チョウ – Wikipedia

チョウ(蝶)は、昆虫綱チョウ目(鱗翅目、ガ目とも)のうち、Rhopalocera に分類される生物の総称である。

チョウ目の21上科のうち、アゲハチョウ上科、セセリチョウ上科、シャクガモドキ上科の3上科が、いくつかの特徴を共有し、Rhopalocera に分類される、すなわちチョウである。

その他のチョウ目の種はガ(蛾)と呼ばれるが、チョウはチョウ目の系統の中でかなり深いところにある派生的な系統で、それに対しガは「チョウでない」としか定義できない側系統であり、チョウ目をチョウとガに分けるのは自然な分類ではない。(チョウ目#チョウとガの区別参照)しかし、一般には完全に区別して扱われる。

南極大陸、大きな砂漠の中心部、万年氷床となる標高6,000メートル以上の高山帯を除く全世界の森林・草原・高山など、ほぼ全ての陸上環境に分布する[2]。広い分布域を持つものもいれば、その地域の環境に特異的に適応したものもいる。17,600種ほどが知られている[2]

日本では250種類ほどが知られている[3]

おもな特徴としては以下のようなものがあるが、ガとの明確な区別点はなく、総合的なものとして判断する。

  • 外見上最も有用な特徴は、触角の形状である。成虫の触角は細長くまっすぐ伸び、先端が棍棒状にふくらむ。ただし、セセリチョウの触角は先端が再び細くとがり鉤状に後方に反り返っている。一方、ガの触角はクシ状や糸状である。日本における約2700種のチョウやガは、これで区別できる。ただし、カストニア科 (Castniidae) やマダラガ科 (Zygaenidae) の触角は棍棒状である。
  • 卵 – 幼虫 – 蛹 – 成虫という完全変態をおこなう。幼虫は外見や行動によってアオムシ、イモムシ、ケムシなどと呼ばれる。
  • 幼虫はほとんどが植物食で、種類によって食べる植物(食草)がほぼ決まっている。ただしシジミチョウ類には例外的なものが多い。
  • 蛹は尾部だけでぶら下がる垂蛹(すいよう)と、胸に帯糸をつけて体を上向きにする帯蛹(たいよう)に大別できる。ただしセセリチョウやシジミチョウなどには例外もある。
  • 成虫の4枚の翅(はね)、一般に言う羽は鱗粉や毛でおおわれる。ただしマダラチョウは部分的に鱗粉を欠く。

チョウ目の中での位置[編集]

チョウ目の中でのチョウの位置づけについては、細部については諸説あるが、おおよそ次のようなものである[4][5]。チョウ目の系統の中でチョウはごく一部であるといえる。ただし、チョウ目の種の98%は二門類に、半分以上は大型鱗翅類に属し、種数で言えばほとんどのガはチョウに非常に近い。

19世紀の分類では、鱗翅目を Diurni(昼行性)と Nocturni(夜行性)や、Rhopalocera(棍棒状の触角)と Heterocera(その他の触角)に2分する説もあった。それぞれ、前者はチョウ、後者はガを表す。

このほかに、チョウといくつかのガを同じグループとし、その他のガと2分する分類もあった。そうした分類群のうち、前者のいくつかは現在もチョウ目とチョウの間の分類群として残っているが、後者(たとえば大型鱗翅類に対する小型鱗翅類 Microlepidoptera)は側系統であり使われない。

上科と科[編集]

3上科7科が属す(科は説によりやや増減する)。ただし、セセリチョウ上科とシャクガモドキ上科は1上科1科の単型で、残りの5科はアゲハチョウ上科である。

これらの系統関係は次のとおり[6]

シャクガモドキ上科(シャクガモドキ科)は最も基底的で、いくらかガの特徴を残す。セセリチョウ上科(セセリチョウ科)はそれに次ぐ。アゲハチョウ上科は典型的なチョウであるが、生活や外見はグループにより差異が大きい。

シャクガモドキ上科(シャクガモドキ科)は元々、シャクガに近縁と思われていたが、1986年 Malcolm J. Scoble によりアゲハチョウ上科に近縁であることが指摘され、チョウに含められた。

シャクガモドキ上科 Hedyloidea[編集]

1科1属のみ。

シャクガモドキ科 Hedylidae
すべて中南米産で、日本では産しない。

セセリチョウ上科 Hesperioidea[編集]

1科のみ。

セセリチョウ科 Hesperiidae
小型のチョウ。胴が太くて翅が小さい。飛ぶのが比較的速い。幼虫の食草はイネ科植物が多い。
チャバネセセリ、アオバセセリ、イチモンジセセリなど。

アゲハチョウ上科 Papilionoidea[編集]

