石橋貴明 – Wikipedia

石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年(昭和36年)10月22日 – )は、日本のお笑いタレント。1980年に木梨憲武とお笑いコンビ「とんねるず」を結成し、歌手、俳優としても活動。

アライバル所属、同社代表取締役社長。帝京高等学校卒業。

趣味: 野球・ゴルフ・映画鑑賞・酒・料理・競馬

前職はホテルマン。「センチュリーハイアット東京」「ホテルオークラ」に勤務[4]

結婚歴は2回で子供は計4人(4人とも女子)。

元モデルである1人目の妻との間の娘は女優の石橋穂乃香(旧芸名・穂のか)[6]

元妻は、女優の鈴木保奈美。

東京都葛飾区の裕福な家庭に生まれるも、小学一年生の時に父の経営する「石橋化成」が倒産。板橋区成増へ引越、以降は極端な貧乏生活を強いられた。

後に極貧生活状態は改善され、高校生の頃には帝京高校の野球部に所属。喫茶店でインベーダーゲームをやっていたところを同校監督の前田三夫に見つかり、これによって前田から喫茶店とゲームセンターへの立寄禁止処分を受け、野球部のレギュラーも剥奪される。高校3年生の夏の雨の日、監督からの指示であるダッシュ練習をせず、部員全員でサッカーに興じ練習を怠けていた。その時、石橋はゴールキーパーをやっており、監督が入ってきたのを知らず「早く蹴ろよ」と監督に言ってしまい、「お前、何をやってるんだ!」と怒られ、練習を怠けた罰則として次の日からレギュラーの練習メニューから降板。これにより石橋はいわゆる補欠選手に降格となり、試合でもベンチを温める羽目になり「帝京の秘密兵器」と前田に言われ待機していたが、結局試合で起用されず高校野球生活は終わった。以後、前田が名付けた「秘密兵器」ネタは持ちネタとなった[7]

代わりに2学年下(当時1年生)の伊東昭光がベンチ入りすることになった。石橋はこの処分に納得がいかなかったものの、後に伊東の仲裁によって前田と和解した。18歳の時には西武ライオンズの入団テストを受け、一次テストに合格するが二次テストで不合格となってプロ野球入りを断念した[8]

高校の同級生でサッカー部所属の木梨憲武と貴明&憲武を結成。所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』に出場するも、あと一息のところで賞金72万円を獲り逃がす。その後も木梨と共にコンビとして『お笑いスター誕生』など素人参加番組に出演。単身で『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」にも出演した[9][11]

1982年4月、「お笑いスター誕生!!」にて10週勝ち抜きでグランプリを獲得。プロデビュー後2~3年は下積みの日々を過ごしたが1985年頃から売れはじめる。石橋は1987年当時、美空ひばりから「芸能人はね、売れた年から芸能活動をカウントするの。だからあなたたちはまだ2年目」と言われたため、以来芸歴を数えるときに本人は1985年からカウントすることにしている[12]

2005年、『MLB主義』で共演した牛島和彦が監督を務めていた横浜ベイスターズのエグゼクティブ・アドバイザーに就任。

2010年、コンビ結成30周年を迎える。

2012年秋、憧れの先輩でもあるビートたけし[14]と『日曜ゴールデンで何やってんだテレビ』でレギュラー番組で初共演を果たした。現在も単独の番組やCMに出演している。

2016年秋に、MCを務めたTBSテレビで放映された『オール芸人お笑い謝肉祭’16秋』の放送内容について視聴者から抗議の声が大きく、放送倫理・番組向上機構 (BPO) が同年10月25日に審議入りしたことが報道された[15]

2018年4月、『石橋貴明のたいむとんねる』の放送が開始。フジテレビでの単独レギュラー番組は『第4学区』以来。

2019年10月、平山晃哉と神波憲人との3人組グループ『B Pressure』を結成し、音楽活動を開始。10月末に大阪でお披露目ライブを行い、11月1日にインディーズよりデビュー。

2020年6月18日、Twitterアカウントを取得。翌19日、YouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」開設。ともにテレビプロデューサー・マッコイ斎藤からの提言によるものである[16]。7月26日、YouTubeのチャンネル登録者数が100万人を突破[17]

2021年4月4日からは、石橋にとって18年ぶりのラジオレギュラー番組となる『日本生命 presents 石橋貴明のGATE7』がTBSラジオ系列でレギュラー放送開始[18]

芸風・仕事[編集]

テレビカメラ転倒事件[編集]

