アメリカ村 – Wikipedia
アメリカ村(アメリカむら)は、大阪府大阪市中央区西心斎橋にある三角公園(御津公園)を中心に広がる若者向けショップが集積するエリアの通称。アメ村(アメむら)とも略称される。
長年関西における若者文化の発信地とされる。店舗総数は約2,500店。
御津公園(通称:三角公園)を中心に、おおむね東は佐野屋橋筋、南は三津寺筋、西は西横堀川跡(阪神高速1号環状線北行き)、北は大宝寺通にかけて、古着屋・アパレルショップ・雑貨店・ライブハウス・音楽関連の店舗などの若者向けの店舗が集中している地域を指す。
江戸時代には豪商の大坂屋久左衛門が居を構え、西横堀川の水運を利用した銅吹屋の町だった。そこから派生して炭問屋が多かったことから、島之内の横堀筋沿いは炭屋町と呼ばれていた。アメリカ村の誕生直前はいくつかの料亭があるほかは、木材加工業などの倉庫などが多い業務地区となっていた。
1969年に日限萬里子が南炭屋町に喫茶店「ループ」を開き評判を集めた。以降、倉庫を改造してサーファーの若者などによりアメリカ西海岸やハワイなどから輸入したアメリカンカジュアルな衣服類が販売されるようになり、アメリカ村と呼ばれ次第に活況を呈するようになった。
1980年代には雑貨、レコード、古着屋[1]などの店が並ぶようになり大学生などが集まるファッションや流行の発信地の一つとなった。このころから京阪神以外の地域でも有名となる。
1990年代初め、タワーレコード心斎橋店(2006年8月閉店)やビッグステップ[2]などが建ち、より多くの若者が集まるようになった。
1990年代中頃から来訪者の低年齢化、大音量の音楽による騒音、粗悪な商品を押し売りに近い形で売りつける悪質な店舗の増加、建物や公共物への落書きなど街の荒廃が問題になり始めた。
2000年前後から北隣の南船場、西隣の堀江、さらにはキタの茶屋町などへ若者が流れてしまい、1998年に約7万人だった休日1日あたりの来訪者数は2005年には半減してしまった。2006年から東京歌舞伎町より面積が広いこともあり50台を上回る77台の監視カメラ(24時間稼動)が設置され、治安回復を目指している。しかし2014年2月頃から再び落書き被害が急増するようになり、なかには地蔵を保護するための防犯用ボックスにまで落書きするケースもあった。大阪府警は事態が深刻化しているとして、パトロールを強化するなどしている[3]。
三角公園[編集]
アメリカ村の中心となる御津(みつ)公園は、三角形の区画をしていることから、「三角公園」の通称で呼ばれることが多い。
清水町筋(島之内側)より南、周防町筋(島之内側)より北の位置で、西横堀川の対岸に西伸する北堀江通(堀江側)は、当初は清水町筋と結ばれ、西横堀川に斜めに架けられた橋は清水橋と命名された。
ところが、1921年の第一次都市計画事業によって、北堀江通と周防町筋が大阪市道堀江玉造線として一体的に整備・拡幅されることとなった。周防町筋を西伸させるとちょうど堀江川(現在は埋立)に当たることもあり、それまで斜めに架けられていた清水橋を、1937年に北堀江通と接続する西詰の位置を変えずに真っすぐに架け替え、清水橋東詰に向けて周防町筋を屈折させることとした。
これにより、すべて四角形の区画だった島之内に初めて三角形の区画が生じた。戦後に御津公園として整備されたのちも、三角形の区画の珍しさもあいまって三角公園の通称が定着するようになった。
なお、清水橋は1962年の西横堀川の埋立に伴い撤去されている。 また、大阪市西成区のあいりん地区にも、「三角公園」の通称で知られる有名な公園(萩之茶屋南公園)が存在するため、混同されることがある。
昭和63年度手づくり郷土賞(小さなふれあい広場)受賞。
公共施設など[編集]
- 御津八幡宮
- 西心斎橋交番
- 三角公園(御津公園)
- 大阪戎橋郵便局
- 鉄道
- 道路
関連書籍[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
座標: 北緯34度40分20秒 東経135度29分53秒 / 北緯34.672086度 東経135.49796度
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