和氣慎吾 – Wikipedia

和氣 慎吾(わけ しんご、1987年7月21日 – )は、日本のプロボクサー。岡山県岡山市出身[1]。第41代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者、第40代日本スーパーバンタム級王者。古口ボクシングジム所属だったが2017年4月1日付でFLARE 山上ボクシングスポーツに移籍した[2]

リーゼントがトレードマーク[3]。憧れの選手は同郷の辰吉丈一郎。

岡山商科大学附属高等学校在学中、インターハイに出場し、そこで古口ジムの古口哲会長にスカウトされる。

2006年10月31日、後楽園ホールで佐藤慎之介と対戦し、1回24秒KO勝ちを収めデビュー戦を勝利で飾った。

2007年8月6日、後楽園ホールで久保裕樹とバンタム級ノンタイトル4回戦を行い、プロ初黒星となる0-2(37-39、38-39、38-38)の判定負けを喫した。

2007年12月24日、新宿FACEで宮本比火地とバンタム級ノンタイトル4回戦を行い、0-1(38-39、39-39、38-38)の判定で引き分けた。和氣はこの試合がプロ初の引分となった。

2008年10月19日、後楽園ホールで大石秀人とスーパーバンタム級ノンタイトル4回戦を行い、3-0(40-37、40-37、39-37)の判定勝ちを収めた。

2009年11月7日、後楽園ホールで後のWBOインターナショナルスーパーバンタム級王者石本康隆とスーパーバンタム級ノンタイトル8回戦を行い、0-3(73-80、73-79、73-79)の判定負けを喫した。

2010年2月15日、後楽園ホールで石田將大とスーパーバンタム級ノンタイトル6回戦を行い、3-0(59-55、59-56、58-56)の判定勝ちを収めた。

2010年7月26日、後楽園ホールで高橋勇治とフェザー級ノンタイトル6回戦を行い、3-0(59-55、59-55、59-56)の判定勝ちを収めた。

2010年11月15日、後楽園ホールで岡畑良治と56.5 Kg契約8回戦を行い、6回2分1秒TKO勝ちを収めた。

2011年4月7日、後楽園ホールで岸裕機とスーパーバンタム級ノンタイトル8回戦を行い、8回57秒TKO勝ちを収めた。

2011年10月1日、後楽園ホールでコーチ義人とスーパーバンタム級ノンタイトル8回戦を行い、1-1(76-77、77-76、76-76)の判定で引き分けた[4]

2012年5月11日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級9位で日本スーパーバンタム級2位の中嶋孝文と56.0 Kg契約8回戦を行い、0-3(74-77、75-77、75-77)の判定負けを喫した。

2012年7月11日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級10位で日本スーパーバンタム級11位のジョナタン・バアトとスーパーバンタム級ノンタイトル8回戦を行い、3-0(78-74、78-74、77-74)の判定勝ちを収めた。

2013年3月10日、神戸サンボーホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者小國以載と対戦。試合は2回にダウンを奪い、10回終了間際に連打を浴びせ、この回のインターバルで小國陣営が棄権を申し出たため試合がストップ。戦前は小國が優位と予想されていたが王座奪取に成功した[3]

2013年6月10日、後楽園ホールでWBA世界スーパーバンタム級5位の菊地永太と対戦し、9回2分24秒TKO勝ちを収めOPBF王座の初防衛に成功した[5]

2013年10月14日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級1位のジュンリエル・ラモナル(フィリピン)と指名試合を行い、3回2分12秒TKO勝ちを収めOPBF王座の2度目の防衛に成功した[6]

2014年2月10日、後楽園ホールでWBC世界スーパーフライ級ユース王者でOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級12位のジョビー・カツマタと対戦し、2回1分14秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した[7]

2014年7月21日、岡山武道館で韓国スーパーバンタム級王者でOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級1位の李ジェーソンと対戦し、10回24秒TKO勝ちを収めOPBF王座の4度目の防衛に成功した[8]

2014年10月28日、同年11月22日にイギリスでWBA世界スーパーバンタム級正規王者スコット・クィッグとの対戦が決まるが、体調不良(トレーニング中に足首負傷)で欠場を決めた[9][10]

2014年12月8日、同年12月31日にWBA・WBO世界スーパーバンタム級スーパー王者ギレルモ・リゴンドウとの対戦が和氣本人も了承して一度は内定するが、フジテレビとTBSの和氣争奪戦や古口会長とのコミュニケーション不足から、和気は独断でリゴンドウ戦を回避。和氣が詳しい説明もないままジムと連絡を絶ち音信不通となったことで、リゴンドウ戦は消滅した。その後、リゴンドウ戦のプロモーターである協栄ジムの金平桂一郎会長が動いてOPBF東洋太平洋フェザー級王者である天笠尚がリゴンドウに挑戦することが急遽決まった[11]

