德永英明 – Wikipedia

徳永 英明(とくなが ひであき、1961年〈昭和36年〉2月27日 – )は、日本のシンガーソングライター、俳優。本名、德永 英明(読み同じ、正確には「英」の草冠は四画[注釈 1]のもの)

福岡県柳川市生まれ、兵庫県伊丹市育ち。身長175cm。所属レコード会社はユニバーサルミュージック。公式ファンクラブは「TONY’S CLUB」である。名前に使われている徳の字および英の字は正しくは、戸籍と同じ旧字体である。2002年11月14日のもやもや病による活動休止からの復帰会見以降、本名の旧字体表記で活動を始めたため、近年では各種メディアで旧字体表記が増えているが、文字化け等のリスク回避のため本項目では新字体を使用する。

生い立ち[編集]

福岡市立別府小学校、伊丹市立南中学校、伊丹市立伊丹高等学校を卒業後、大阪の観光専門学校(のちに中退)へ。

中学2年の時にラジオから流れてくる音楽に励まされ勇気をもらっていた。中学3年生の時に、井上陽水の「氷の世界」を聴いて衝撃を受け、音楽で自分を表現したいと思うようになる。

デビューまで[編集]

専門学校を中退後、19歳の時に上京、アルバイトをしながらミュージシャンを目指す。レコード会社近くの飲食店などで働き、顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。またこの頃から新宿ルイードで定期的にライブを行う。父親から「25歳までにデビュー出来なかったら、自分と同じ保険の営業マンになれ」と忠告された[2]

オーディション番組『スター誕生!』第44回決戦大会に出場。山下達郎の「RIDE ON TIME」を熱唱するが、惜しくもスカウトされず。同じ日に松本明子(渡辺プロダクションからスカウト)、本田美奈子も出場していた。デビューのきっかけを求め22歳で俳優養成校TBS緑山塾入塾。

1985年8月、第2回マリンブルー音楽祭においてグランプリ受賞。

1985年、上記マリンブルー音楽祭を主催する上野義美が1982年に立ち上げたミニFM局「KIDS RADIO STATION」(通称:KIDS)[注釈 2]制作・総指揮をとるロックミュージカル「はらじゅくグラフィティ」の概要を発表[注釈 3]。徳永もオーディションに参加する。オーディション参加者にミュージカルスターやダンサーを目指す者も多く激戦であった。最終オーディションではSAM(のちにTRFに所属)と徳永が競い、役柄のイメージとルックス、歌唱力が抜きん出ていた[注釈 4]徳永が主演・トニー役を射止める。のちに設立されるファンクラブ名「TONY’S CLUB」は、この公演の役名から拝借した。同年10月、東郷神社特設ステージにて10日間の公演が行われた。共演は七瀬なつみ(本名・滝沢美千代名義)など。

プロデビュー[編集]

1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル「Rainy Blue」でRadio Cityレコードよりレコード・デビュー。先述の父親との「25歳まで」の約束ギリギリの24歳10ヶ月でデビュー[2]。24日に新宿ルイードでメジャーデビューライブ。

同年2月8日、朝日放送(ABC)『ヤングプラザ』出演、「Rainy Blue」を歌う。メジャー・デビュー後初のテレビ出演。

同年4月15日、オフィシャルファンクラブ「TONY’S CLUB」設立。

1987年、Radio Cityレコードを同じ文化放送と渡辺プロダクションの合弁会社であったアポロン(後のバンダイ・ミュージックエンタテインメント)に統合、業務移管。徳永もアポロンへ。

「輝きながら…」のヒット[編集]

同年8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」が、徳永自身初めて週間オリコンチャートの10位以内に入るヒット曲となる[3]。またTBSテレビ系『ザ・ベストテン』や、日本テレビ系『歌のトップテン』に初ランクインを果たした。

1988年12月14日・12月15日、初の日本武道館コンサート。TBS緑山塾時代に宣言した、「5年後に武道館でライブをやりたい」目標を実現させた。

1989年12月28日、フジテレビ系ドラマ『悲しいほど好き! 〜Mr.ダンディお嬢様に恋をする〜』の神崎邦彦役でテレビドラマ初出演&初主演。

事務所独立[編集]

