アイアン・デューク (戦艦) – Wikipedia
艦歴 | |
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発注: | 1911年 |
起工: | 1912年1月12日 |
進水: | 1912年10月12日 |
就役: | 1914年3月 |
退役: | 1946年 |
その後: | スクラップとして売却 |
除籍: | 1948年 |
性能諸元 | |
排水量: | 基準:25,000トン、 満載:30,380トン |
全長: | 622 ft 9 in |
全幅: | 90 ft |
吃水: | 32 ft 9 in |
機関: | パーソンズ式蒸気タービン4基 ヤーロウ缶18缶4軸推進 29,000 馬力 |
最大速: | 21.25ノット |
兵員: | 925名 |
兵装: | 45口径13.5インチ連装砲 5基 45口径6インチ単装砲 12 門 20口径3インチ単装高角砲 2門 21インチ水中発射型魚雷発射管 4基 |
アイアン・デューク(HMS Iron Duke)は、イギリス海軍の戦艦。アイアン・デューク級戦艦の1番艦。艦名はワーテルローの戦いでナポレオンを破った初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの愛称にちなむ。
アイアン・デュークは1912年1月12日にポーツマスで起工された。1914年3月の就役後は、ジョージ・キャラハン提督の旗艦として本国艦隊に所属した。1914年8月の第一次世界大戦開戦に伴いキャラハン提督はジョン・ジェリコー提督と交代する。本国艦隊は戦時編成で、主力部隊としてドイツ大海艦隊に対抗した「大艦隊」(グランド・フリート)と海峡艦隊に改編され、ジェリコー大将は8月4日付で新編成の「大艦隊」(グランド・フリート)司令長官に任じられた。1916年5月31日にアイアン・デュークは第4戦艦戦隊第3戦艦隊の先頭艦としてユトランド沖海戦に参加し、戦艦部隊のほぼ中央を占位しつつ(第1戦艦隊~第6戦艦隊までの、各隊戦艦4隻からなる6個小隊が横6列で戦場へ到着し、アイアン・デュークを含む第3戦艦隊はそのほぼ中央を占めていた)主砲90発を放ち、独戦艦ケーニヒに命中弾7発を与えたほか、駆逐艦S35を撃沈する成果を挙げた。その後1916年12月、ジェリコー大将は海軍第1本部長に任命され、本艦は後任の「大艦隊」司令長官デヴィッド・ビーティ提督の旗艦となるが、旗艦は間もなくクイーン・エリザベスへ変更された。
戦後アイアン・デュークは地中海艦隊に配属され、ジョン・デ・ローベック提督の旗艦となる。アイアン・デュークは1929年に退役するまで地中海艦隊、大西洋艦隊での任務に従事した。その後は第二次世界大戦が始まるまで訓練艦として使用され、第二次世界大戦の間はスカパ・フローで基地として使用された。1939年に攻撃を受け浸水、その後再浮揚され大戦の終わりまで使用された。1946年にスクラップとして売却され、1948年にグラスゴーで解体された。アイアン・デュークの船内時鐘はウィンチェスター大聖堂に展示されている。
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