPC・スマートフォンなどで実行・確認することができるWEBマイカーローンなどの取扱いで 順調に取扱高を増やしている。 年間割賦取扱高は1650億6900万円。(2015年3月決算) 1959年(昭和34年)4月以降、東芝商事株式会社の割賦販売部門の会社が全国に設立される。 1968年(昭和43年)10月 – 東芝商事系の割賦販売会社9社が統合し東芝クレジット株式会社を設立。 1980年(昭和55年) 2月 – 東芝総合ファイナンス株式会社を設立。

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オオカサマイマイ – Wikipedia

オオカサマイマイ Videnoida horiomphala は、カタツムリの1種。平らな傘状の殻を持ち、沖縄本島近辺に分布する。 殻は半透明がかった黄褐色をしており質は薄く、中央が高く盛りあがらないので横から見るとごく薄いレンズ状をしている。殻の高さは5-7mmしかないが、殻径は17-25mmあり、比較的大きなカタツムリである。螺層は6.5捲き、殻の縁は鋭い稜になっている。臍孔は大きくて浅く、その縁は角張る[3]。生きているときは半透明の殻を通して軟体部の斑模様が透けて見える[4]。 分布と生息環境[編集] 北では鹿児島県の薩摩半島、奄美大島、徳之島、それに沖縄本島と近辺の久米島、平安座島、宮城島[要曖昧さ回避]、伊平屋島、伊是名島に分布する。トカラ列島、屋久島、種子島では報告がない。 森林内で朽ち木に付着している状態で発見されることが多い[5]。 カサマイマイ科はインドから中国までの東南アジア、フィリピン、メラネシア、ポリネシアの一部にかけて9属ほどがあり、日本には本種を含むカサマイマイ属の3種がある。 日本には本種の他に以下の2種がある。 Videnoida カサマイマイ属 V. guldiana タカカサマイマイ V. carthcartae ツヤカサマイマイ タカカサマイマイは本種より小柄で殻は高く盛りあがり、屋久島、種子島から中之島、口之島、口之永良部島、奄美大島まで分布する。ツヤカサマイマイは殻底につやがあり、臍孔の縁が角張らないもので、石垣島、西表島と与那国島に産する。なお、この種のタイプ産地は宮古島だが、現在は見られないとのこと[6]。 ^ 【貝類】環境省第4次レッドリスト(2012) ^ オオカサマイマイ

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