アルメリカス・ド・クルシー (第18代キングセール男爵) – Wikipedia

第18代キングセール男爵アルメリカス・ド・クルシー(英語: Almericus de Courcy, 18th Baron Kingsale、1665年5月 – 1720年2月9日)は、アイルランド貴族。

第16代キングセール男爵ジョン・ド・クルシーとエレン・リー(Ellen Reagh、チャールズ・マッカーシー・リーの娘)の次男として、1665年5月に生まれた[1][2]。1669年に兄パトリックが死去すると、キングセール男爵の爵位を継承した[1]。カトリックとして育てられたが、1675年12月14日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに送られ、そこに入学した[1]。しかし、クライスト・チャーチ首席司祭英語版ジョン・フェル英語版はキングセール男爵が「テニスコートに夢中で、博識でもなく書物から学ぶ苦労もしなかったのに名誉な称号[注釈 1]だけで十分と自負している」(1677年/1678年)と酷評し、初代オーモンド公爵ジェームズ・バトラーもキングセール男爵を「喜んで家に迎い入れるが、彼を教皇との関係[注釈 2]から引き離すことは難しい」が、「旅に出るにも財産が少なすぎる」(1681年2月19日)などと評した[1]

キングセール男爵は国王チャールズ2世から300ポンドの年金を与えられ、次期国王のジェームズ2世も年金を維持した[1]。ジェームズ2世が1689年5月7日に招集したアイルランド議会に出席した後、1690年に騎兵部隊を率いるようになり、その後は初代ルーカン伯爵パトリック・サーズフィールド英語版の騎兵部隊の中佐になった[1]。これにより1691年に無法者(outlaw)に宣言されたが、翌年5月に取り消され、同年10月25日と1710年5月20日にアイルランド貴族院に登院した[1]。また、1698年1月26日にはイングランドへの入国許可が下りた[1]

1720年2月9日に死去、14日にウェストミンスター寺院に埋葬された[1]。叔父マイルズ(Miles)の息子ジェラルドが爵位を継承した[1][2]

1698年3月2日、アン・ドリング(Anne Dring、1724年4月27日没、ロバート・ドリングの娘)と結婚した[1]

  1. ^ a title of honour、ここでは男爵の爵位を指す。
  2. ^ Popish relations、つまりカトリック信仰を指す。
  1. ^ a b c d e f g h i j k

    Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 286–288.

  2. ^ a b “Kingsale, Baron (I, c. 1340)”. Cracroft’s Peerage (英語). 9 February 2012. 2019年9月14日閲覧