鄭成龍 – Wikipedia
鄭 成龍(チョン・ソンリョン、チョン・ソンニョン、정성룡、1985年1月4日 – )は、大韓民国・済州特別自治道済州市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。元韓国代表。ポジションはゴールキーパー。
京畿道城南で生まれる[1]。小学5年生のときにサッカーを始め[2][1]、中学2年生でゴールキーパーに転向する[2][1]。高校は済州島にある西帰浦高校に進学[1]。
クラブ[編集]
2003年にKリーグ・浦項スティーラースに入団。最初の3年間はチームに韓国代表の金秉址がいたため公式戦出場はなかったが、金秉址が移籍した2006年からは出場機会を得て、申和容とポジションを争うようになった[2][1]。浦項がリーグ優勝した2007年シーズン、鄭成龍は代表での活動や負傷もあり出場数は多くなかったが、プレーオフでは5試合すべてにフル出場した[2]。2008年に城南一和天馬(現:城南FC)に移籍。兵役でチームを離れた金龍大の後釜として加入し[3][4] 正GKとして安定したプレーを続けた。移籍3年目の2010年にはAFCチャンピオンズリーグに優勝した[1]。
2011年に水原三星ブルーウィングスへ完全移籍。ここでも正GKの座を守り5年間プレーしACLにも3度出場した。
2016年よりJリーグ・川崎フロンターレに完全移籍[5]。同クラブにとっては初の韓国代表選手となる。加入1年目からレギュラーとして出場した。
2017年、守護神としてポジションを確立すると、シーズンを通して安定したパフォーマンスを発揮しクラブ初のリーグ優勝に貢献。
2018年もレギュラーとして出場し2年連続のリーグ優勝に貢献、自身もJリーグベストイレブンに初選出された[6]。
2019年4月14日のサガン鳥栖戦でリーグ通算100試合出場を達成した[7]。夏頃からパフォーマンスの低下により、新井章太にポジションを奪われ控えに回った。その後、第33節の横浜F・マリノス戦で久々のスタメン出場を果たすも、チームは1-4で敗れた。
2020年は新井の移籍に伴い、ポジションを再確保すると、ハイパフォーマンスを披露。来日後初となる、リーグ戦全試合フル出場を果たし、自身2度目となるJリーグベストイレブンに選出された。
代表[編集]
2006年に初招集されたものの、当時は正GKの李雲在だけでなく、金龍大、金永光といった実績のあるメンバーがいたためベンチにすら入れない機会が続いた。
しかし2007年末に李がトラブルを起こし、2年間の代表出場停止処分となったため、2008年1月30日のチリ戦で代表デビューを飾る。その後も2010年FIFAワールドカップのアジア地区予選7試合に出場し3失点に抑えた。同年の北京オリンピック代表にも選ばれ全3試合に出場したが、1勝1敗1分けの3位で決勝トーナメント進出はならなかった。
李の復帰後はベンチに入る機会が多かったことから、本大会でもベンチに入ることが確実視された。しかし、李の不調や鄭成龍が瞬発力と空中戦に強さがあることから、本大会では正GKに抜擢され、全4試合に出場。決勝トーナメント進出を果たした。李は大会後に代表を引退し、その後は鄭成龍が正GKとして定着している。
2012年のロンドンオリンピックにもオーバーエイジ枠として選ばれ、グループリーグでは全試合に出場、1失点に抑え1勝2分けの2位で決勝トーナメントに進出、準々決勝では地元・イギリス相手に1-1の場面で勝ち越しを許すピンチの場面でアーロン・ラムジーのPKをセーブ、その後自身は後半途中に負傷し、李範永と交代、その後PK戦にもつれ込んだが、李が5人目のダニエル・スタリッジのシュートを横っ飛びでセーブし、韓国は初の準決勝に進出した。準決勝のブラジル戦では負傷の関係もあってベンチだったものの、3位決定戦での日本戦では再びスタメンに復帰、無失点に抑え、アジア勢では1968年メキシコシティーオリンピックでの日本と並ぶ、韓国史上初となる銅メダルを獲得した。
この活躍により、オリンピック韓国代表の監督を務め、2014 FIFAワールドカップ出場決定後に崔康熙の後任として、代表監督に就任した洪明甫の信頼を掴み、2013年頃からリーグ戦での不調や安定感を欠く場面が見られたが、2014 FIFAワールドカップ本大会でも正GKの座を勝ち取った。
しかし、初戦のロシア戦では1点リードを守り切れず、勝ち点3を逃すと、第2戦のアルジェリア戦では自身の判断ミスもあり、4失点で敗戦、最終戦のベルギー戦ではKリーグで最高の防御率0点台を記録した金承奎にスタメンの座を譲った。韓国はベルギーにも敗れ、1分け2敗の勝ち点1の最下位に終わり、2大会ぶりの1次リーグ敗退、未勝利での敗退は1998 FIFAワールドカップ以来16年ぶりの出来事であった。
W杯終了後は代表から遠ざかっていたが、2016年9月に行われるロシアW杯最終予選中国代表、シリア代表戦のメンバーに選出された。中国との試合に先発出場を果たしたが、シリアとの試合では控えとなり、その試合以降は代表に選出されていない。
エピソード[編集]
- 2008年7月27日、北京オリンピック代表でのコートジボワールとの親善試合で、自陣からのロングキックがそのまま相手ゴールに入った。
- 私生活においては、2008年に結婚。妻は2006年度のミス・コリア。南アフリカワールドカップ中の6月18日に長男が産まれた。そのこともあって大会中、チームがゴールを決めると、「ゆりかご」のダンスをした。
- 2017年には川崎フロンターレの副キャプテンを務めた。
- 2018年度JリーグAWARDS表彰式の壇上で、「憧れの選手は川口能活」と答え、会場を沸かせた。
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 浦項 | Kリーグ/ Kクラシック |
0 | 0 | – | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2004 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2005 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2006 | 15 | 0 | 11 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 | |||
2007 | 31 | 14 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 19 | 0 | ||
2008 | 城南一和 | 30 | 27 | 0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 | |
2009 | 1 | 29 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 37 | 0 | ||
2010 | 30 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 | |||
2011 | 水原三星 | 30 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 36 | 0 | ||
2012 | 33 | 0 | – | 2 | 0 | 35 | 0 | ||||
2013 | 38 | 0 | – | 2 | 0 | 40 | 0 | ||||
2014 | 38 | 0 | – | 1 | 0 | 39 | 0 | ||||
2015 | 22 | 0 | – | 1 | 0 | 23 | 0 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2016 | 川崎 | 1 | J1 | 29 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 35 | 0 |
2017 | 33 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 37 | 0 | |||
2018 | 31 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 33 | 0 | |||
2019 | 27 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |||
2020 | 34 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 40 | 0 | |||
2021 | 33 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 40 | 0 | |||
通算 | 韓国 | Kクラシック | 265 | 0 | 28 | 0 | 21 | 0 | 314 | 0 | |
日本 | J1 | 187 | 0 | 12 | 0 | 14 | 0 | 213 | 0 | ||
総通算 | 452 | 0 | 40 | 0 | 35 | 0 | 527 | 0 |
- その他公式戦
- 2016年
- 2018年
- 2019年
- FUJI XEROX SUPER CUP:1試合0得点
- 2021年
- FUJI XEROX SUPER CUP:1試合0得点
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- 浦項スティーラース
- 城南一和天馬
- 川崎フロンターレ
個人[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
韓国代表 – 出場大会 |
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