Month: June 2020

共有原始形質 – Wikipedia

祖先形質および派生形質の様々なパタンを記述する用語と分岐図 [1] 系統学において、原始形質(げんしけいしつ)あるいは祖先形質(そせんけいしつ)(plesiomorphy)、共有原始形質(きょうゆうげんしけいしつ)あるいは共有祖先形質(きょうゆうそせんけいしつ)(symplesiomorphy or symplesiomorphic character)とは、2つ以上の分類群で共有される祖先的な形質の状態である。原始形質は、通常は派生形質に対して、祖先的な形質状態と言及される。共有原始形質は最も近い共通祖先をもつ、考慮に入れる他の分類群にも共有されうる。したがって、共有原始形質を共有する分類群が、ほかの分類群よりも近縁であることにはならない[2]。共有原始形質(symplesiomorphy)は1950年にドイツ人昆虫学者ヴィリー・ヘニッヒによって造られた語である。 原始形質の概念は派生的な形質状態と祖先的な形質状態を区別せずに、単に形態学的あるいは遺伝学的類似に基づいて、種をグルーピングする危険性を示している。共通祖先から受け継がれた祖先形質は系統樹のいかなる部分にも存在しうるもので、その存在をもって近縁関係を表すことはできない[3]。 有名な例が硬骨魚類と軟骨魚類の鰓呼吸である。硬骨魚類は軟骨魚類よりも肺や皮膚で呼吸をする四足動物に近縁であるが、鰓による呼吸は「魚類」によって共有されており、脊椎動物の共通祖先で存在した鰓呼吸が、四足動物では失ったものと考えられる。しかし共有する形質状態のみに基づけば、硬骨魚類は四足動物よりも軟骨魚類に近縁であるという結論を出してしまうことになる[4]。 関連項目[編集] ^ Roderick D.M. Page; Edward C. Holmes (14 July 2009). Molecular

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滋賀農業公園ブルーメの丘 – Wikipedia

滋賀農業公園ブルーメの丘(しがのうぎょうこうえんブルーメのおか)は、滋賀県蒲生郡日野町にある農業公園である。1997年4月19日開業[1]。指定管理者制度に基づき、株式会社ワールドインテック パークマネジメント事業本部(旧:株式会社ファーム)が管理・運営している。[2][3]。 中世ドイツをイメージした、酪農・ふれあい・体験をテーマに自然の中で遊びを通じて感性を育む体験型農業公園。 営業時間および休園日は、シーズン中(3月1日から11月30日)と、冬季期間中(12月1日から2月28日)で異なる。 入園料は、大人(中学生以上)1,000円、こども(4歳から小学生)600円で、3歳以下は無料である。また、飼い犬の入園にも300円の支払いを要する。その他、団体料金・学校行事団体料金・障がい者料金がそれぞれ設定されており、年間パスポート(大人3,800円、こども2,300円)も購入できる。なお、各施設の利用には別途料金が必要である。“総合案内”. 株式会社ファーム. 2019年10月17日閲覧。 施設“ブルーメの丘パンフレット裏”. 株式会社ファーム. 2019年10月17日閲覧。 公園ゾーン はじまりのエリア(入場ゲート、チケット売り場、ゲートショップ、ブルーメドッグラン) にぎわいのエリア(時計台の売店、農村レストラン、バーベキューハウス、シルバニアファミリーあそびのお部屋、クラフト体験工房、パン工房、ソーセージと乳製品のお店、まちカフェ、ミルクプラント、味食館) あそびのエリア(アルプスジム、パターゴルフ、ミニSL、足こぎボート、コイ釣り、木製迷路、金魚つり、ゴーカート、アーチェリー、バギー、エアージャンパー、セグウェイ、コブナつり、芝すべり、おもしろ自転車、アルプスカフェ、シュピール) 水のエリア(小川、じゃぶじゃぶ池) 農場ゾーン つどいのエリア(石窯パン屋さん、ビールとソーセージ屋台、クラフトビール工房、グルメ体験工房、畑、ブルーベリー畑) はなのエリア(メイン花畑、メイン芝生広場、ミニ温室) どうぶつのエリア(動物ふれあい広場、羊の放牧場、アルパカの放牧場、馬の放牧場、乗馬場) めぐみのエリア(やさい畑)