1985年1月19日放送の『オールナイトフジ』にて「一気!」を熱唱中、石橋がテレビカメラを何度も揺すっているうちに、バランスが崩れてフロアに横倒しになった。倒れたカメラはスタッフがすぐに立て直したが、とんねるずの二人は顔面蒼白であった。木梨は「俺だ俺だ……」と幾度もつぶやき、曲終了後、MC陣がその場を取りつくろった。カメラは倒された際の衝撃で廃棄処分となり、約1,600万円を弁償する羽目になった。保険はあったものの、当時のカメラマンが報告書に「とんねるずの悪ふざけ」と申請したため認められなかったと本人たちはネタとして述べていたが、実際は港浩一が「悪ふざけが過ぎて壊しました」と始末書を書いて納めたこと、しばらくの間石橋に対し「弁償してもらうからな」と脅かしていたことが語られている[19]。その後、フジテレビの歴史や過去を振り返る特番等で、このシーンは繰り返し放送されている。

音楽活動[編集]

『NHK紅白歌合戦』において別名義で2回初出場(1991年:とんねるず、1999年:野猿)。1997年、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画で工藤静香と組んだ“Little Kiss”「A.S.A.P.」(オリコン初登場3位)、また同年、定岡正二・デビット伊東と組んだ“ANDY’S”の「FREEDOM」(作曲:佐野元春)(オリコン初登場10位)をリリース。Little Kissでは当時ヒット曲を輩出していた宝石会社のCMソングに起用、MVでの過激な二人の絡みや、生放送音楽番組「ミュージックステーション」で間奏中にキスをして話題になった。ANDY’Sでは河村隆一やHOUND DOGのライブに飛び入り参加。“関東裸会三羽烏”や、松田聖子との“SEIKO with Crazy.T”でCDリリース。公式のCDリリースのなかったものとしては”矢島工務店”(琴担当)。矢島工務店の流れを汲み、2008年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画として「矢島美容室」が結成、メンバーのプロデュースを行なう(メンバーとは、あくまで別人という設定)。

2019年9月17日、平山晃哉・神波憲人との3人組ユニット「B Pressure」結成を発表、11月1日にシングル「Freeze」をタワーレコード先行リリースでデビュー[20]

俳優活動[編集]

映画『メジャーリーグ2』では謎の日本人選手「タカ・タナカ」というバットを頭で折る型破りな選手として出演。続編にあたる『メジャーリーグ3』にも出演。これがきっかけで石橋は本場のメジャーリーグ選手やファンから「あの日本人選手」として知名度を得る。ハリウッド俳優の労働組合「スクリーン・アクターズ・ギルド」の会員[21]

国内でも三谷幸喜脚本、西村雅彦、飯島直子のトリプル主演映画で1998年公開『今夜、宇宙の片隅で』、議員秘書に焦点を当てた2001年『レッツ・ゴー!永田町』でドラマの主役を演じた。

私生活[編集]

1988年、元モデルの女性と結婚。1989年7月、娘の石橋穂乃香を授かるが、1998年10月離婚[22]

1998年11月13日、女優・鈴木保奈美と再婚を発表。翌日2人で結婚会見を行う[23]。3人の娘を授かるが、2021年7月16日、自身のYouTubeチャンネルで離婚を発表[22][24]。妻の鈴木は「子育てが一段落した事を機に」と離婚理由を説明。[25]

スポーツ[編集]

石橋はこれまでに『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』(テレビ朝日)や『MLB主義』(TBSテレビ)など、多くのスポーツバラエティ番組のMCや企画を担当。スポーツ分野を得意とする。

特に力を入れているのがテニス。『スポーツ王は俺だ!』内のテニス対決で松岡修造に勝利するため、2011年より神和住純らのコーチを受け、以後「趣味はテニス」と公言するまでになった。同番組が縁で錦織圭と親交が生まれ、2012年『情熱大陸』特別企画「石橋貴明が撮る錦織圭」のために7ヶ月に亘り錦織に密着取材した(同年11月放送)[26]

もう一つの趣味は野球で、帝京高校の野球部に所属した。

モータースポーツ(特にF1)にも造詣が深く、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の人気コーナーであった『生ダラ・カートGrand Prix』では自らを『ブラジル出身のカートチャンピオン、アイルトン・タカ』と称し、ジャン・アレジ、中嶋悟、鈴木亜久里ら数多くのF1レーサーとカートで対決した他、ワールドチャンピオン獲得者との対決も実現した。