2015年2月27日、後楽園ホールで行われた「金平正紀17回忌追悼記念興行」でOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級10位のジミー・パイパと対戦し、初回2分59秒KO勝ちを収めOPBF王座の5度目の防衛に成功した[12]

2015年6月10日、後楽園ホールでIBF世界スーパーバンタム級3位のマイク・タワッチャイとIBF世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦を行い、12回3-0(2者が119-108、118-109)の判定勝ちを収めカール・フランプトンへの挑戦権獲得に成功した[13]

2016年7月20日、大阪府立体育会館で井岡一翔VSキービン・ララの前座でカール・フランプトンの王座返上に伴いIBF世界スーパーバンタム級2位のジョナサン・グスマンとIBF世界スーパーバンタム級王座決定戦を行ったが、2回に2度のダウンを奪われ、その後も3回と5回にダウンを喫するなど劣勢に追い込まれ、何とか終盤まで粘りを見せたが11回2分16秒、レフェリーが試合を止めて和氣にTKO負けが宣せられ、王座獲得はならなかった[14][15][16]

2017年7月19日、後楽園ホールで元日本スーパーバンタム級暫定王者の瀬藤幹人と8回戦を行い、5回2分31秒TKO勝ちを収め再起した[17]

2017年9月13日、大阪府立体育会館でWBA世界バンタム級7位のパノムルンレック・ガイヤーンハーダオジムとスーパーバンタム級8回戦を行い、8回2分45秒KO勝ちを収めた[18]

2017年12月31日、大田区総合体育館でアドゥンデット・サイトーンジムとスーパーバンタム級8回戦を行い、3回1分40秒TKO勝ちを収めた[19]

2018年4月17日、後楽園ホールで開催された「DANGAN211」にてローマン・カントとフェザー級8回戦を行い、4回2分50秒TKO勝ちを収めた[20]。4月26日、日本スーパーバンタム級1位にランクインした[21]

2018年7月27日、後楽園ホールで日本スーパーバンタム級王者久我勇作と日本バンタム級タイトルマッチを行い、10回35秒TKO勝ちを収め日本王座初戴冠に成功した[22]

2018年11月8日付で日本スーパーバンタム級王座を返上した[23]

2019年1月19日、後楽園ホールで中嶋孝文と6年8か月ぶりにスーパーバンタム級10回戦で対戦し、6回2分20秒TKO勝ちを収めた[24]

2019年10月11日、後楽園ホールでジュンリエル・ラモナルと対戦。しかし3回にラモナルの左フックでダウン、ラウンド終了間際に再びラモナルの左フックが決まりダウンを喫し、ノーカウントでストップ。3回2分59秒TKO負けを喫した[25]

2020年8月22日、後楽園ホールで川島翔平と対戦し、6回2分44秒KO勝ちを収め、再起に成功した[26]

2021年11月11日、後楽園ホールで元WBC世界バンタム級暫定王者でWBO世界同級6位、WBC・IBF世界同級8位の井上拓真を相手にWBOアジアパシフィックスーパーバンタム級王座決定戦を戦うも、12回0-3(110-117×3)で判定負けを喫し、王座獲得に失敗した[27]

  • 自身のYouTubeチャンネルで、2014年の実現しなかったスコット・クィッグとの試合について、和氣本人は初めての世界挑戦ということもあり気合を入れてやる気満々で会長も一度は了承をして、イギリスのマッチメイカーと試合を行う方向で話を進めていたが、途中で慎重な会長が独断で試合を断り頓挫してしまったと語っている。和氣本人も、突然ニュースで「和氣慎吾、練習中の怪我で世界線中止」と報じられたのを見て中止になった事を知り大変驚いたという。ギレルモ・リゴンドウとの試合についても、年末にフジテレビで試合が決まっていたところに、以前から対戦したかったリゴンドウとしかも大晦日のメインという話をTBSからもらい、他の色々な事情もあり板挟みになった和氣は自殺を考えたほど悩んだ末に、防衛戦を放送してもらい世話になっていたフジテレビについていく判断を下し、TBSのリゴンドウ戦の話をまとめる意向だった会長と連絡を断つ為に一時的に身を隠すことにしたと語っている[28]
  • アマチュア:24戦15勝(9KO・RSC)9敗
  • プロボクシング:36戦 27勝(19KO)7敗 2分

獲得タイトル[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]