1990年、事務所を独立。プライベートオフィス「マゼラン」設立。

同年1月16日、シングル「夢を信じて」をリリース。テレビアニメ『ドラゴンクエスト』主題歌。現時点で同曲が、徳永自身最大のシングル売上数・39.7万枚(オリコン)を記録[3]

同年7月7日、シングル「壊れかけのRadio」をリリース。本人も出演したTBS系金曜ドラマ『都会の森』主題歌。前作「夢を信じて」に次ぐ売上数・36.6万枚(オリコン)を記録[3]。当時の徳永はヒット曲を生み出す重圧に苦悩しながらも、中学生の頃に純粋に音楽と向き合っていた頃の自分を思い出し、同曲を書き上げたという[2]

同年10月9日(トクの日)、アルバム『JUSTICE』をリリース。

1991年3月、徳永自身初めてのCM出演・カネボウ「ZENITH」(男性化粧品)がオンエアされる。

同年4月10日、上述のカネボウ化粧品・CMソング「Wednesday Moon」をリリース。4月22日付で自身初となる週間オリコン1位を獲得[2]

同年9月5日、月桂冠のCMソングに採用された「LOVE IS ALL」をリリース、自身3番目のシングル売上数・35.4万枚(オリコン)を記録[3]

1993年1月、声帯ポリープ手術のため、ツアーを延期。

同年2月、児童環境づくりのための期間限定ユニット「USED TO BE A CHILD」に参加。『僕らが生まれたあの日のように』をリリース。

結婚〜レコード会社移籍[編集]

1994年9月、元モデルの女性との結婚を発表。

1995年、第一子誕生。

1996年、レコード会社「アポロン」が「バンダイ」に吸収され「バンダイ・ミュージックエンタテインメント」となる。

1997年11月、進むべき道を見失い、原点に戻る意味でシングル「Rainy Blue 〜1997 Track〜」をリリース。ベストアルバム『Ballade Of Ballade』をリリース。初のバラード・コンサートを行う。

1998年、第二子誕生。スペインに単身で渡り、充電期間を過ごす。レコード会社をキングレコードへ移籍。

2000年、バンダイ・ミュージックエンタテインメント解散により、同社から販売されたCD・ビデオなどが回収。

もやもや病の発症[編集]

2001年1月6日より、TBS『スーパーサッカー』メインパーソナリティーを務める。

2001年5月、もやもや病[注釈 5]のため、コンサートツアーを中止。『スーパーサッカー』降板。

2002年11月、もやもや病を克服。レコード会社をユニバーサルミュージックへ移籍、活動再開。

2003年5月、よみうりランドにて野外ライブ「赤い太陽の日」を開催。以後、夏恒例のイベントとなり、2009年まで7回連続で開催。

カヴァーアルバム『VOCALIST』のリリース[編集]

2005年、女性ヴォーカルの曲をカヴァーしたアルバム『VOCALIST』をリリース。

2006年、デビュー20周年記念のベストアルバム『BEAUTIFUL BALLADE』をリリース、コンサートツアー「Beautiful Ballade」・「Beautiful symphony」を行う。また、2作目のカヴァー・アルバム『VOCALIST 2』をリリース。年末には第57回NHK紅白歌合戦に初出場、『壊れかけのRadio』を披露。

2007年5月、奈良の薬師寺で行われた「“Present Tree Live〜音楽の力で森をつくろう〜”薬師寺本尊開眼1310年記念奉納コンサート」に出演。3作目のカヴァー・アルバム『VOCALIST 3』をリリースした。

2008年、ベストアルバム『SINGLES BEST』とカップリング曲を集めたベストアルバム『SINGLES B-SIDE BEST』を同時リリース。

2010年、4作目のカヴァー・アルバム『VOCALIST 4』をリリース。徳永は1980年代から2010年代までの4つの西暦10年代連続でアルバム首位を獲得(1980年代:『BIRDS』、1990年代:『JUSTICE』・『Revolution』、2000年代:『VOCALIST 3』・『WE ALL』、2010年代:『VOCALIST 4』)。男性アーティストによる4年代連続のアルバム首位獲得は徳永が初(女性アーティストを含めると、1970年代~2000年代まで4年代連続でアルバム首位を獲得した松任谷由実以来、2組目)。

