高山清司 – Wikipedia

髙山 清司(たかやま きよし[1]、1947年9月5日[2] – )は、日本のヤクザ。特定抗争指定暴力団・六代目山口組若頭と三代目弘道会総裁を兼務する。

六代目山口組第二の有力者と目される人物で、警察庁の報告書は、僅か26年という短期間で弘道会という組織を4,000名の人員を擁するまでに強化した張本人(中心人物)と名指した[3]。六代目山口組組長・司忍が銃刀法違反の罪で服役していた時期(2005年 – 2011年)には、山口組の「事実上の最高指導者」とされていた[4]

生い立ち[編集]

1947年(昭和22年)に愛知県津島市で生まれる[5]。少年時代は野球に打ち込んでいた。しかし、高校時代に野球ボールを顔面に受け、右瞼の神経と筋を切る怪我を負う。これがもとで瞼が常に垂れ下がる状態となり、現在の片目を瞑る特徴的な容貌となった[6]。その後、喧嘩沙汰を起こし高校を中退する。

暴力団への加入[編集]

1967年(昭和42年)、20歳で山口組系弘田組傘下の佐々木組に加入する[7]。1969年(昭和44年)に弘田組と独立組織・大日本平和会との間で、組員の移籍に関するトラブルが生じる。すぐさま件の組員の移籍先である弘田組系神谷組が襲撃を受け、死傷者を出す事態に発展した。

この報復に動いたのは、髙山の所属する佐々木組と司興業であり、司興業組長・司忍の指揮のもと髙山は、大日本平和会系豊山一家組長・豊山王植の殺害に関与する。事件後、懲役4年の判決を受けた[8]。出所後に佐々木組若頭に就任し、同組内に髙山組を結成する。1976年(昭和51年)には弘田組の直参に昇格し、1980年(昭和55年)には若頭補佐に昇格する。

1984年に弘田組の後継組織である弘道会が発足した後も継続して若頭補佐職を務めて1989年(平成元年)には若頭に昇格した。

山口組直参昇格[編集]

2005年(平成17年)3月には弘道会の二代目を継承する。翌4月に五代目山口組の直参に昇格し、同年7月に司忍を首領に据えた六代目山口組の発足と同時に、司が務めていた若頭の役を引き継ぐ[9]

2013年には、後述する恐喝事件での収監を見越して「子分中の子分」とされる竹内照明に弘道会の跡目を譲る。自身は弘道会の総裁に就任する[10]

六代目山口組の発足に伴い若頭の役に就いて以降は神戸市内の私邸に居住し、平日は午前から夕方頃まで山口組の総本部へ詰め、週末のみ名古屋に帰省する生活様式となっている。私邸は新神戸駅近くの高台に位置し、入り口には防弾仕様と見られるステンレス製の門と監視カメラが四方に配置され、さらに護衛を担う組員の詰め所と見られる4階建てのビルが隣接する。内部では10数台のモニターで接近者の監視を行うという警備体制が敷かれており、2008年に立ち入った捜査員は“砦のようであった”と発言した[11]。また、三重県桑名市にも別宅を所有する。

後縦靭帯骨化症の持病を抱えており[12][注 1]、2012年11月に京都地方裁判所に出廷した際には、首にコルセットを装着して杖をつく状態であった[13]。また、後述する恐喝罪で服役した際、刑務所内の医療体制が不十分であることを理由に国を提訴した[14]。2019年10月18日に刑期を終えて出所し、名古屋への移動のため品川駅を訪れた際も首にコルセットを装着する姿が目撃されている[15]

恐喝事件(2010年)[編集]

2010年11月18日[16]、建設業に従事する京都府の男性を恐喝した容疑で逮捕された。司忍が服役していた最中の出来事であり、山口組の「事実上の指導者」の歴史的逮捕であった[17]

いずれにしても件の逮捕は警察当局による“山口組壊滅作戦”の一環にあたるものとされた出来事で、それからわずか2週間後には六代目山口組第三の有力者と目される宅見組組長の入江禎総本部長が逮捕されるに至っている[18]

逮捕後の経過[編集]

逮捕後は京都拘置所に勾留されていたものの、病気を理由に2012年1月20日から同年2月20日まで勾留停止となる[19]。同年6月には京都地裁の決定に基づき保釈となった。保釈保証金は15億円。異例の高額であった[20]

2013年3月に京都地裁で恐喝罪で有罪となり懲役6年の判決が言い渡された。

服役[編集]

2014年6月に上告を取り下げ、実刑が確定する。同年12月に府中刑務所に収監され、2019年10月18日に出所した[21]

金融制裁指定[編集]

2012年に、山口組のナンバー2にあたる人物として、アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマの号令による金融制裁(国際緊急経済権限法・大統領令13581号[22])の対象人物となった[23]。この金融制裁措置は同時に、山口組のトップにあたる篠田建市をはじめ、「ブラザーズ・サークル」(ロシアンマフィア)、「カモッラ」(イタリア)、ならびに「ロス・セタス」(メキシコ)、以上3種の国際的な犯罪組織の関係者らを対象としたものであった[24]

注釈[編集]

  1. ^ 国指定の難病であり、脊椎の異常で重症化すると歩行に支障をきたす。

出典[編集]

関連項目[編集]