スポケーンバレー(Spokane Valley)は、アメリカ合衆国ワシントン州東端内陸部に位置する都市。州第2の都市スポケーンの東隣に位置し、同市の郊外都市となっている。人口は102,976人(2020年国勢調査)で、2010年国勢調査時の89,755人から14.7%増加しており[2]、州内第9位である。 スポケーンバレーは2003年3月31日に、スポケーン東郊の非法人地域が新規自治体として法人化、市制を施行して成立した[1]。市名はコロンビア川の支流であるスポケーン川が河谷を形成している、この一帯の地形・地域名である「スポケーンバレー」からつけられた(広域地名)。 グリーンエーカーズ地区の果樹園(1903年) 今日「スポケーンバレー」と呼ばれているこの河谷には、入植以前にはネイティブ・アメリカンのスポケーン族が住み着いていた。1854年、ハドソン湾会社所属の毛皮交易商アントワン・プラントがこの地のスポケーン河畔に入植し、家を建てて農場を営みつつ、スポケーン川の渡し船も運航していた。やがて、この渡し船の周辺に人が集まるようになっていった。しかし1858年、各地でインディアン戦争が激化する中、この地もスポケーン族をはじめとする近隣のネイティブ・アメリカン諸部族連合軍と、将軍ジョージ・ライト率いる入植者軍との間での激戦地となった(「スポケーン平原の戦い」と呼ばれ、ヤキマ戦争の一部と見られている)。その後もスポケーン族はこの地に引き続き住んではいたが、入植者たちの入植も進んでいった[3]。 年鑑降水量が17インチ(430mm)前後と乾燥帯に近い気候で、南に広がるパルース地帯ほど土壌が肥沃ではなく、岩がちで耕起にも苦労するスポケーンバレーの河谷は、当初は農耕に適した土地では無かった。しかし1895年から、ニューマン湖やヘイデン湖などの近隣の湖沼や、スポケーン川の水を用いた灌漑が行われ、また1900年に地元農民が掘った井戸によって大規模な帯水層(スポケーンバレー・ラスドラムプレーリー帯水層)が見つかると、その後は1920年代中盤に至るまで、一帯はリンゴの大産地へと変貌した[3]。 1920年代から周辺の豊富な木材資源を活かしたマッチ製造や製紙に加えて、セメントや砂利などの産業が興っていたものの、第二次世界大戦前のスポケーンバレー一帯はほぼ農村地帯であった。しかし第二次世界大戦の開戦後、1942年に、この地の安価な電力を利用したアルコア社のトレントウッド・アルミニウム圧延工場、および太平洋岸北西部の港湾に通ずる鉄道の便の良さを活かした海軍のべロックス供給基地が置かれると、この地の工業化が一気に進んだ。第二次世界大戦の終結後、1946年に創業したカイザー・アルミニウム社はトレントウッド圧延工場をリースし、後に買い取って同社の拠点工場とし、スポケーンバレーの地域経済を支える存在となっていった。また、1958年にべロックス供給基地が払い下げられると、その跡地は工業団地に転用された[3]。 20世紀も後半になると、全米的な郊外化の波に加えて、カイザー社の存在もあって、「スポケーン郊外」であるこのスポケーンバレー一帯の人口は急増した。1960年には46,458人であったこの一帯の人口は、20年後の1980年にはそのほぼ倍、82,153人を数えた。1980年代に入ると法人化への機運が高まり、1984年には、スポケーンバレー商業局がその是非をまとめた。しかし、1990年、1994年、1997年と3度行われた住民投票では、いずれも法人化への反対が賛成を上回る結果となり、否決された。しかし2002年、スポケーンがこの一帯を編入合併するかもしれないという風説が流れると、4度目の住民投票が行われ、賛成が僅差で反対を上回った。これを受けて、翌2003年3月31日、オポチュニティ、ディッシュマン、ベラデール、グリーンエーカーズ、トレントウッドなどの国勢調査指定地域(CDP)を含む、一帯の非法人地域がスポケーンバレー市という新規自治体として法人化、市制を施行した[3]。当時、法人化時点での人口は州史上最大、全米でもコロラド州センテニアルに次ぐ史上2位の規模であった[1]。2020年の国勢調査では、史上初めて人口10万人を突破するものとなる、102,976人を数えた[2]。 スポケーンバレー市庁舎は北緯47度39分24秒 西経117度16分4秒 / 北緯47.65667度 西経117.26778度 / 47.65667; -117.26778に位置している。市はワシントン州東端内陸部、スポケーンの東に隣接し、同市ダウンタウンからは東へ約12km、アイダホ州との州境からは西へ約17kmである。 アメリカ合衆国国勢調査局によると、スポケーンバレー市は総面積98.44km2(38.01mi2)である。そのうち97.69km2(37.72mi2)が陸地で0.75km2(0.29mi2)が水域である。総面積の0.76%が水域となっている。スポケーンバレー市域内の代表的な水域としては、市の北を流れるスポケーン川のほか、ソルティーズ・クリーク、およびその水の流入先であるシェリー湖が挙げられる(シェリー湖から流出する河川は無い)。市域はコロンビア山脈の南端、スポケーン川が形成した「スポケーンバレー」と呼ばれる河谷に広がっており、市名もこの河谷に由来している。標高は市庁舎の位置で608mである。 イーグル・ピークから東のスポケーンバレーを望む スポケーン・スポケーンバレー両市を含むスポケーンバレー一帯の気候は、乾燥して日中は温暖だが夜はやや冷え込む夏と、雨や雪が多く、シアトルやポートランドなどの沿岸部と比べると寒さが厳しいものの、高緯度の割には温暖な冬に特徴付けられる。ケッペンの気候区分では、スポケーンバレーは計算上は地中海性気候(Csb)に属するが、最寒月である12月の月平均気温は氷点下2.6℃[4]で、ワシントン州東部やアイダホ州北西部に分布する高地地中海性気候(Dsb)との境界線にかなり近い。気候についての詳細は、スポケーン#地理・気候も参照のこと。 スポケーンバレーはワシントン州法35A条で定められた「非憲章都市」であり、シティー・マネージャー制を採っている。この制度の下、市議会は市の立法機関としての役割に専念し、その採択した政策を行政のプロとして実行に移すシティー・マネージャーを任命・雇用する[5]。シティー・マネージャーは市の行政実務部門、および立法府サポート部門の長として、市政府組織の日常業務、および市議会が市民に対する責務を果たせるようなサポートに責任を負う[6]。市議会の議事録をはじめとする様々な記録の作成・保管に責任を負う市書記官[7]や、市議会や市職員に対し法律関連のサポートを行う市法務官[8]も、シティー・マネージャーが任命する。
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