近況[編集]

2016年2月22日、もやもや病による脳梗塞発症予防のため左複合バイパス手術を行う[4]。3月11日、退院[5]。3月いっぱい加療のため活動を休止[4]

同年7月と8月に急性咽頭喉頭炎のため、全国ツアー「30th ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2016」の一部公演を延期[6]

2018年9月、軽度の脳梗塞を発症し入院[7]。予定されていた公演を延期。9月11日、退院[8]。10月7日の大阪公演から全国ツアー再開[9]。12月5日、移動の新幹線車中で体調不良を訴え、「過度の肉体疲労による過換気症候群」と診断され、翌6日に予定された富山公演を延期[10]

  • 音楽活動以外にも、映画『シンガポール・スリング』(1993年公開)の企画・原案、TBSドラマ『都会の森』(1990年)に俳優として出演、ラジオ番組『フロムCサイド』の進行、TBS『スーパーサッカー』の司会なども歴任している。
  • 卵料理は好きだが玉子豆腐が嫌い。
  • 埼玉西武ライオンズのファン。
  • 日常会話では関西弁を話すが、テレビ番組のインタビューでは九州なまりが時々出ている。
  • 大橋卓弥は、好きな歌手として徳永を挙げており、『ミュージックフェア』や『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』等の音楽番組で幾度か共演している。また、2008年には大橋の3枚目のソロシングル『SKY』のカップリング曲として徳永の楽曲『永遠の果てに』のカヴァーが収録(このカヴァーに徳永も参加している)。
  • ダウンタウンと交友がある。松本隆博は中学時代の同級生で友人で、浜田雅功の実家の隣人宅が徳永の友人宅であったため、徳永が『HEY!HEY!HEY!』へ親友とその妹を連れて浜田と対面させた。時代的な背景もあるが親友は相当なヤンキーであったらしく、浜田はそれ以降徳永を「お兄やん」と呼ぶようになった。
  • デビュー前にアルバイトでレーザーディスクカラオケ映像に出演。サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」や中井貴一の「青春の誓い」など。
  • 2006年『NHK紅白歌合戦』に初出場したが披露された「壊れかけのRadio」はリハーサルでは上げて歌う部分を下げるなど本来の歌い方より崩して歌った。そのリハーサルを見ていた白組司会の中居正広から「何でそんなことするんですか。ちゃんとCD通りに歌って下さいよ。」と言われそれを聞いたとき「テレビの前の人たちは、この曲をCD通りに歌うことを望んでいるに違いない」と思ったが、結局本番では下げた歌い方で披露された。
  • 以前は喫煙していたが、もやもや病復帰後からは禁煙しており出来るだけ副流煙も吸わないよう努めている。
  • 芳香を好み、コンサート会場や収録スタジオでアロマオイルを焚くこともある。
  • 1987年10月29日の『ザ・ベストテン』に出演時「輝きながら…」を歌った際、歌う徳永のバックでハゲた男性たちが一斉に野球帽を取るというドッキリを仕掛けられたことがあった[11]
  • 1988年3月10日、浅間神社で「風のエオリア」のヒット祈願を行い、そのまま同地から「ザ・ベストテン」に中継で生出演した際、歌い終えた直後に突然倒れ救急車で搬送された。この出来事の後、高音が歌えるようになった[11]
  • 2005年、日本テレビ『いつみても波瀾万丈』にて、曲が少し売れただけで天狗になり高飛車に振る舞う自分を周囲のスタッフが改めさせてくれたエピソードを話した。
  • 2011年、毎日放送(TBS系列)『EXILE魂』にて、EXILEのボーカルATSUSHIに捧げる形で徳永が「壊れかけのRadio」を披露。聴き終えたATSUSHIが涙する場面があった。
  • 2017年8月放送の「ミュージックフェア」で、デビュー前新宿ルイード2階でバーテンダーのアルバイトをしていた時、ルイードでライブをしていたシャネルズのリーダー鈴木雅之に靴を踏まれたこと・握手してもらったエピソードを披露。その時のシャネルズが物凄くファンと盛り上がっていたのを見て、それに憧れを抱いたことも話した。

ディスコグラフィ[編集]