アゲハチョウ科 Papilionidae
大型のチョウで、成虫は種類によって翅の模様や突起が異なる。幼虫は刺激を与えると頭部と胸部の境界部から1対の色鮮やかな臭角(体液の圧力で反転突出し、異臭を放つ)を突き出す。
ナミアゲハ、キアゲハ、カラスアゲハ、クロアゲハ、ジャコウアゲハ、ナガサキアゲハ、アオスジアゲハ、トリバネアゲハ類、ホソオチョウ、ギフチョウ、ウスバシロチョウなど。
シロチョウ科 Pieridae
中型のチョウ。成虫の羽は突起が少なく、白や黄色が多い。幼虫は緑色で細長く、俗にアオムシとよばれる。
モンシロチョウ、スジグロシロチョウ、キチョウ、モンキチョウ、クモマツマキチョウ、ツマベニチョウなど。
シジミタテハ科 Riodinidae
シジミチョウ科に似るが、オスの前脚がタテハチョウ科のように特殊化している。オーストラリアと南極以外の全大陸で産するが日本にはいない。
シジミチョウ科 Lycaenidae
小型のチョウ。成虫の翅の模様は、表と裏で非常に異なる。幼虫の食性は多様で、アリと共生するクロシジミ、アリの卵や幼虫を食べるゴマシジミ、アブラムシを食べるゴイシシジミなどもいる。
ベニシジミ、ヤマトシジミ、ルリシジミ、ムラサキシジミ、ムラサキツバメ、ミドリシジミ、ウラナミシジミなど。
タテハチョウ科 Nymphalidae
中型から大型。成虫の翅は角ばっていて、黄・赤・青など多彩。また、成虫の前脚が退化して短くなっている。そのため一見したところでは、昆虫には6本あるはずの脚が4本しかないように見える。幼虫は突起や毛、角をもつ。
キタテハ、アカタテハ、ルリタテハ、オオムラサキ、コムラサキ、ツマグロヒョウモン、ミスジチョウ、コノハチョウなど。

格下げされた科[編集]

以下のチョウは長く「科」として扱われていたが、近年ではタテハチョウ科の亜科として扱うことが多い。

テングチョウ亜科 Libytheinae
中型のチョウで、日本にはテングチョウ1種のみが分布している。食草はエノキ。和名は成虫の頭の先端が、天狗の鼻のように突き出ていることに由来する。
マダラチョウ亜科 Danainae
中型から大型。成虫の翅は体に対して大きく、丸みがある。翅は部分的に鱗粉を欠く。飛ぶ力が高く、遠距離を移動する種類もいる。
オオゴマダラ、アサギマダラ、カバマダラ、オオカバマダラなど。
ジャノメチョウ亜科 Satyrinae
小型から中型。成虫の翅は眼状紋があり、黄や褐色のものが多い。また、森林などの日陰で活動するものが多い。幼虫は細長い形をしていて、おもにイネ科植物を食草とする。
ヒメウラナミジャノメ、キマダラヒカゲ、タカネヒカゲなど。
モルフォチョウ亜科 Morphinae
大型のチョウで、中央アメリカから南アメリカに分布する。翅は鱗粉の構造色で金属光沢を放つ。近年はジャノメチョウ亜科モルフォチョウ族 Morphini とすることもある。

人間との関わり[編集]

チョウは、美しくて無害な生き物との感覚があり、その他の虫一般と区別されかねないくらいの評価がある。画題や意匠としてもチョウはよく使われる。花札の図柄に「牡丹に蝶」がある。

昆虫採集との関わり[編集]

チョウは昆虫採集、およびそのコレクションとしてもっとも愛されてきた昆虫である。そのためチョウに関しては世界中どの地域においても詳しい情報があるといっても過言ではない。たとえば日本に分布しないはずの物で台風などに運ばれて南方から運ばれて発見されるものを迷蝶というが、それが広い分布域を持つものであっても、その斑紋などから起源となった地域が特定出来る例がある。

それ以外にも、鱗粉転写という方法でチョウの翅の模様を写し取り、これを工芸作品として販売する例も知られている。現在も熱帯地方ではチョウの標本やそれに基づく工芸品は重要な土産物である。

しかし、これらの採集圧によって絶滅の危機に瀕した種もあり、トリバネチョウ等はワシントン条約によって販売が制限されている。

伝承[編集]

世界各地にチョウが人の死や霊に関連する観念が見られる。キリスト教ではチョウは復活の象徴とされ、ギリシャではチョウは魂や不死の象徴とされる[7]。ビルマ語に至っては〈チョウ〉を表す語 လိပ်ပြာ /leʲʔpjà/(レイッピャー)がそのまま〈魂〉という意味で用いられる場合もある[8]

日本でも栃木県宇都宮市で、盆時期の黒いチョウには仏が乗っているといい、千葉県でも夜のチョウを仏の使いという[9]

