上方落語協会 – Wikipedia

公益社団法人上方落語協会(かみがたらくごきょうかい)は、近畿を中心に活動する落語家などが組織する公益法人。上方落語を中心とする寄席芸能の普及向上、継承・保持を図り、日本の文化の発展に寄与することを目的としている。現会長(7代)は笑福亭仁智。

歴代会長一覧[編集]

会長[編集]

副会長[編集]

理事[編集]

特別顧問[編集]

顧問[編集]

相談役[編集]

監事[編集]

所属会員[編集]

落語家[編集]

系図により表す[5]。太字は現役会員、細字は非会員、†印は物故者、※は廃業者、名跡の後の数字は代数を表す。

笑福亭松鶴一門[編集]

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。

松鶴一門(しょかくいちもん)は、昭和の「上方落語の四天王」の1人である6代目笑福亭松鶴を師と仰ぐ落語家の一派のことである。

6代目松鶴は、父である5代目松鶴に入門。兄弟弟子には松之助がいる。一門は、孫弟子曾孫弟子まで含め、総勢50名以上在籍している。

所属事務所については、多くは松竹芸能に所属するが、仁鶴一門や鶴笑一門と、曾孫弟子に当たる笑助は松之助と同じ吉本興業に所属し、また笑福亭円笑などのフリーで活動する者や、福笑のように個人事務所を設立している者、笑瓶など、その他の芸能事務所に所属する者もいる(笑瓶はよしもと芸人との繋がりが深く、弟子である笑助も前述の通りよしもとに所属している。なお、笑助は松鶴一門の中で唯一の東京吉本所属である)。

なお、鶴光と、その弟子のうち里光以降の者は、松竹芸能所属こそ変わらないものの、東京の落語芸術協会に加盟し、東京で活動している。鶴光は上方落語協会と両方に所属(東西合わせて5つある落語家団体のうち、2つ以上の団体に現在も所属するのは鶴光と6代目三遊亭円楽(円楽一門会と客員として所属する落語芸術協会)で2名のみである)しているが、里光以下弟子たちは落語芸術協会にのみ所属している。

森乃福郎一門は、笑福亭福松の系統から枝分かれした一門であり、遡れば2代目松鶴に行き着く。この他に松鶴一門から枝分かれした上方噺家の系統としては林家染丸一門がある。

6代目松鶴以前の系図は笑福亭松鶴を参照。
[4]

さんまは協会公式サイトの系図にも掲載されているが、落語家としての活動は行っていない。

森乃福郎一門[編集]

森乃福郎一門(もりのふくろういちもん)は、3代目笑福亭福松の弟子であった初代森乃福郎を師と仰ぐ落語家の一派。笑福亭松鶴の分枝だが、その枝分かれは大正時代以前に遡る。

初代福郎以前は笑福亭福松を参照。

桂米朝一門[編集]

結三柏は、桂米朝一門の定紋である。

米朝一門(べいちょういちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、人間国宝・3代目桂米朝を師と仰ぐ落語家の一派。
「桂米朝一門会」などの興行を打つ。また、主に一門の若手のための舞台として「桂米朝落語研究会」を催している。

上方落語の他の一門の多くは吉本興業あるいは松竹芸能に所属するのに対し、同一門の大半が独立した米朝事務所に所属しているのが特徴である[注釈 6]

現在の一門の実質的な止め名は「米團治」である。当代の米團治は5代目(2008年に襲名)。米團治系統の名跡は「米歌子」「米之助」「米朝」「米團治」「文團治」「文治」の順に名前が大きくなる[6]。先代文團治の惣領弟子、4代目文紅の死後は、大本である文團治系統全体の嫡流となったが、現時点で5代目文團治襲名を一門内の誰かが行うという話は無い。

他にも「塩鯛」「米喬」「米紫」「小米」「米若」「米太郎」等がある。尚「枝雀」「ざこば」「南光」「文我」「歌之助」は米團治系とは関係がない。

文團治系の他の系統には、同じ上方の桂春団治一門、江戸落語の桂小文治一門がいる。東西合わせてこれらの親戚筋を併せた一門総数は150名を越え、東西落語界の最大勢力となっている。

一時橘ノ圓都門下の橘家圓三は米朝の預かり弟子であった。また、6代目小文吾(6代目文吾)の上方での復帰を後押ししたことでも知られる。

また可朝以下弟子を可朝一門、うち八方以下弟子は月亭一門と呼ぶ。過去、月亭を名乗った落語家は江戸時代の月亭生瀬、明治時代の月亭文都一門などがいるが、これらは何れも桂一門の本流である文治→文枝一門の分派である。なお月亭文都(桂文都としては2代目)と米朝一門の源流・初代桂文團治は兄弟弟子であった。文都の名は可朝の孫弟子・月亭八天が2013年に7代目を襲名した。

3代目米朝以前の系図は4代目桂米團治・桂文團治を参照。

橘ノ圓都一門[編集]

橘ノ圓都一門の定紋「丸に九枚笹」

圓都死後、圓三は米朝に預けられ、米朝一門となった。

桂文枝一門[編集]

文枝一門(ぶんしいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、5代目桂文枝を頂点とする落語家の一派。主に吉本興業に所属するが、文福のように個人事務所を設立している者(2010年よしもと復帰)や、松竹芸能に所属する者(文鹿が在籍していたが2014年退社)もいる。

5代目文枝は生前に桂派の由緒ある名跡(文枝、小文枝、文吾、小文吾、文左衛門、花橘など)を預かっているとされる。2012年7月16日には筆頭弟子の三枝が「六代 桂文枝」を、2019年3月12日には二番弟子のきん枝が「四代 桂小文枝」をそれぞれ襲名した。また文吾は、5代目文枝のいとこ弟子にあたる人物が6代目として現在も活動中である。