德永英明のディスコグラフィ
リリースリスト
スタジオ・アルバム 18
ライブ・アルバム 3
ベスト・アルバム 16
シングル 54
映像作品 28
カヴァー・アルバム 6
ボックス・セット 8

シングル[編集]

アルバム[編集]

オリジナルアルバム[編集]

ベストアルバム[編集]

カヴァーアルバム[編集]

オリコン調査では、シリーズ累計売上は300万枚を突破した。出荷枚数は350万枚を突破[14]

ライブアルバム[編集]

ボックス・セット[編集]

発売日 タイトル 規格品番 最高位[13][15][12]
キティMME
1st 2001年12月5日 一期一会 徳永英明15周年スペシャルメモリアルボックス UMCK-1079/83
ユニバーサルミュージック
2nd 2002年11月20日 Presence 1986-1998 Complete Box UMCK-9023 98位
3rd 2002年11月20日 Hideaki Tokunaga Live & Clips DVD〜魚達の記録〜 UMBK1041/5
ユニバーサルシグマ / A&Mレコード
4th 2008年4月9日 VOCALIST BOX UMCK-9207/9(初回盤A)
UMCK-9210(初回盤B)
UMCK-9211/6(初回盤C)
UMTK-9001/3(カセット盤)
7位
5th 2009年2月25日 SINGLES BEST BOX UMCK-9264/7(パターン1)
UMCK-9268(パターン2)
40位
6th 2010年3月31日 2009 Live Special Edition UMBK-9219
7th 2010年12月29日 25th Anniversary Premium Box DVD UMBK-9229/47 29位
8th 25th Anniversary Premium Box Singles UMCK-9401/46(CD MAXI)
UMEK-9001(USB)
100位

映像作品[編集]

ライブ・ビデオ[編集]

発売日 タイトル 規格品番 最高位[15][16]
アポロン
1st 1988年11月21日 LIVE SPECIAL VOL. 1 DEAR 48H-1004(VHS)
2nd LIVE SPECIAL Vol. 2 SOUND SHOWER SINCERELY 48H-1005(VHS)
1988年12月16日 DEAR TO SINCERELY 88AL-1001(LD)
3rd 1989年11月21日 myself Vol. 1 APVF-4001(VHS)
4th myself Vol. 2 APVF-4002(VHS)
1989年12月16日 myself APLF-4001(LD)
5th 1992年7月1日 Revolution on Film APVF-4009(VHS)
APLF-4009(LD)
トニーズグッズ
6th 1998年5月1日 Concert Tour 1997 “Ballade of Ballade” FINAL 完全版 VHS[17]
キングレコード
7th 2000年11月20日 LIVE AND CLIP TRACK KIBM-10/11(DVD)
ユニバーサルミュージック
8th 2003年11月19日 2001 to 2003 僕らの夢は今始まったばかり UMBK-1060(DVD)
ユニバーサルシグマ / A&Mレコード
9th 2005年12月21日 VOCALIST TRACKS UMBK-9132/4(初回限定盤)
UMBK-1185/7(通常盤)
58位
10th 2007年2月28日 Beautiful Lives UMBK-9159/61(初回限定盤DVD-BOX)
UMBK-1117/8(通常盤)
20位
11th 2008年2月27日 薬師寺LIVE UMBK-9198/9(初回限定盤DVD)
UMBK-1125(通常盤DVD)
UMXK-1011(BD)
14位
12th 2008年8月13日 VOCALIST & SONGS〜通算1000回メモリアル・ライヴ UMBK-9200/1(初回限定盤DVD)
UMBK-1130(通常盤DVD)
UMXK-1001(BD)
5位
13th 2009年7月29日 CONCERT TOUR ’08-’09 SINGLES BEST UMBK-1136(通常盤DVD)
UMBK-9209(初回限定盤DVD)
UMXK-1002(BD)
20位
14th 2010年3月31日 CONCERT TOUR 2009 WE ALL UMBK-1146(DVD)
UMXK-1009(BD)
13位
15th A DAY OF RED SUN OF RED SUN VII THE FINAL 赤い太陽の日VII UMBK-1147(DVD)
UMXK-1010(BD)
13位
2009 LIVE SPECIAL EDITION UMBK-9219(初回限定DVD-BOX) 13位
16th 2011年4月13日 Concert Tour 2010 VOCALIST & SONGS 2 UMBK-9233(初回限定盤DVD)
UMBK-1163(通常盤DVD)
UMXK-1008(BD)
26位
17th 2012年5月9日 25th Anniversary Concert Tour 2011 VOCALIST & BALLADE BEST FINAL 完全版 UMBK-9251(初回限定盤DVD)
UMBK-1173(通常盤DVD)
UMXK-1007(BD)
4位
18th 2013年3月20日 Concert Tour 2012 VOCALIST VINTAGE & SONGS UMBK-9263(初回限定盤DVD)
UMBK-1198(通常盤DVD)
UMXK-1022(BD)
20位
19th 2014年3月12日 Concert Tour 2013 STATEMENT UMBK-1209(DVD)
UMXK-1027(BD)
9位
20th 2016年3月30日 Concert Tour 2015 VOCALIST & SONGS 3 UMBK-1232(DVD)
UMXK-1034(BD)
26位
21st 2017年3月29日 30th ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2016 ALL TIME BEST Presence UMBK-1246(DVD)
UMXK-1043(BD)
30位
22nd 2018年3月28日 Concert Tour 2017 BATON UMBK-9299/300(初回限定盤DVD)
UMBK-1259(通常盤DVD)
UMXK-1054(BD)
18位
23nd 2019年6月5日 Concert Tour 2018 永遠の果てに UMBK-1272(DVD)
UMXK-1067(BD)
12位

