鹿手袋 – Wikipedia
鹿手袋(しかてぶくろ)は、埼玉県さいたま市南区の町名。現行行政地名は鹿手袋一丁目から鹿手袋七丁目。住居表示実施地区[4]。郵便番号は336-0031[2]。
さいたま市の南部、南区の北西部の沖積平野に位置していて、南北に長い地区である。1990年に住居表示が実施されるまでは「しってぶくろ」と呼称し、鹿手と略して呼称する場合もある(鹿手通りなど)。かつて存在した鴻沼や地区南部を旧入間川の流路が流れていたことから[5][6]、水辺に多い地名である袋がついたとされている。鴻沼川流域を除く全域が市街化区域である[7]。北部は別所沼公園やさいたま市役所が所在する常盤・別所地区の高級住宅地に隣接しており、当地区も閑静な住宅地が広がる。このエリアには関東大震災後、鎌倉文士に浦和画家として知られる文化人が多く移住し、宅地開発が進み、鹿手袋の宅地化にも影響を与えた。武蔵浦和駅周辺の超高層マンションが林立するエリアに隣接している南部は特に人口が多く、全域で住宅が密集している。明治時代は南部に集住し、北部には耕地が残っていたが、昭和期に全域が宅地化した。宅地化の進展により2015年と2016年には埼玉県内で最も地価の上昇率が高い町丁となった[8]。
河川[編集]
小字[編集]
明治元年における小字は前通・中通・壱町田・水深・野方・高沼。
地価[編集]
住宅地の地価は、2022年(令和4年)1月1日の公示地価によれば、鹿手袋4-9-5の地点で32万5000円/m2となっている[9]。
1990年の住居表示実施に伴い「しってぶくろ」から「しかてぶくろ」に呼称変更された。
沿革[編集]
もとは江戸期より存在する武蔵国足立郡与野領に属する鹿手袋村であった[10]。さらに以前は高鼻荘与野郷に属されていたと云われている。地名も「しってぶくろ」や「ししてぶくろ」とも呼ばれていた[10]。田島村には鹿手袋村の飛地を領していた[10]。『新編武蔵風土記稿』では民戸47。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
鹿手袋一丁目 | 572世帯 | 1,192人 |
鹿手袋二丁目 | 549世帯 | 1,072人 |
鹿手袋三丁目 | 935世帯 | 1,841人 |
鹿手袋四丁目 | 1,179世帯 | 2,379人 |
鹿手袋五丁目 | 1,174世帯 | 2,404人 |
鹿手袋六丁目 | 1,034世帯 | 2,268人 |
鹿手袋七丁目 | 1,048世帯 | 2,472人 |
計 | 6,491世帯 | 13,628人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[15]。
鉄道[編集]
- 東北新幹線が上野駅 – 大宮駅間で、武蔵野線大宮支線が別所信号場 – 与野駅間で、同線西浦和支線が武蔵浦和駅 – 別所信号場間が町内を通るが駅はない。町内にある鉄道駅は中浦和駅のみであるが、町の南部は武蔵浦和駅から徒歩圏内にある。
道路[編集]
寺社・史跡[編集]
- 宝泉寺(六丁目)
- 八幡社(六丁目)
- 不動尊(六丁目)
- 阿弥陀堂(七丁目)
- 日月社(七丁目)
公園[編集]
- 一丁目
- 鹿手袋第三児童公園
- 三丁目
- 野方ふれあい公園
- 西南さくら公園
- 四丁目
- 鹿手袋第一児童公園
- 鹿手袋第二児童公園(武蔵野線高架下)
- 鹿手袋四丁目公園
- 五丁目
- 六丁目
- 七丁目
教育[編集]
- 地区内に教育施設はない。なお、児童福祉施設(保育園など)は複数所在する。
施設[編集]
- 一丁目
- 浦和鹿手袋郵便局
- 鹿手袋一丁目自治会集会所
- 二丁目
- 野方会館 – 集会所。埼京線の高架下に所在する。
- 末日聖徒イエスキリスト教会
- 三丁目
- さいたま市浦和西部まちづくり事務所
- コスモス保育園
- 武蔵浦和保育園
- 四丁目
- 五丁目
- 武蔵浦和クマさん保育所
- 六丁目
出身・ゆかりのある人物[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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