伊百七十六型潜水艦 – Wikipedia

伊百七十六型潜水艦(いひゃくななじゅうろくがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。海大VII型(かいだいなながた)、または新海大型とも呼ばれ、海大型潜水艦の最後の艦級である。同型艦10隻。事故沈没1隻、戦没9隻。

本艦級の潜水艦は1939年(昭和14年)度の④計画で10隻が建造され、1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)にかけて竣工した。計画番号S41。海大VI型とほぼ同寸法である。設計に当たっては運動性能と潜航時間の短縮に留意が払われたといわれる。魚雷発射管は艦尾発射管が廃止され、艦首にすべて集められた。発射管の数は6本で変わらない。魚雷は九五式魚雷(酸素魚雷)を搭載したが、搭載数は12本に減少した。機銃は25mm連装機銃1基を装備している。

太平洋戦争中、主にソロモン・ニューギニア・サイパン方面に進出し通商破壊(商船及びタンカー6隻撃沈)や輸送任務に従事したが、1隻が事故で失われ、残りも総て戦没した。

潜水隊の変遷[編集]

竣工した伊176は海大6型b2隻からなる第11潜水隊に編入され、3隻定数を満たした。伊177以降の竣工艦は訓練部隊である呉鎮守府呉潜水戦隊で訓練を行った。訓練を終えた伊177、伊178、伊180は1個潜水隊を編成し、佐世保鎮守府に配備されたため、佐鎮の固有番号を与えられて第22潜水隊となった。以降、訓練を終えた艦から第22潜水隊に順次編入されている。伊179は訓練を完了することなく事故により喪失したため、潜水隊に編入される機会はなかった。

第二十二潜水隊[編集]

呉鎮守府呉潜水戦隊で訓練中の伊177伊178伊180で編成された。太平洋戦争では主に南太平洋で哨戒・輸送任務に従事した。昭和19年8月10日に解隊された。

1943年(昭和18年)2月25日:伊177、伊178、伊180で編成[2]。第22潜水隊司令西野耕三中佐。呉潜水戦隊。
1943年(昭和18年)3月25日:第六艦隊第3潜水戦隊[2]
1943年(昭和18年)6月17日:オーストラリア東方沖で伊178戦没。9月1日除籍。
1943年(昭和18年)8月10日:第一艦隊第11潜水戦隊より伊182を編入[2]
1943年(昭和18年)8月22日:第一艦隊第11潜水戦隊より伊181を編入[2]
1943年(昭和18年)9月3日:エスピリトゥサント島沖で伊182戦没。12月1日除籍。
1943年(昭和18年)9月15日:第六艦隊。
1943年(昭和18年)11月5日:第22潜水隊司令前島寿英大佐。
1943年(昭和18年)12月20日:第11潜水戦隊より伊185を編入。
1944年(昭和19年)1月16日:グィディアグ海峡で伊181戦没(前島司令戦死)[3]。4月30日除籍。
1944年(昭和19年)1月31日:第11潜水戦隊より伊184を編入。第22潜水隊司令栢原保親大佐。
1944年(昭和19年)4月27日:コディアック島南方沖で伊180戦没。7月10日除籍。
1944年(昭和19年)4月28日:第11潜水戦隊より伊183を編入。沖の島沖で伊183戦没[4]。8月10日除籍。
1944年(昭和19年)6月19日:サイパン南東沖で伊184戦没。8月10日除籍。
1944年(昭和19年)6月22日:サイパン沖で伊185戦没(栢原司令戦死)。8月10日除籍。
1944年(昭和19年)8月10日:解隊。伊177は第34潜水隊に編入。以降は第34潜水隊の項に譲る。
  1. ^ 九三式探信儀は完成時に装備していない可能性が有る。
  2. ^ a b c d 『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集19巻』75頁。
  3. ^ 『日本海軍の潜水艦 – その系譜と戦歴全記録』119頁。
  4. ^ #SS-266, USS POGYp.160

参考文献[編集]

  • (issuu) SS-266, USS POGY. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-266_pogy?mode=a_p 
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0462-8
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 – その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年 ISBN 4-7698-1246-9

関連項目[編集]