中島平太郎 – Wikipedia

中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 – 2017年12月9日)は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本の技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる[1]。福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。

  • 1921年 – 3月、福岡県久留米市に生まれ、女系家族の中で60年ぶりの男子として祝福された。
  • 1938年 – 福岡県立明善高等学校卒業後、明治専門学校(現在の九州工業大学)へ進学。[2]
  • 1942年 – 明治専門学校卒業後、東京工業大学へ進学。
  • 1944年 – 東京工業大学電気工学科卒(戦時下につき繰り上げ卒業)後、九州大学大学院特別研究生。工学博士。
  • 1947年 – NHK入局。音響技術研究に携わる。
  • 1963年 – 石橋文化センター(福岡県久留米市)内の石橋文化ホールの音響設計実務に携わる。
  • 1964年 – 東京オリンピックの音響システム(注: 公共放送設備ではなく競技場内の拡声設備)の責任者を担当。
  • 1965年 – NHK放送技術研究所音響研究部部長就任。
  • 1968年 – 世界初のデジタル録音機を公開。
  • 1968年 – NHK放送科学基礎研究所所長就任。
  • 1971年 – ソニー入社。常務取締役技術研究所所長就任。当時の社長井深大によるヘッドハンティングであった。その時の井深の囁いた「物作りは楽しいぜ、来なよ」との台詞は有名。その後、音響事業部長、デジタルオーディオ部長などを歴任。
  • 1981年 – DAT懇談会会長および日本音響学会会長就任。CD-DA発表。
  • 1982年 – 世界初のCDプレーヤーを発売。
  • 1983年1月28日 – ソニーの子会社であるアイワ株式会社再建のため副社長に就任。
  • 1984年 – アイワ社長。
  • 1987年 – アイワの経営悪化の責任を取って社長退任。
  • 1989年 – ソニーと太陽誘電の50:50合弁でCD-R製造販売を事業とする株式会社スタート・ラボが設立、社長就任。
  • 1992年 – 日本オーディオ協会会長就任。オレンジフォーラム(CD-R標準化団体)会長就任。
  • 2001年4月25日 – オレンジフォーラムとマルチメディアCDコンソシアムが合併し、任意団体CDs21ソリューションズが設立。会長就任。
  • 2003年4月17日 – CDs21ソリューションズが中島平太郎賞を創設。CDに貢献した人物に毎年贈られる。
  • 2004年6月 – 異業種交流会の基調講演として「デジタル化の功罪」を講演。
  • 2006年 – ビフレステック株式会社設立。代表取締役会長就任。
  • 2011年12月7日 – ソニー主催で「音をゆらす ~原音忠実再生から心地よさの追求へ~」を講演。約200名のエンジニアが熱心に聴講。
  • 2012年12月6日 – 「音の日」、日本オーディオ協会60周年記念協会栄誉賞を受賞。
  • 2014年4月1日 – NH Lab.(Nakajima Heitaro Laboratory)を設立。
  • 2017年12月9日 – 午前11時44分、東京都目黒区内の病院で虚血性心不全(急性心不全とも)のため逝去。享年96[3]

主な業績[編集]

  • プロ用コンデンサーマイクの開発(NHK技術研究所時代、今なお現役のソニーC-38Bの源流になるCU1-1を1954年に開発。その商品化はソニーに依頼)
  • 国産初の放送モニタースピーカー(BTS放送技術規格)の開発(NHK技術研究所時代、商品化は三菱電機に依頼。型式名:2S-305)
  • 世界初のデジタル録音機を製作
  • PCMプロセッサー(家庭用VTRを使ったデジタルオーディオ録音機)の開発を主導
  • CD-DAの開発・標準化を主導
  • DATの標準化を主導(開発には関与していない)
  • CD-Rの開発・標準化を主導

CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。

デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。

  • ブルーバックスB-218 「オーディオに強くなる」 – 1972年第1版、ISBN 4061178180
  • オーム社「図解 コンパクトディスク読本」 – 小川博司との共著、1982年第1版、ISBN 4274029654
  • 風雲舎「次世代オーディオに挑む」- 1999年第1版、ISBN 493893910X

ほか多数

  • 1989年 – IEEE井深大コンシューマー・エレクトロニクス賞を受賞。
  • 1993年 – CD開発の功績により紫綬褒章を受章。
  1. ^ 「CDの父」中島平太郎氏、久留米に銅像”. 西日本新聞ニュース (2019年11月7日). 2019年12月9日閲覧。
  2. ^ 音との付き合い70年~(その1)NHKに入るまで (一社)日本オーディオ協会 JASジャーナル2016年9月号(Vol.56 No.5)
  3. ^ 中島平太郎氏、死去=96歳、「CDの父」 時事ドットコム、2017年12月13日

外部リンク[編集]