両角政人 – Wikipedia

両角 政人(もろずみ まさと[1][2]、まさんど[3][4]、1899年1月25日 – 1988年12月30日)は、日本の新聞記者、スケート指導者[1][2]

長野県諏訪郡宮川村(現茅野市)出身[4][5]。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校の前身)から早稲田大学政治経済学部に進み、1923年に体育会スケート部を創設し、第1回の学生選手権大会の組織などにあたり、1925年には日本学生氷上競技連盟を設立した[4][5]。また、大学時代に学生新聞の編集に参画し[4]、1926年に政治学科を卒業すると[2]、報知新聞に入社し、運動部の設置に関わった[4]。新聞記者として、報知新聞運動部長、読売新聞機報部長などを歴任するかたわら[1][2][5]、1929年に発足した日本スケート連盟の運営に永く関わり[1]、1937年以降、永く理事長を務めた[2]。戦後は、1945年に、秋山慶幸らとともに日刊スポーツの設立に参加し、編集局長を務めた[4][5]

1972年札幌オリンピックの招致に尽力し[1]、札幌五輪冬季大会組織委員会東京事務所長を務めた[4]

1972年に日本アイスホッケー連盟が結成された際には、初代会長となり、1973年に堤義明が会長に迎えられて以降は、1985年まで、副会長を務めた[6]

スケート関係者からは「モロさん」と愛称で呼ばれていた[5]

おもな栄誉[編集]

  • 藍綬褒章 - 1966年[2]
  • 勲四等瑞宝章 - 1968年[2]
  • 「スケート」不昧堂書店、1959年
  • 「楽しいスケーティング」成美堂書店、1966年
  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus『両角政人』 – コトバンク
  2. ^ a b c d e f g 20世紀日本人名事典『両角政人』 – コトバンク
  3. ^ 「長野県人名鑑」p. 562
  4. ^ a b c d e f g 信濃毎日新聞社 編「フェアプレーこそ 両角政人」『百人百話』信濃毎日新聞社、1972年2月20日、323-326頁。
  5. ^ a b c d e “人 世界スピード・スケート選手団監督になった 両角政人”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 10. (1961年1月7日)  – 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ 財団法人日本アイスホッケー連盟 歴代理事 (PDF)”. 財団法人日本アイスホッケー連盟. 2015年1月30日閲覧。
  • 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年