ミュージック・ビデオ[編集]

参加作品[編集]

非売品CD[編集]

  1. 風の言葉(1990年、べにばな国体 THEME SONG)
  2. I’M FREE…(1998年、Ballade of Ballade memorial CD)
  3. 君のいる場所に僕は生きてゆく(1999年、honesto memorial CD)
    シングル「小さな祈り〜P.S.アイラヴユー」のカップリングとして収録された。曲調はこれとは異なりロック調。ミュージック・ビデオも製作され、「SINGLES BEST BOX」の特典映像として収録されている。
  4. まほろば(2000年、remind memorial CD)
  5. We All(2006年、A Day of Red Sun IV LIMITED SINGLE)
    アルバム「WE ALL」の最後に収録。タイトルを小文字から大文字に変更し発表。歌詞はこれとは異なりThe Best of Glow Tourのエンディング「負けないでどんな時も」歌詞を一部取り入れたもので、曲調も異なる。
  6. ことば(2007年、1000TH Live memorial CD)
    2008年1月10日・11日に配布。後にシングル「愛が哀しいから」、アルバム「WE ALL」に収録。

タイアップ一覧[編集]

楽曲提供[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

ラジオ[編集]

テレビ[編集]

ほか多数

テレビドラマ[編集]

  • 悲しいほど好き! Mr.ダンディーお嬢さまに恋をする(1989年、フジテレビ)- 主演・神崎邦彦 役
  • 都会の森(1990年、TBS)- 日下清彦 役

映画[編集]

  • シンガポール・スリング(1993年) – 原案・エグゼクティブプロデューサー・音楽
  • 旅の贈りもの 0:00発(2006年)

CM[編集]

  • カネボウ「ZENITH」(1990年)
  • トヨタ自動車「アイシス」(2011年)

コンサート[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 名前の「英」の字の草冠:正確には「十」の字を横に二つ間隔を開けて並べたようなもの。異体字セレクタを用いたUnicodeにおける符号位置は U+82F1,U+E0104。
  2. ^ KIDSには無名時代のC-C-B(当時はCoConutBoys名義)やパイナップルボーイズらなどが所属していた。
  3. ^ 同ミュージカル制作は注目され、多くの媒体に告知・宣伝された。テーマ曲を制作した伊藤銀次らも参加したオリジナルサウンドトラックがキングレコードから発売。少女漫画化もされた。
  4. ^ 歌唱審査で徳永は、山下達郎の「RIDE ON TIME」を歌いあげた。
  5. ^ 徳永が発症した当時の正式名称は『ウィリス動脈輪閉塞症』だが、メディアでは通称の『もやもや病』の名称で報道された。『もやもや病』が正式名称になったのは2003年から。

出典[編集]

外部リンク[編集]