白神岳 – Wikipedia

白神岳山頂部の高山植物群

白神岳(しらかみだけ)は、青森県にある山。標高1,235m。一等三角点の標高は1,231.9m。
世界遺産登録の白神山地にある。日本二百名山の一つである。

山頂付近は偽高山帯で森林限界となっている。山頂からは白神山地核心地域の雄大な景色を望める。山頂にはトイレと避難小屋がある。白神山地の最高点は、白神岳の北東約4kmにある標高1250mの向白神岳であるが、登山道はない。白神岳に対して向白神岳は「女嶽」とも表記され、一対として捉えられていたという説もある。

山頂の概略[編集]

白神岳の山頂は、南北1kmの馬の背のような稜線の南端にあり、山頂には一等三角点がある。山頂付近には1984年8月に登山家の長谷川恒男が地元の子供たちと登山記念に建てた標柱がある。山頂から南西には二股コースに下る道筋がついている。山頂から北に少し移動し、ウズラ石沢に下る踏み跡を50mほど下ると水場がある。山頂付近に水場がある山は珍しい。60mほど北に進むと白神岳避難小屋がある。ここから東側に向白神岳への稜線が続いている。

道をさらに30mほど進むと、草地の中に大きな講中石があり、その隣に白神大権現の祠がある。この付近の草場は高山植物帯となっている。決して大きな高山植物群落ではないが、わずかばかりの面積の草場に5月から9月まで数多くの高山植物が咲く。この付近の西斜面を下ると種蒔苗代池があり、年中涸れることがない。さらに付近の岩場には風吹穴と言われる人が2・3人入れる穴があり、この岩場を風吹岩という。山頂付近の岩場はここだけである。祠から北に向かう道は一本道で、ヤブが多いが途中で一カ所海岸方面への展望がきく場所がある。

白神岳が初めて記録に残されているのは、1645年弘前藩が幕府に提出した「陸奥国津軽郡之絵図」である。この図では白神岳は「しらかみの嶽」と表記されている。江戸時代の紀行家であった菅江真澄は白神岳を「白上山」や「白髪山」などと表記している。秋田県八峰町からは春の白神岳山頂の雪形が「上」の字に見える頃があり、真澄はこのため「白上山」と呼ばれるのではないかと記している。また、真澄は男鹿の戸賀にある白神大明神で、紀州の「白神という磯浜」と北海道松前の「白神岬」とこの白神嶽をあげ、しらがみの名前の由来について別の考察をしている。[2]また、海の上で進路を失った時に、白神大権現に祈れば白い旗を持った神が現れ、進路を示してくれるという伝説も地元に残っている。

白神岳は地元大間越の人たちが旧暦8月1日に登山を行い祈りをささげてきた、信仰の山でもある。深浦町岩崎地区には「白神の嶽と岩木山は姉妹の関係にある。女ぶりのよくない姉が白神の嶽の神となり、下の妹が岩木山の神となったので、岩崎の人々は岩木山を『下の神の山』というようになった」という伝説がある。

津軽地方が東冷風のやませで不作になるときにも、この白神岳が盾になり西側の地区を冷風から防いでくれたという。1993年(平成5年)に津軽平野がやませで記録的な冷害になったのに対して、この地区では平年作程度であった。

白神岳山頂から3分程度(50m程度)下った場所に水場がある。昔の白神岳参詣では、この水を御神水として扱われ、汲まれて里人へふるまわれた。夏は水量が少ないこともあるが、涸れたことはないという。この水場の水と屋久島の水が、広島市の原爆ドームが世界遺産に登録された際の記念式典に献水された。

1984年(昭和59年)白神岳避難小屋設置準備会による募金活動と行政の補助金等で、山頂に避難小屋が設置された。この小屋の天井には募金者の名前が刻まれている。総ヒバ造り3階建てで、収容人数は30人である。建設当時は日本一の避難小屋とも言われ、長谷川恒男のアドバイスも得て建設されている。隣接するトイレは1997年(平成9年)に青森県が設置した。年に1回ヘリコプターによるくみ取りが行われており、山岳環境保全の模範施設となっている。

2019年(令和元年)10月15日、老朽化した白神岳避難小屋が立て替えられ、この日から利用可能になった[3]

主な登山ルート[編集]

蟶山コース[編集]

一般的なコース。JR白神岳登山口駅から山頂まで徒歩約5時間30分。登山口のバス停及び駐車場から約4時間30分。蟶(まて)山は白神岳山腹にある841mの山である。このコースは1983年(昭和58年)の白神岳登山大会の際に岩崎村教育委員会が開設したものである。

駐車場→登山口→二股分岐→最後の水場→蟶山分岐→主稜線・大峰分岐→山頂 6.5km

二股分岐までは、青森ヒバなどの木が茂っている。最後の水場では冷たく美味しい水を飲むことができる。主稜線はブナが立ち並び「ブナ街道」と言われている。

二股コース[編集]

二股コースは昔から登られた伝統の登山道である。途中で川を二度飛び石で渡ることになる。山頂までの道のりも急でロープがいたるところに取り付けられており、川が増水時には非常に危険である。2003年(平成15年)7月から整備されたコースだが、もともとはこのコースがメインのコースであった。危険であるために蟶山コースが1983年(昭和58年)に作られた。ただ、距離が短いために、蟶山コースよりは短時間で登ることが可能でもある。昔は旧暦の8月1日になると遠方や近隣の住民が夜明け前から山登りをする行列で、黒崎地区住民は眠れなかったという。最後の渡河から50mは最大の急登となっており、標高780m地点には姥石という割れ目がある石がある。この姥石には現在古銭が置かれているが、昔はこの姥石まで一気に登ることができない人は、白神岳登山の資格がないと戻されたという。このコースはロープがいたるところにあるので、軍手などの装備が必須である[5]

駐車場→登山口→二股分岐→二度の渡河→急坂を直登→山頂 5.3km

十二湖コース[編集]

このコースは1963年(昭和38年)7月31日深浦営林署によって完成し、さらに1982年(昭和57年)に岩崎村が観光コースとして整備したもの。しかし、世界遺産核心地域に接していて、最近は刈払いが全く行われておらず、登山道は藪で覆われて道が見えずに滑落の危険があるうえ、登山道自体にも植物が繁茂し始めて、事実上廃道状態に近づいてきている。通過は危険を伴うから、利用は勧められない。

十二湖・青池→大崩→崩山→大峰岳→主稜線・大峰分岐→山頂

ギャラリー[編集]

点名「白神岳」
緯度 40°30′13.1189″
経度 140°01′07.19452″
標高 1231.88 m
所在地 青森県西津軽郡深浦町大字大間越山無番地91林班い小班

参考文献[編集]

  • 「白神岳 周辺ガイドと風土」、西口正司、岩崎村むらおこし事業推進委員会、昭和63年