飛龍 (フェリー) – Wikipedia
飛龍(ひりゅう)は、有村産業が運航していたフェリー。
有村産業初のカーフェリーとして三菱重工業下関造船所で建造され、1974年12月18日に大阪 – 那覇航路に就航した[1]。
1985年、中国の中日国際輪渡有限公司に売却され、鑑真となり、1985年7月6日に上海 – 大阪航路に就航した。
就航後1年間で104航海を行い、旅客15,000人、貨物64,000トンを輸送した[3]。
1994年、新鑑真の就航により、引退した。
その後、フィリピンのスルピシオラインズに売却され、Princess of the Paradiseとして就航したが、2010年に解体された。
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船体はA – Eデッキの5層構造で、A – CデッキとEデッキが旅客区画、Cデッキ後方とDデッキが車両搭載区画となっていた。ランプウェイは右舷前方と船尾に設置されており、Dデッキに接続していた。Dデッキ(トラックデッキ)からCデッキ(乗用車デッキ)へは、船内の可動式スロープで連絡していた。また、右舷前方のランプウェイは、整流のため外側に非水密式の水切り扉が設けられていた[4]。
船室[編集]
- 貴賓室(Aデッキ)
- 特等室(Aデッキ)
- 一等室(Bデッキ)
- 特二等室(Bデッキ)
- 二等室(Cデッキ)
設備[編集]
パブリックスペース
- エントランス・ホール(Bデッキ)
- ロイヤル・ラウンジ(Aデッキ)
- サニーガーデン(Aデッキ)
- シーラウンジ(Bデッキ)
供食設備
- グリルバー(Bデッキ)
- レストラン・シアター(Bデッキ)
入浴設備
- 大浴場(Eデッキ)
娯楽設備
- ダンスホール(Eデッキ)
- ゲームコーナー(Cデッキ)
事故・インシデント[編集]
漁船との衝突[編集]
1982年11月13日、14時24分ごろ、那覇港から大阪南港へ向かっていた本船は、室戸岬灯台の北北東約19海里の地点で、漁船真栄丸と衝突した。衝突により、本船は右舷船尾の外板に擦過傷を生じ、真栄丸は船首ホースピット先端部を圧壊折損した。事故原因は、両船が互いに進路を横切り衝突の恐れがある状況で、高速力で航行中の本船が、前路を左方に横切る真栄丸の進路を早期に避けなかったことで発生したが、真栄丸が他船の動向についての見張りが不十分で、疑問信号を鳴らさず、衝突回避の協力動作をとらなかったこと一因とされた[2]
。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 世界の艦船(1975年2月号,p114)
- ^ a b
神戸地方海難審判庁 (1984-03-27). 昭和58年神審第98号 旅客船飛龍漁船真栄丸衝突事件 (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. - ^ 世界の艦船(1986年10月号,p184)
- ^ 世界の艦船(1975年3月号,p110)
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