斉藤巧 – Wikipedia

斉藤 巧
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県南あわじ市
生年月日 (1957-11-25) 1957年11月25日(64歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手、捕手
プロ入り 1975年 ドラフト4位
初出場 1977年6月14日
最終出場 1991年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

  • 兵庫県立洲本実業高等学校
  • 大洋ホエールズ
    横浜大洋ホエールズ (1976 – 1982)
  • ロッテオリオンズ (1983 – 1990)
  • オリックス・ブルーウェーブ (1991)

コーチ歴

  • オリックス・ブルーウェーブ (1992 – 1998)
  • 鹿児島ホワイトウェーブ

斉藤 巧(さいとう こう、1957年11月25日 – )は、兵庫県南あわじ市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)・コーチ。

来歴・人物[編集]

洲本実業高では2年次の1974年に秋季近畿大会県予選で準々決勝に進むが、弓岡敬二郎のいた東洋大姫路高に敗退。1975年のドラフト4位で大洋ホエールズに入団。強打の大型内野手として期待され、1981年には主に二塁手・三塁手として49試合に先発出場を果たすが、基満男・フェリックス・ミヤーン・田代富雄・山下大輔ら内野陣の選手層が厚かったためレギュラーには定着できなかった。1983年にレオン・リーとのトレードでロッテオリオンズに移籍し、1985年に捕手へ転向。プロ野球で捕手から野手へのコンバート例は多いが、その逆は極めて珍しいケースである[1]。転向後は袴田英利の控え捕手として起用されたが、1986年には20試合に先発マスクを被り、一塁手・指名打者としても45試合に先発出場。同年は打率.288、6本塁打の好記録を残すが、やはり守備に難があり年間最多捕逸を記録した。1987年には捕手に専念し、袴田との併用ながら37試合に先発出場。1989年は1本塁打を放っているが、主にスタメンマスクを被っていた袴田と福澤洋一が共に0本塁打に終わったため、チームの捕手としては唯一の本塁打を記録したこととなった[2]。その後は1991年にオリックス・ブルーウェーブに移籍し、同年限りで現役を引退。

引退後はオリックスで二軍リザーブコーチ補佐(1992年)・一軍バッテリーコーチ(1993年 – 1994年)・二軍バッテリーコーチ(1995年 – 1998年)を務め、幅広い知識と元気の良さで若手捕手を育成した[3]。退団後はクラブチーム・鹿児島ホワイトウェーブヘッドコーチ(2006年)[4]を務め、マスターズリーグ・福岡ドンタクズなどでも活躍し、少年野球講座などにも参加している。2016年時点では地元から近い南あわじ市にある「淡路島うずしお温泉 うめ丸」に勤務していた[5]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]















O
P
S
1977 大洋 9 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1979 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1980 52 82 77 6 21 0 1 2 29 3 0 1 0 0 5 0 0 23 1 .273 .317 .377 .694
1981 98 227 210 18 49 6 0 3 64 12 2 2 1 2 14 1 0 48 7 .233 .279 .305 .584
1982 15 19 19 0 1 1 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .053 .053 .105 .158
1983 ロッテ 8 9 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1984 62 77 71 5 14 5 0 3 28 15 0 0 1 1 4 0 0 15 2 .197 .237 .394 .631
1985 44 55 53 4 13 2 0 0 15 4 0 0 0 1 1 0 0 11 2 .245 .255 .283 .538
1986 102 298 274 37 79 14 2 6 115 29 0 0 4 0 18 1 2 33 8 .288 .337 .420 .756
1987 82 154 141 15 39 2 4 3 58 15 0 0 2 1 10 0 0 23 4 .277 .322 .411 .734
1988 58 113 99 7 26 4 0 1 33 14 0 0 5 2 6 0 1 26 0 .263 .306 .333 .639
1989 60 83 78 5 17 2 0 1 22 4 0 0 2 0 3 0 0 9 2 .218 .247 .282 .529
1990 28 48 40 2 8 0 1 0 10 6 0 0 2 1 5 0 0 7 1 .200 .283 .250 .533
1991 オリックス 9 11 11 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .091 .091 .091 .182
通算:14年 630 1184 1090 99 268 36 8 19 377 104 2 3 17 8 66 2 3 210 27 .246 .289 .346 .635

年度別守備成績[編集]

年度 試合数 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1985 20 4 4 .500
1986 37 12 11 .478
1987 73 17 11 .393
1988 47 15 5 .250
1989 43 15 13 .464
1990 8 2 0 .000
通算 228 65 44 .404

記録[編集]

  • 初出場:1977年6月14日、対中日ドラゴンズ10回戦(ナゴヤ球場)、6回表に谷岡潔の代打として出場
  • 初打席:同上、6回表に戸田善紀の前に三振
  • 初先発出場:1977年7月9日、対ヤクルトスワローズ10回戦(長野県営松本野球場)、8番・遊撃手として先発出場
  • 初安打:1980年4月15日、対ヤクルトスワローズ1回戦(横浜スタジアム)、8回裏に松岡弘から
  • 初本塁打・初打点:1980年7月16日、対阪神タイガース14回戦(横浜スタジアム)、2回裏に大町定夫からソロ

背番号[編集]

  • 51 (1976年 – 1979年)
  • 9 (1980年 – 1982年、1984年 -1990年)
  • 48 (1983年)
  • 57 (1991年)
  • 87 (1993年 – 1998年)
  1. ^ 別部捷夫、鈴木伸良等の例がある。
  2. ^ なお、マイク・ディアズはこの年は捕手で出場していない。
  3. ^ 大阪日刊スポーツ・なにわWEB・オリックス・ブルーウェーブ98陣容
  4. ^ チーム情報 2006年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年5月8日閲覧。
  5. ^ ドラGO! さかなクンと行く兵庫水族館めぐり!! 2016年7月31日放送 18:00-18:30 テレビ東京”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2021年10月12日閲覧。

関連項目[編集]

  • 兵庫県出身の人物一覧
  • 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
  • オリックス・バファローズの選手一覧