1993年、当時、日本を含め世界中で絶大な人気を誇っていた音速の貴公子アイルトン・セナ[27]と対決。セナはこれが初のバラエティ番組出演であったが、予選ではコースを逆走。決勝戦ではショートカットや至近距離でのジグザク走行を披露するなど、番組を大いに盛り上げた。結果として石橋は僅差でセナに勝利を収め、[28]ご褒美として日本GPでセナが着用した本物のヘルメットを譲り受け、セナの故郷であるブラジルで再対決する約束を交わしたが翌年のサンマリノGPクラッシュ事故によりセナは急死。事故の2週間後、セナが着用したヘルメットは約束通り石橋に届いたが[29]、再戦の約束は果たされなかった。セナは対決直後に福澤朗[30]から違反行為(ショートカット)について言及された際は「タカが悪いんだもん!!」「彼(の幅寄せ)はまるで、アラン・プロストの様だった」とセナ・プロ シケイン接触事件を例に、石橋の荒々しいドライビングを評した。

2001年、セナと同じくF1四天王に数えられた、荒法師ナイジェル・マンセル[31]と対決。この対決はアイルトン・タカ最後の聖戦として「セナのライバルだったマンちゃん[32]を倒して、トレードマークの口ひげを剃りたい」という石橋の願望から実現。番組初となる海外(イギリス[33])での対決となる。既に現役引退していたマンセルだが、決勝戦でスタート直後に“自ら”スピンしステアリングを悔しそうに叩きながらコースを逆走。スピンターンを行いレース復帰するパフォーマンスを披露。しかし、自ら広げたタイム差を物ともせず、マンセルは現役時代を彷彿とさせる圧巻の走りで石橋を追い抜き勝利。前述の通り『負けたほうはひげを剃る』という約束をしていたため、敗北した石橋は数か月間伸ばしていたひげを剃られカート対決から引退。マンセルはトレードマークの口ひげを剃られず済む[34]

その他[編集]

貧乏でも終生誇りを捨てなかった父・武夫を、貴明は現在も尊敬しており、父は常に貴明の味方だったという。

中学時代に貴明がテレビに出たことを学校側が問題視したが、武夫は「帰宅後は学校の管轄外だ!帰宅後の子供の行動は私が責任を持つ。それを学校がとやかく言うことか!」と怒鳴り込んだことがある。

そんな父は、貴明がデビューして程なく死去。以前より父親がやつれていく姿を見るのを避けていた貴明は、前日まで友人と飲みに行っていたため、それを知った時は「最後の最後に親不孝をした」と、死に目に会えなかったことを後悔したという。

2005年まで一般に公表されていた、高額納税者ランキングにおいて俳優・タレント部門のトップ常連であり、相方の木梨と共にランキング上位に顔を出していた。1980年以降の20年間の芸能人生涯所得ランキングは、1位の小室哲哉に続き2位。

1996年には『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の番組の企画にて、自動二輪免許(400cc)を取得。

浜田雅功(ダウンタウン)の子供と石橋の子供が、通う学校が一緒だったことを浜田が明かしている。浜田によれば、「石橋さんとは学校で会ってた。普通の時は普通にしゃべってるよ。(番組で)共演してないからNGちゃうんかって思われてる」と語っている[37]

相方の木梨と同様、NHK『連続テレビ小説』の作品をよく視聴している[38]

2020年10月10日放送『石橋貴明プレミアム第7弾 芸能界超人No.1決定戦!』で共演したケンドーコバヤシは、「『美保純は俺の青春』って言ってました」と言われ、また「知らないでしょ、美保純の『ピンクのカーテン』?」と質問されたとも回顧し、石橋が自身に放った発言が印象的だったという[39]

『日経エンタテインメント!』2018年7月号掲載のアンケート「嫌いな芸人ランキング」では3年連続となる1位にランクイン(この年はアキラ100%と同率1位)。理由は「高圧的」と見なされる態度が原因と見られる[40]

2018年3月『とんねるずのみなさんのおかげでした』が終了したことでスペシャルを除けばコンビでのレギュラー番組が消滅。その際「とんねるずは死にました」と発言したが、これは長年持っていたレギュラー番組がなくなったことによる喪失感だったことを告白[41]

出演番組[編集]

石橋貴明としての出演作品を記載。コンビでの出演作品はとんねるずの項目を参照。(ゲスト出演番組は除く)

現在の出演番組[編集]

レギュラー番組[編集]

テレビ[編集]
ラジオ[編集]

スペシャル番組[編集]

ネット配信番組[編集]

過去の出演番組[編集]

テレビ

レギュラー番組[編集]

スペシャル番組[編集]

判明分のみ(ゲスト出演番組除く)