5代目文枝以前の系図は桂文枝を参照。

桂春団治一門[編集]

春団治一門(はるだんじいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、3代目桂春団治を頂点とする落語家の一派。
2000年より毎年4月29日には、春団治三代の碑がある池田市で「春団治まつり」を開催している。一門の多くは松竹芸能に所属するが、他の芸能事務所に所属する者やフリーで活動している者もいる。名前については「團」の字を用いる場合もあるが、ここでは「団」に統一した。

3代目春団治の師匠は、実父である2代目春団治。兄弟弟子には2代目露の五郎兵衛など。

2代目春団治以前は桂春団治を参照。

文我・舶伝は2代目春団治死後、3代目春団治の弟子であった。文我は生涯春団治一門だったため、現在でも協会公式サイトの系図において別枠で記載されている。また、4代目桂文紅(故人)が春団治一門に同様に別枠で掲載されている[注釈 10]

露の五郎兵衛一門[編集]

露の五郎兵衛一門(つゆのごろべえいちもん)は、2代目露の五郎兵衛を頂点とする落語家の一派で、上記春団治一門からの分枝。紋は「ききょう」。一門会「露の会」を開催している。

他の一門が吉本興業や松竹芸能、米朝事務所といった大手事務所に所属していることが多いのに対して、五郎兵衛一門の場合には五郎兵衛自身が1980年に独立してフリーで活躍し続けていたこともあり、MC企画や露の五郎兵衛事務所、露の都事務所などの個人事務所に所属していることが多い。

一門には、現役最年長・最古参の女性落語家露の都らがいる。孫弟子世代が2014年までは全員女性だったことや、五郎兵衛の実の娘・露のききょうの存在を含め一門の女性率は上方落語界の中では高い。

林家染丸一門[編集]

林家染丸一門(はやしやそめまるいちもん)は、上方落語協会初代会長3代目林家染丸を師と仰ぐ落語家(上方)の一派。紋は「ぬの字うさぎ」。2019年現在、4代目染丸を中心に集まっている。

東京の林家正蔵などの林家や、元来の上方林家(林家正三、林家正楽)とは別の系統にあたる。これは、現在の上方林家が、4代目笑福亭松鶴襲名争いに敗れた5代目笑福亭松喬が2代目林家染丸を襲名し興したものであるため。したがって上方林家は笑福亭の傍流とされる[注釈 11]。元来の系統はその後6代目林家正楽で途絶えた。

孫弟子まで含め、総勢10名を超える。一門の多くが吉本興業所属。
一門は代々「ハメモノ」を得意とし多くのハメモノネタを発掘継承している。師弟関係は以下の通り。なお、他一門に移籍した者の弟子は各移籍先の弟子一覧を参照。

3代目染丸以前の系図は林家染丸・笑福亭松鶴を参照。

4代目染語楼は4代目小染、5代目小染は4代目染丸の預かり弟子。また、4代目染語楼の弟子かつ実子であった市楼は、父の死後、4代目染丸の預かり弟子となった。

お囃子[編集]

染丸一門のお囃子系図[編集]

非所属の者[編集]

近畿を中心に活動している落語家の全てが所属しているわけではない。

主な非所属の落語家は以下のとおり。

脱退
除名
未加入
理由不明
お囃子
休業
  • 2019年現在は休業扱いの落語家は存在しない。

この他、関西落語文芸協会(2012年に死去した3代目林家染三が結成、事実上染三門下のみで構成)所属のセミプロ・アマチュア落語家が何人か存在するものの、現在公の場で活躍が確認出来るのは林家三笑のみであり、また三笑は「林家流どじょうすくい家元」「三笑会講師」として主に河内音頭などの民芸踊りの活動に力を入れており、落語と距離を置いた色物活動に専念している。

また、2019年に死去した笑福亭松之助は上方落語協会を脱退したことが知られている。なお、実子である明石家のんきは2012年に復帰している。

近畿以外で活動する上方落語家
  • 笑福亭鶴光一門のうち、東京で採用した弟子(鶴光は上方落語協会・落語芸術協会双方に所属。芸協での香盤は「真打上方[10]」)
繁昌亭大賞
上方落語若手噺家グランプリ
上方落語台本大賞

注釈[編集]

  1. ^ a b 1992年8月3日より5代目桂文枝
  2. ^ 後の2代目露の五郎兵衛。
  3. ^ 2012年7月15日までは桂三枝。
  4. ^ 2018年2月10日までは桂春之輔。
  5. ^ 2019年3月より4代桂小文枝。
  6. ^ ただし、一部は下記の通り米朝事務所以外の芸能事務所に所属したり、フリーとして活躍する落語家も多い。

  7. ^ 2019年4月に「きり亭たん方」に改名しており、吉本興業のプロフィールも同名義になっているが、上方落語協会の名鑑では旧名義のままである。
  8. ^ 上方落語協会「上方落語家名鑑」では「三柏」を表記。歴代の文枝は4つの「文」の字を丸くつないだ「文枝紋」を使用。
  9. ^ 歴代の春団治は、花菱を三枡で囲った紋を使用。
  10. ^ ただし、文紅は系図上、米朝一門の方が近い関係にある(文紅は3代目米朝のいとこ弟子)
  11. ^ 東京林家も、元々の系譜が5代目正蔵で途絶えているため、現在は柳派の傍流となっている。6代目は柳亭小燕路から、7代目は7代目柳家小三治から、8代目は5代目蝶花楼馬楽からそれぞれ襲名した。現在の東京林家は7代目正蔵からと8代目からの二系統がある。
  12. ^ 2020年に羽光がNHK新人落語大賞を受賞した際、上方落語協会の仁智会長から「おめでとう」というショートメールが届いている。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]