ゴドフロワ・デュラン – Wikipedia

ゴドフロワ・デュラン(Godefroy Durand 、1832年 – 1896年9月27日)[1]はドイツ生まれのフランスの挿絵画家、イラストレーターである。フランスやイギリスの絵入り雑誌に多くのイラストを描いた。

デュッセルドルフでフランス人の両親のもとに生まれた。パリに移り、レオン・コニエのもとで学んだ後、当時のの主要なフランスの絵入り雑誌、「ユニヴェール・イリュストレ」「イリュストラシオン」「ル・モンド・イリュストレ」「ジュルナル・イリュストレ」などに挿絵を描いた。イギリスの1950年代末から5年ほど刊行された新聞、「Illustrated News of the World」にも1859年に挿絵を描いた[2]。1869年末にロンドンに移り、新たに創刊された絵入り新聞「グラフィック(The Graphic)」に「特別画家(special artist)」として雇われ、1890年代まで長く活動した。普仏戦争を描いた作品は1870年に創刊されたベルギーの新聞「イリュストラシオン・ユーロピエンヌ」にも掲載された[3]

普仏戦争の後、被害を受けたフランス農民救済のための展覧会を開き[4]、1873年にイギリス王立芸術家協会(Royal Society of British Artists)の展覧会に作品が展示された。

1896年にパリで没した[5]

参考文献[編集]

  1. ^ ‘At Home and Abroad: The Late M. G. Durand’, The Graphic, 3 October 1896, p.422; ‘Art Notes’, Pall Mall Gazette, 3 October 1896, p.3.
  2. ^ For example, French troops encamped at Toulon before embarking for Genoa; 14 May 1859, p.300.
  3. ^ Blessés Français rentrant dans Paris, 31 December 1870, p. 53.
  4. ^ The Graphic, 14 January 1871, p.39.
  5. ^ Archives de Paris, acte de décès n°2122 dressé le 28/09/1896, vue 3 / 28[リンク切れ]
  • Rodney K. Engen, Dictionary of Victorian Wood Engravers (1985), p. 78.

外部リンク[編集]