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

  • 大塚製薬「UL・OS(ウル・オス)」(2012年4月21日 – )
    • 『ウルオス知ってるか?』篇
    • 『うるおいのあるお肌』篇
    • 『好きよ!ウォッシュ』篇
    • 『今だよ!スカルプ』篇
    • 『日やけ止めな男たち』篇
    • 『大人たちのリフレッシュ』篇
    • 『ウルオスたちと旅に出よう』篇
    • 『ウルオスライフ始まる』篇
    • 『俺たちの冷やしウルオス』篇
    • 『お疲れ顔にピュッ』篇
    • 『朝ウルオス』篇
    • 『泡ウルオス』篇
  • DMM.com証券「DMM FX」(2014年11月14日 – )ローラと共演[48]
    • 『世界第2位ベッド』編
    • 『世界第2位散歩』編
    • 『世界第1位CM』編
  • LINE Pay「Visa LINE Payクレジットカード(LINEクレカ)」(2020年9月18日 – )
    • 『石橋が、3倍還元LINEクレカで、買う。』篇
  • KONAMI「プロ野球スピリッツA」(2021年3月23日 – )ティモンディと共演。
    • 『ソロスピ』篇
    • 『友スピ』篇
  • 第一三共ヘルスケア(アイム)「リゲイン」(2021年4月28日 – )
    • 『お疲れ寝起き篇』
    • 『メイク・着替え後篇』
    • 『移動篇』
    • 『食事&お疲れ篇』
    • 『スチール撮影篇』
    • 『サイン篇』
    • 『ゴルフ篇』
    • 『花束贈呈篇』
  • 森永製菓「おっとっと」(2022年3月18日 – )[49]26年ぶり出演。
    • 『おっとっと40周年ヒストリー with 石橋貴明篇』

ネット配信[編集]

  • ABEMA「石橋貴明プレミアム」
    • 芸能界カジノ王決定戦(2018年8月19日)
    • 芸能界頂上決戦! 貴ヶ原の戦い(2019年3月24日)
    • 急募!石橋貴明と友達になりませんか? 生放送SP (2019年7月2日)
    • 恋する沖縄48時間 ムーンビーチでタカさんチェック! (2019年11月9日)
    • 緊急リモート生放送! 石橋貴明ステイホームプレミアム (2020年5月5日)
    • お笑い給付金withタカさん (2020年7月10日)
    • 芸能界超人No.1決定戦 (2020年10月10日)
    • 恋するシンデレラ! リゾート島(アイランド)でタカさんチェック (2020年12月28日)
    • 超人No.1決定戦 Supported byコミックシーモア(2021年3月20日)
    • THE強運マスターズ(2021年5月7日)
    • 石橋貴明と友達になりませんか?(2021年8月20日)
    • 祝・還暦!俺だってホントは叱られたいんだSP(2021年10月22日)
    • 勝負師石橋3番勝負!タカさんしか勝たん(2022年3月27日)

音楽作品[編集]

単独で活動しているもののみ。コンビでの音楽作品は「とんねるず」を参照。

シングル

デジタル・シングル

アルバム

その他[編集]

  • 「スギノールのテーマ」杉谷拳士選手(日本ハムファイターズ)登場曲(2020年)
    とんねるず「がじゃいも」のサビの一部分を使用。YouTubeの貴ちゃんねるず[1]にてレコーディングの模様がアップされている。

映像作品[編集]

  • 銃声 LAST DROP OF BLOOD (2003年11月21日)
  • ブラックジャックによろしく〜涙のがん病棟編〜 (2004年7月22日)
  • 星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉 (2005年9月25日)
  • メジャーリーグ2 (2000年6月21日)
  • メジャーリーグ2 (2004年3月5日)
  • メジャーリーグ お買い得パック <初回限定生産>(2004年3月5日)
  • メジャーリーグ3 (2000年7月19日)
  • メジャーリーグ3 (2004年3月5日)
  • メジャーリーグ2 <期間限定生産> (2005年9月30日)
  • メジャーリーグ2 <期間限定生産> (2006年6月2日)
  • メジャーリーグ3 <期間限定生産> (2006年6月2日)
  • イシバシ・レシピ 前編(2005年2月16日) – 2003年よりTBS系列にて放送分全24回の前半12回分を収録。
  • イシバシ・レシピ 後編(2005年2月16日) – 2003年よりTBS系列にて放送分全24回の後半12回分を収録。
  • イシバシ・レシピ2 (2006年1月18日) – 2005年1 – 3月放送分を収録。
  • JRA「第59回有馬記念」プレゼンター(2014年12月28日)
  • KONAMIモバイルゲーム『プロ野球スピリッツA』コラボ「対決!石橋貴明のプロスピ王は俺だ!」(2020年12月)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]