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国連緊急即応待機旅団 – Wikipedia

国連緊急即応待機旅団(こくれんきんきゅうそくおうたいきりょだん 英: Multi-National Stand-By High Readiness Brigade for United Nations Operations)は、国際平和活動(PSO)のひとつ。国連の要請に応じて、即応展開を可能とする旅団規模の平和維持部隊を派遣できるよう組織された、国連平和維持活動貢献の為の国際的な枠組みである。1994年、 デンマークの主導で設立構想が立ち上げられ、1996年に同国を含めた欧米7カ国により設立。2000年に活動を開始した。略称はSHIRBRIG(シューブリグ)。多国間待機軍即応旅団ともいう。 SHIRBRIGは、主にデンマークなどの北欧諸国を中心に組織され、南米や北米(米国を除く)も含めた16カ国が参加している。さらに、その他に8カ国がオブザーバーとして参加している。参加国は年々増加しており、 日本は2009年7月に登録した。 2000年の稼働開始以後、これまで エリトリア(UNMEE、2000年)、 コートジボワール(ECOWAS支援, 2003年)、 リベリア(UNMIL、同)、 スーダン(UNAMIS、2004年;UNMIS、2005年;AMIS、2006年)に派遣され、国連平和維持活動を支援している。 設立経緯[編集]

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雲粒 – Wikipedia

雲粒(うんりゅう、くもつぶ、英: Cloud condensation nuclei)とは、雲を構成する水滴や氷結晶(氷晶)のこと[1][2]。なお、氷晶を含めない場合もあり、この場合は雲粒と氷晶を総称して雲粒子などと呼ぶ[3][4]。 雲粒の大きさと浮遊する条件[編集] 粒の直径は大体3μm(マイクロメートル)~10μm(=0.003mm~0.01mm)程度で、ヒトの赤血球の直径(6~8μm)と同じくらいである。10μmの雲粒の落下速度は最も速い終端速度[注 1]で1cm/s(センチメートル毎秒)程度となる。雲粒を支えて空中に浮かせるためには、これと同じかより速い速度で上向きの風が吹かなくてはならない。普通の上昇気流(上昇流)は平均風速が1m/s以上で、このような上昇流は地球大気の至る所に存在するため、これを十分支えて浮かべることができる[5]。 ただし、雲の中にはこれよりも大きな水滴や氷晶がある。雨粒は0.1mm~5mm程度であり、この大きさの雲粒の落下速度は30cm/s~10m/sと速く、上昇気流の強さ次第で雲の中を浮遊したり落下したりする。落下して地上に到達すると雨や雪などになる。 雲粒ができる、つまり水蒸気が水滴に凝結したり、水蒸気が雨粒に液化(凝固)したりする際に、雲核(うんかく)と呼ばれる微粒子があると、微粒子の表面で凝結・昇華(凝固)が始まる[6]。 雲核は雲粒の発生を促す働きがあり、雲核が媒介して水蒸気が水滴や氷の粒へ相変化を起こすプロセスを、雲粒の核形成という。雲核となる不純物がほとんどない大気では相対湿度が100%を超過して数百%に達するまで凝結が起こらないことが知られており、雲ができるために核形成は欠かせない[7]。 雲核になる微粒子は主に、土壌由来の砂埃(風塵。黄砂も含む)[8]、火山噴火に由来する火山灰[8]、細かい海水のしぶきが蒸発した際に残る塩分(海塩粒子)[9]、火山ガスや人為的に排出される排気ガスに由来する硫酸塩粒子[9]などで構成される。これら大気中に浮遊する微粒子はまとめてエアロゾル(エーロゾル)と呼ばれている[10]。大気循環などによって攪拌されるため、地球上に広く分布しているが、場所により濃度の差がある。また、地上に近い大気ほど濃度が高い。 海洋などに生息するプランクトンが出すジメチルスルフィドも雲粒になりうるとされており、赤潮などのプランクトンの異常発生時には雲ができやすいとの研究もある。 また、宇宙線に含まれる荷電粒子が大気の気体分子をイオン化させ、それをきっかけに雲核となる微粒子が形成されるという説もある(スベンスマルク効果)。 雲核は、相転移の各相に対応させて考えると3種類(太字の前3種)、細かく分けると5種類(太字のもの)に分けられる。水蒸気から水に凝結するとき働く凝結核(凝縮核)、水から氷に凍結(凝固)するときに働く凍結核(凝固核)、水蒸気から氷に昇華するときに働く昇華核である。また、凍結核と昇華核をまとめて氷晶核と呼ぶ。凍結核の中には、凝結核としても働く凝結凍結核や、外からの衝突によって起こす衝撃で凍結させる衝突凍結核があり、単に水滴の中で凍結核として働くものだけを「凍結核」と呼ぶ場合がある。 注釈[編集] ^ 雲粒ははじめ重力加速度に近いペースで加速するが、加速するにつれて空気抵抗が増して加速度が小さくなる。重力と空気抵抗が釣り合って速度が変わらなくなったとき、これを終端速度という。実際の空気中では、下降気流がなければ、終端速度よりもやや遅いくらいが最大速度である。 出典[編集] 参考文献[編集] 荒木健太郎