チョウを死霊の化身とみなす地方もあり、立山の追分地蔵堂で「生霊の市」といって、毎年7月15日の夜に多数のチョウが飛ぶという[7]。秋田県山本郡ではチョウの柄の服を好む者は短命だという[9]。高知県の伝説では、夜ふけの道で無数の白い蝶が雪のように舞い、息が詰まるほどに人にまとわりつき、これに遭うと病気を患って死ぬといわれる怪異があり、同県香美郡富家村(現・香南市)ではこれを横死した人間の亡霊と伝えている[10]。「春に最初に白いチョウを見ると、その年の内に家族が死ぬ」「チョウが仏壇や部屋に現れるのは死の前兆」という言い伝えもある[7]

奥州白石では、チョウが大好きだった女性が死に、遺体から虫が湧いて無数のチョウと化したという話が伝わる。また秋田県上総川の上流で、かつて備中という侍が沼に落ちて死に、チョウに化身して沼に住み着き、現在に至るまで曇った日や月の夜に飛び上がって人を脅かすという。そのことからこの沼を備中沼、または別蝶沼ともいう[11]

害虫[編集]

幼虫はイモムシであり草食なので、食草が栽培植物であれば害虫扱いされる。日本ではモンシロチョウがキャベツなどアブラナ科の野菜、アゲハチョウ類がミカン類、キアゲハがニンジンなどのセリ科の害虫とされている。

言葉[編集]

  • 左右対称でその各端が広がっている形状を、蝶が羽を開いた姿に例えて呼称することがある。「蝶ねじ」「蝶番」「蝶ネクタイ」「蝶結び」「バタフライ」「バタフライ・ノット」など。
  • 花札の絵柄の一つに「牡丹に蝶」がある。「萩に猪」「紅葉に鹿」と組み合わせると「猪鹿蝶」という役になる。
  • 日本語では、ハエ、ハチ、バッタ、トンボ、セミなど多くの虫の名称が大和言葉(固有語)であるのに対し、この蝶と蛾に関しては漢語である。蝶や蛾もかつては、かはひらこ、ひひる、ひむし、といった大和言葉で呼ばれていたが、現在ではそのような名称は一般的ではない。
  • 万葉集には、蝶を読んだ歌は一つもない。
  • 「蝶」は中国の名であり、日本語では本来「てこな」「てんがらこ」「かはびらこ」などと言う[12]

揚羽蝶あげはちょう

対い蝶むかいちょう

備前蝶びぜんちょう

家紋[編集]

家紋に、「蝶紋(ちょうもん)」がある。桓武平氏の一族やそれを称する一族、末裔を称する一族などによって用いられることがあった。

平氏を称した公家のほかに、織田氏、関氏、谷氏などが用いている。蝶紋を用いた大名で知られる池田氏のものは、織田氏から下賜されたものである。

代表的な図案の「揚羽蝶(あげはちょう)」は、特にアゲハチョウを図案化したものではなく、羽をあげて休んでいる蝶の姿を描いたもので、「泊蝶(とまりちょう)」ともいう。ほかの図案に、「臥せ・浮線(ふせ・ふせん)」「真向かい」「胡蝶」があり、構成には、1つから6つの組み合わせが見られ「対い」「車」「盛り」「寄せ」などがある。

研究団体[編集]

一般に、チョウの翅は細い体に比べて著しく大きく、カラフルな色彩で人目に付きやすいため、身近な昆虫として古くから親しまれている。研究者もプロ・アマチュアを問わず数多く、大阪府立大学や京都大学など研究機関も各地にある。日本蝶類学会などの学会がある。

ギャラリー[編集]

  1. ^ アンドレ・デュメリル (1774–1860) 動物学者(父) or オーギュスト・デュメリル (1812–1870) 動物学者(子)
  2. ^ a b 蝶 (2006)、6頁
  3. ^ 蝶 (2006)、9頁
  4. ^ Scoble, Malcom J. (1995), The Lepidoptera: Form, Function and Diversity, Oxford University Press, ISBN 0-19854952-0 
  5. ^ Tree of Life web project: Lepidoptera – Tree of Life Web Project
  6. ^ Wahlberg, Niklas; et al. (2005), “Synergistic effects of combining morphological and molecular data in resolving the phylogeny of butterflies and skippers”, Proc Biol Sci. 272: 1577–1586., http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1560179/ 
  7. ^ a b c 不二龍彦『迷信・俗信大百科』学習研究社、1996年、44-45頁。ISBN 978-4-05-400630-0。
  8. ^ 大野, 徹『ビルマ(ミャンマー)語辞典』大学書林、2000年、660頁。ISBN 4-475-00145-5。
  9. ^ a b 鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』角川書店、1982年、370頁。ISBN 978-4-04-031100-5。
  10. ^ 桂井和雄「土佐の山村の「妖物と怪異」」『旅と伝説』15巻6号(通巻174号)、三元社、1942年6月、 29頁、 NCID AN001397772014年11月28日閲覧。
  11. ^ 山田野理夫『東北怪談の旅』自由国民社、1974年、35-52頁。NCID BA42139725
  12. ^ 『これは重宝漢字に強くなる本』光文書院、昭和54年6月15日発行622頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]