マクシス – Wikipedia

マクシスMaxis)は、アメリカ合衆国のコンピュータゲーム開発スタジオであり、エレクトロニック・アーツの一部門。

1987年に設立され、1989年に『シムシティ』を発売し大ヒットとなる。その後、『シムピープル』(The Sims)およびその続編『ザ・シムズ2』を制作した。

『シムシティ』の続編など一連のシムシリーズをリリースしたが、1997年にエレクトロニック・アーツに買収・吸収され、その一部門となった。

発表タイトルの大部分はシミュレーションをベースとしている。創始者のウィル・ライトはそれを「digital playgrounds」としてたとえている。また、『A列車で行こう』のように、当時はあまりヒットしていなかった作品もリリースしていた。

名前の由来は “Six AM“(午前6時)を逆から綴ったものであることがウィル・ライトから語られている[1]

また、マクシス株式会社として日本(恵比寿)に進出して間もない頃は、会社名をマキシスと表記している例が見られた。こちらも現在はエレクトロニック・アーツに買収・吸収されたため、マクシス株式会社は存在しない。

設立と黎明期[編集]

1987年にウィル・ライトと「idea guy」と呼ばれたジェフ・ブラウン英語版によって、1989年にブローダーバンド社の協力の下、家庭用コンピュータで動作する『シムシティ』を発売するために設立された。『シムシティ』は「勝利」か「敗北」を明らかにする従来のようなゲームでは無く、これ以前のゲームのように、コモドール64において販社が興味を示した物ではなかったからである。その後『シムシティ』は長い間、もっとも有名で成功したビデオゲームのタイトルとなった。

『シムシティ』シリーズはその後、『シムシティ2000』(1993)、『シムシティ3000』(1999)、『シムシティ4』(2003)とリリースされた。また、1990年代に『ロボスポーツ』などのいくつかの非シムシリーズもリリースした。

『シムシティ』シリーズのそのような成功の後で、マクシスは「シム」を冠する、色々なタイトルを試みた。これらの試みのいくつかが『シムアース』、『シムアント』、『シムタワー』(ザ・タワー)、『シムライフ英語版』、および『シムファーム』である。しかしこれらは、『シムピープル』を例外として、オリジナルの『シムシティ』とは違いヒットしなかった。

衰退期[編集]

『シムシティ』の大成功の後に、マクシスは新しいエリアに入ることを試みた。しかしながら、Crystal Skullと『シムコプター』を含んだ彼らの新しいゲームは商用的に失敗だった。 さらに、Crucibleと呼ばれるゲームを作成するためにゲームクリエイターを獲得した。損失の拡大と方針の不足は、マクシスが獲得の申し出を考え始めるように導きはじめた。

EAによる買収後[編集]

エレクトロニック・アーツ(EA)は、1997年7月28日にマクシスの買収を完了した。Origin SystemsやWestwood StudiosなどのEAによって買収された他の会社と比べて、マクシスの吸収はより遅いペースを取り、会社はウィル・ライトを含めたオリジナルのスタッフの何人かを保持し、マクシスのロゴの下で、製品も出荷されている。後に製品のロゴはEAにかわっていったが、現在でもマクシスが開発者である製品には、製品の箱やゲーム開始時には、マクシスのロゴが出てくる。

ザ・シムズ[編集]

その後のマクシスの最も成功したシリーズは『ザ・シムズ』(日本語版は『シムピープル』、開発名ドールハウス)である。マクシスはオンライン版『シムズオンライン英語版』を含めた、7つの拡張パックをリリースした。2004年には、オリジナルの疑似3Dとは対照的に完全3D環境に変化した、続編の『ザ・シムズ2』をリリースした。これ以後しばらくマクシスのロゴはゲームに現れなかったが、さらに続編の『ザ・シムズ3』で、2013年以降の拡張パック及び修正パッチの適用により、オープニングでマクシスのロゴが現れるようになった。

エレクトロニック・アーツ吸収以前に発売されたゲーム[編集]

マクシスがローカライズした日本作品[編集]

外部リンク[編集]