ゴラン・パンデフ – Wikipedia
ゴラン・パンデフ(Goran Pandev;マケドニア語:Горан Пандев, 1983年7月27日 – )は、北マケドニア・ストルミツァ出身のサッカー選手。パルマ・カルチョ1913所属。元北マケドニア代表。ポジションはフォワード。
クラブ[編集]
マケドニアのクラブ・FKベラシツァのユースチームで育ち、2000年にトップチームに昇格。出場18試合で6ゴールを挙げる活躍を見せ、わずか1シーズンでイタリア・セリエAの強豪インテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍。しかしインテルでは出場機会を得られず、2シーズン連続で他クラブへのレンタル移籍を経験した後、2004年冬にデヤン・スタンコビッチとのトレードでSSラツィオへ移籍。ラツィオでは2005-06シーズンから3シーズン連続で2桁得点を記録するなどチームのエースとして活躍。2008-09シーズンは9得点と2桁得点こそはならなかったものの、コッパ・イタリアでは6得点を上げ得点王に輝く活躍で、チームの優勝に貢献した。また、1月11日のレッジーナ・カルチョ戦ではセリエAでは自身初のハットトリックを達成した[1]。
2008-09シーズン終了後に移籍を希望したものの、クラブ側が許さず残留。これが原因でクラブと対立することとなり、2009-10シーズン前半は1試合も出場できずに終わった。2009年12月22日、パンデフは法的措置を取りラツィオとの契約解除に成功し、クラブから16万ユーロの補償金も受け取ることが発表された[2]。2010年1月4日、古巣インテルと4年契約を結んだことが発表された。これにより、トレード相手のスタンコヴィッチと同僚となった。
インテル復帰直後の1月6日のACキエーヴォ・ヴェローナ戦でインテルでのデビューを飾ると、1月16日のASバーリ戦で先発出場しインテルでの初ゴールを挙げた[1]。1月24日のACミランとのミラノダービーでは、直接フリーキックを決めるダメ押しゴールを挙げ勝利に貢献した。また、同年12月に行われたFIFAクラブワールドカップの決勝でもゴールを決めている[1]。
2011年8月27日、SSCナポリへ一年間のレンタル移籍をすることが発表された[3]。
シーズン終了後、ナポリに完全移籍が決定した。契約は2015年までの3年間であるが、2014年9月1日、同僚のブレリム・ジェマイリと共にガラタサライSKに移籍した[4]。
2015-16シーズンより、ジェノアに移籍、2019-20シーズンには移籍後最多のリーグ戦9ゴールを決めて[1]、チームのセリエA残留に貢献した。
代表歴[編集]
2006 FIFAワールドカップ欧州予選では5ゴールを挙げた。地元マケドニアで行われたオランダ戦でもゴールを決めて試合は引き分けとなっている。
2020年、EURO2020予選プレーオフ決勝のジョージア戦で決勝ゴールを決め、北マケドニア史上初の主要国際大会出場となるユーロ出場権の獲得の立役者となった[5]。EURO2020本大会では、グループリーグ初戦のオーストリア戦で北マケドニア史上ユーロ第1号となるゴールを挙げた。またこの37歳321日でのゴールはイヴィツァ・ヴァスティッチが38歳257日で決めたゴールに次いで大会2番目の年長記録となった[6]。第3戦のオランダ戦を前に代表引退を表明、そのオランダ戦で代表最後の出場を果たし、好プレーを見せるもゴールは奪えず途中交代、チームは0-3と敗れた[7]。
所属クラブ[編集]
- → スペツィア・カルチョ 2002-2003 (loan)
- → アンコーナ・カルチョ 2003-2004 (loan)
- → SSCナポリ 2011-2012
個人成績[編集]
クラブ[編集]
代表[編集]
年 | 代表国 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2001 | 北マケドニア | 1 | 0 |
2002 | 3 | 1 | |
2003 | 5 | 1 | |
2004 | 8 | 4 | |
2005 | 7 | 3 | |
2006 | 5 | 1 | |
2007 | 5 | 2 | |
2008 | 8 | 3 | |
2009 | 10 | 8 | |
2010 | 4 | 1 | |
2011 | 5 | 1 | |
2012 | 7 | 1 | |
2013 | 7 | 1 | |
2016 | 8 | 1 | |
2017 | 7 | 4 | |
通算 | 89 | 31 |
代表での得点[編集]
獲得タイトル[編集]
クラブ[編集]
- ラツィオ
- インテル
- SSCナポリ
個人[編集]
- マケドニア最優秀選手
- コッパ・イタリア得点王 : 2008-09(6得点)
外部リンク[編集]
Recent Comments