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伊禮友希恵 – Wikipedia

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典が不足しています。存命人物の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります。(2019年6月) 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2019年6月) 人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。(2019年6月) 広告・宣伝活動的であり、中立的な観点で書き直す必要があります。(2019年6月)出典検索?: “伊禮友希恵” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL いれい ゆきえ伊禮 友希恵 本名 伊禮 友希恵 生年月日

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バンダイ – Wikipedia

この項目では、玩具事業などを行う日本の企業について説明しています。 株式会社バンダイ(英: BANDAI Co., Ltd.)は、バンダイナムコグループの玩具、模型、既製服(アパレル)、生活用品等を手がけるメーカー。「変身」や「妖怪」を商標登録している。コーポレート・メッセージは「夢・クリエイション」。 企業系列[編集] かつては三和グループのメンバーであり三和系企業で設立されたみどり会のメンバーだったが[1]、ナムコとの経営統合後にみどり会を退会した。 日本国外での展開[編集] バンダイグループは、日本国外において、現地の人気キャラクターを盛んに玩具化し、「新 キャプテン・スカーレット」や「バットマン」、「ベン10」などの玩具が現地の子会社を通じて発売されている。 1990年代にスーパー戦隊シリーズを日本国外向けにした作品である「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の玩具をアメリカを始めとする日本国外で発売し、大成功を収めた。以後、パワーレンジャーシリーズの玩具を毎年、発売していたが、2019年4月1日をもってサバン・ブランドとの契約終了により同シリーズの玩具販売はハズブロへと移行した[2]。 2000年代以後はそれらに加えて、現地のキャラクターをアニメ化して展開している。アメリカではアメリカングリーティング社が開発したグリーティングカードのキャラクターである「ストロベリーショートケーキ」を、ヨーロッパではフランスの絵本を題材とした「ベルフラワーバニーズ」などをアニメ化している。 2010年代はアジアでのメディアミックス戦略にも力を入れ、インドネシア向けに石森プロと共同開発した等身大特撮ヒーロー「ガルーダの戦士ビマ」を展開している。これを受け2014年には現地法人BANDAI NAMCO INDONESIAを設立した。この他「アイカツ!」も韓国や台湾、香港、インドネシアでアニメと関連玩具を展開している。 「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の成功に合わせて、ガンダムシリーズなどの日本のキャラクターの玩具も日本国外で発売を行っている。 1950年代 [編集] 創業者、山科直治(1918年 – 1997年10月28日)の義兄久々津一夫が経営する繊維会社「萬代産業」の玩具製造子会社「萬代屋」として浅草にて創業。「萬代」(万代)とは武経七書の一つに数えられる兵法書「六韜」に登場する語の「萬代不易」(永久不変の意)に由来し、創業者の山科直治が「いつの世も人の心を満たす物を作り、絶えない企業の発展を願う」という意味だとしている。

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内田唯人 – Wikipedia

内田 唯人(うちだ ゆいと、8月1日[1] – )は、日本の声優、俳優。神奈川県出身。 来歴・人物 [編集] A&Gアカデミー16期卒業生。オフィス薫附属声優養成所卒業。オフィス薫所属。 身長172cm。体重47kg。 声優を志したきっかけは、子供が好きで、自身も子供向け番組に出演したかったから。学童保育で働いていたことがある。 楽器全般の演奏を得意とし、自身のSNSでは度々演奏動画を投稿している。その他の趣味にサーフィン、スポーツ観戦、特技にマラソンを挙げている。 指定難病であるクローン病患者である。 動物が好きで、特に一番好きなのは猫。SNSによく猫の写真を投稿している。 太字はメインキャラクター。 テレビアニメ[編集] ゲーム[編集] 吹き替え[編集] 映画[編集] アントボーイ ON AIR 殺人ライブ CO2

