加藤郁乎 – Wikipedia
加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 – 2012年5月16日)は、詩人、俳人、俳諧評論家。 東京府に生まれる。父は早稲田大学教授であり、長谷川零余子に師事した俳人加藤紫舟(本名・中庸)。1951年、早稲田大学文学部演劇科卒業。 卒業後は日本テレビに勤務し、また商事会社を経営。俳句は父に教えを受けつつ、日野草城、西東三鬼、高柳重信の影響を受け、父の主宰誌『黎明』に新芸術俳句を発表。1950年に父が没してのちは『黎明』の主宰を継いだ。のちに詩を吉田一穂、西脇順三郎に師事した。昭和30年代には『俳句評論』『ユニコーン』などの前衛俳句誌にも参加した。 初期の代表作に「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」「天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし」などがあり、西欧詩に学んだ詩的実験を定型俳句で展開し、俳壇の内外で評判を得た。俳句、詩、評論の分野でさかんに発表し、1972年に文筆家として独立。江戸俳諧研究にも取り組んだ。句作も後年は江戸趣味・俳諧趣味に傾き「小細工の小俳句できて秋の暮」「俳人も小粒になりぬわらび餅」のような句を作った。 澁澤龍彦や松山俊太郎、池田満寿夫など異端的文学者との交友でも知られ[1]、澁澤が『血と薔薇』の編集長を務めていた時期には、同誌の販売促進のため澁澤を『11PM』に出演させたこともある。回想記『後方見聞録』の文庫版増訂時には、当時澁澤の妻だった矢川澄子との不倫を告白して物議をかもした[2]。 1998年、自身の単独選考による加藤郁乎賞を創設、後進の育成にも力を注いだ。2001年、『加藤郁乎俳句集成』により二十一世紀えひめ俳句賞富澤赤黄男賞受賞。2005年、『市井風流――俳林随筆』により第5回山本健吉文学賞評論部門受賞。2011年、句集『晩節』により第11回山本健吉文学賞俳句部門受賞。 2012年5月16日に心不全で死去[3]。83歳没。 加藤郁乎賞[編集] 加藤郁乎の単独選考による文学賞。句集、評論などに与えられた。 第1回(1998年度)手島泰六 『手島右卿論』 第2回(1999年度)黛まどか 『ら・ら・ら奥の細道』 第3回(2000年度)辻井喬 『小説石田波郷 命あまさず』
Continue reading
Recent Comments