飯尾藤次郎 – Wikipedia
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飯尾 藤次郎(いいお とうじろう、1875年(明治8年)2月27日[1] – 1943年(昭和18年)9月9日[2][要出典])は、日本の検察官、内務・警察官僚。政友会系官選県知事。
愛媛県出身。飯尾東平の三男として生まれた[3]。1903年、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。司法省に入省。岐阜地方兼同区裁判所検事を務めた[3][4]。
1907年8月28日、内務省に転じ大阪府警視に就任[5]。以後、高知県事務官・警察部長、新潟県事務官・警察部長、富山県内務部長、宮城県内務部長、熊本県内務部長、平安北道知事、黄海道知事などを歴任[1][3][4]。
1927年5月7日、沖縄県知事に就任。経済の振興、中等教育の振興、政友会の党勢拡張に尽力[1]。1928年12月26日、岩手県に転任。県製糸業界の立て直しのため県是製糸会社設立案を纏めた[6]。1929年7月5日、依願免本官となり退官した[7]。
- 1919年(大正8年)8月11日 – 正五位[8]
- ^ a b c 『沖縄大百科事典』上巻、136頁。
- ^ 戸籍情報による。
- ^ a b c 『人事興信録』第8版、イ78頁
- ^ a b 『新編日本の歴代知事』1129頁。
- ^ 『官報』第7251号、明治40年8月29日。
- ^ 『新編日本の歴代知事』127頁。
- ^ 『官報』第755号、昭和4年7月6日。
- ^ 『官報』第2106号「叙任及辞令」1919年8月12日。
参考文献[編集]
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 – 2000』東京大学出版会、2001年。
- 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』上巻、沖縄タイムス社、1983年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年。
関連項目[編集]
- 愛媛県出身の人物一覧
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