さらば青春の光 (映画) – Wikipedia

さらば青春の光』(原題:Quadrophenia[2])は、1979年のイギリス映画である。1960年代初期のイギリスに実在した二つの若者集団である「モッズ」と「ロッカーズ」の対立を軸に、あるモッズの熱狂的な青年が全てを失っていく姿を通じ、沈滞したイギリス社会の閉塞感や、若者の疎外感を描いている[3]

コッツウォルズにあるCotswold Motor Museumに展示されるエースのスクーター(再現品)とモッズファッションの人形

イギリスのロック・バンドのザ・フーが1973年に発表したアルバム『四重人格』(原題は同じくQuadrophenia)を原作とした。

モッズおよびロッカーズのファッションと乗り物(タイトなスーツ、M51 (モッズコート)、ウインドシールドが装備され多数のミラーとライトで飾られたランブレッタ社などのスクーター、ロッカーズのカフェレーサー)、音楽、ドラッグなどの1960年代文化が詳細に再現されている[3]

公開40周年となる2019年にデジタルリマスター版が公開された[3]

作家のピーター・メドウズが映画にインスピレーションを得た小説「To Be Someone」を原作とする続編映画の製作が発表されている[4]

ストーリー[編集]

1964年。広告会社の郵便室係、ジミー・クーパーは、退屈な仕事と両親に幻滅し、10代の苦悩のはけ口として、モッズ仲間とともに、乱交パーティー、改造スクーターでの暴走、アンフェタミン(覚醒剤)の乱用、そして、敵対するロッカーズたちとのケンカに明け暮れていた。敵対するロッカーズには、ジミーの近所に住む幼なじみのケヴィンがおり、対立が激化する中にあってもふたりは友情を保っていた。ある晩、モッズ仲間の通称「スパイダー」がロッカーズたちの襲撃に遭い、重傷を負った。モッズたちは報復として、ロッカーズのケヴィンがひとりになったときに襲撃する。いたたまれなくなったジミーは、ひとりでその場から走り去る。

ジミーたちのドラッグ中毒はやがて深刻な状態となり、薬局での窃盗や、職場の無断欠勤を起こすようになる。

モッズとロッカーズとの一連の対立は激しさを増し、ある月のバンク・ホリデーに、海沿いの町・ブライトンで起きた大乱闘で頂点に達する。警察が出動し、若者たちをつぎつぎと逮捕する。ジミーは想いを寄せている女性・ステフとともに路地裏へ逃げ込み、ふたりはそこで愛し合う。やがてジミーは警察に見つかり、逮捕される。

護送車の中でジミーは、モッズのカリスマ的存在であり、ジミーにとっても憧れの存在であるエース・フェイスと知り合った。裁判で、ジミーは50ポンドの罰金を科せられる。一方エースは、75ポンドの罰金をその場で小切手で払うことを申し出て治安判事をコケにし、傍聴に来たモッズの仲間たちが歓声を上げた。

帰宅したジミーは、息子の部屋でドラッグを見つけた母親から家に入ることを拒否され、そのまま追い出される。さらに、たび重なる無断欠勤と乱闘への関与疑いのために上司と口論になり、衝動的に仕事をやめてしまう。

ある夜、仲間の集まるパブに現れたジミーは、退職金をすべてはたき、ドラッグを購入する。そこでステフとのことを冷やかしたモッズ仲間のデイブを殴り飛ばす。そのときのステフの態度を見たジミーは、ステフがデイブの彼女になったことを悟る。翌朝、ジミーと街で会ったステフは、「ブライトンでのことはただの遊びよ。本気にしないで」と冷たく告げる。ジミーはあてもなくスクーターでさまよっているうちに、郵便車との衝突事故を起こし、自身は無傷であったものの、スクーターは大破してしまう。

ジミーは鉄道でふたたびブライトンへ向かい、乱闘が起きた海岸や、ステフとともに逃げた路地を訪れた。ジミーは街角に、モッズ仕様に改造された銀色のスクーターが停められているのを見つける。そこはホテルで、エースが平凡なベルボーイとして働いていた。これを目撃したジミーは落胆し、スクーターを盗んで、ビーチー岬へと向かった。ジミーは崖下の海岸へ向かって疾走するが、自殺を思いとどまり、スクーターだけを崖下へ落とした。

キャスト[編集]

※括弧内は日本語吹替[5]

サウンドトラック[編集]

1979年10月、サウンドトラック・アルバム『Quadrophenia』がポリドール・レコードから発売された。

ザ・フーの作品以外の挿入歌は以下のとおり。

1993年と2001年には、CDとして再びリリースされた。アルバムは、発売の1年前に亡くなったザ・フーの初代マネージャーであり、有名なモッズであったピーター・ミーデンに捧げられた。

イングランド、ブライトンのイースト通りとリトルイースト通りの間の路地は、主人公のラブシーンのロケ地として有名になった。「マーゲイト出身のクリス」の落書きの右側にある小さな庭には、しばしば人が訪れ、訪れたことを示す落書きを残していく。左へ向かうと、イースト通りに出られる。

ザ・フーはデビュー当時、モッズに非常に人気があった。本作品ではそれを反映して、当時ロック/ポップ音楽専門番組として人気があったテレビ番組『レディ・ステディ・ゴー』で二枚目のシングル「エニウェイ・エニハウ・エニホエア」を演奏する姿をジミーが熱狂して観る場面の他、ジミーの部屋の壁に「Maximum R&B」のキャッチフレーズが書かれたザ・フーのポスターや写真が貼られていたり、ジミーがパーティーで三枚目のシングル「マイ・ジェネレーション」のレコードをかけたり、など、ザ・フーが様々な形で登場する。

本作制作中、ザ・フーのドラマーであるキース・ムーンが死去。監督のフランク・ロッダムは、映画の制作を中止する意向であったが、プロデューサーのロイ・ベアードとビル・カーヴィッシュリーが「一緒にまとめあげて」制作が続行された。

スタジオ内での撮影は作中の1シーンのみで、ほかのすべてのシーンはロケーション撮影で撮られた。

ラストシーンのロケ地であるビーチー岬は、実際に自殺の名所として知られ、これが映画の結末に影響を与えたと考えられている。スタントコーディネーターはスクーターがビーチー岬を走り去った後に空中を飛ぶ距離を控えめに考えていたため、ヘリから撮影していたロッダム監督は危うくスクーターと接触しそうになった。

60年代のロンドンミュージック界のDJかつダンサーであるジェフ・デクスターはクラブの場面でDJを演じ、クレジットされていないが、ダンス場とクラブのシーンでの500人のエキストラの振り付けを担当し、クローズアップされたスティング演じるエースのダンスの足の動きも振り付けた。

ザ・フーのギタリストで原作『四重人格』の全曲の作者であるピート・タウンゼントは後年、ジョン・ライドンにジミー・クーパー役を演じて欲しかった、と語っている。

参考資料[編集]

  • Ali Catterall and Simon Wells, Your Face Here: British Cult Movies Since The Sixties (Fourth Estate, 2001), ISBN 0-00-714554-3

関連項目[編集]

外部リンク[編集]