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フェリックス・デュ・タンプル – Wikipedia

フェリックス・デュ・タンプル・ド・ラ・クロワ(Félix du Temple de la Croix, 1823年7月18日 – 1890年11月4日)はフランスの海軍軍人、発明家。幾つかの飛行機械を開発し、これは歴史上で最初(ライト兄弟の初飛行1903年よりも29年早い1874年)の動力飛行だとされることもある[1]。同時代に同じ分野で活動したもう一人のフランス人に、ジャン=マリー・ルブリがいる。 海軍時代のデュ・タンプル 軍人として[編集] ノルマンディーの旧家の生まれ。 1838年、フランス海軍兵学校(École Navale )入学。第二帝政期の殆どの紛争で、特にクリミア戦争とメキシコ出兵で戦った。 41歳の時、彼はフランスに帰り、海軍中佐(Capitaine de Frégate )になってド・ラ・ロワール軍 (fr:Armée

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伊号第二十八潜水艦 – Wikipedia

伊号第二十八潜水艦(いごうだいにじゅうはちせんすいかん、旧字体:伊號第二十八潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の9番艦。 当初は伊号第三十一潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第二十八潜水艦と改名されている[2]。 1939年(昭和14年)の第四次海軍補充計画(④計画)により計画され、1939年9月25日に三菱重工業神戸造船所で起工。1940年(昭和15年)12月17日に進水、1942年(昭和17年)2月6日に竣工した。竣工と同時に呉鎮守府籍となり、第六艦隊直卒となる。 24日、竣工した伊27と共に第14潜水隊を編成。 3月10日、第14潜水隊は第8潜水戦隊所属となる。 4月15日、伊28は呉を出港。18日、ドーリットル空襲が起こったため米機動部隊の捜索を行うが、見つけることはできなかった。24日、トラックに到着。30日、MO作戦に参加してトラックを出港し、ガダルカナル島南西沖の哨戒線に配備された。5月11日、特殊潜航艇によるシドニー港攻撃に参加するべくトラックに戻るよう命ぜられる。16日0630、ラバウル北北東250浬地点付近で機関が不調であると報告したのを最後に消息不明となる。 アメリカ側記録によると、11日のトラックへの帰還命令を傍受した米軍は、ウルトラ情報(英語版)により、付近で哨戒中の米潜トートグ(USS Tautog, SS-199)にトラックへ向かう4隻の日本の潜水艦を攻撃するよう命令した。この4隻は伊22、伊24、伊27と伊28であった。17日0534、トートグは情報どおり潜水艦が向かってくるのを確認。最初に来た潜水艦と2番目の潜水艦は取り逃がし、特に0648に2番目の潜水艦に向けて発射した魚雷は、早期爆発を起こしてしまった[注釈 3]。3番目に12ノットで浮上航走中の潜水艦が伊28であり、トートグは司令塔に「イ28」と書かれているのがはっきり分かるほど接近し、1101に魚雷2本を発射。うち1本が伊28に命中し航行不能となる。右舷に著しく傾斜する伊28が後部から反撃の魚雷2本を発射してきたと判断[注釈 4]したトートグは水深46mの位置に逃れた後、1107に730mの距離でとどめの魚雷を発射。魚雷は伊28の司令塔直下に命中し、伊28は木っ端微塵となった。伊28の破片や乗組員の肉片などがトードクに降り注いだ[3]。その後、トートグは15分間、伊28が沈没する音を聴取。その中で発生した海中での大爆発でトートグの艦体が揺さぶられた。沈没地点の海域では気泡が上がり、海水は茶色がかっていた。これが伊28の最期の瞬間であり、艦長の矢島安雄少佐以下乗員88名全員戦死。沈没地点はトラック南方70km地点付近、北緯06度30分 東経152度00分 / 北緯6.500度 東経152.000度 / 6.500; 152.000。 6月15日、亡失認定されて除籍された。 歴代艦長[編集]

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山ン寺遺跡 – Wikipedia

山ン寺遺跡(やまんてらいせき)とは、佐賀県伊万里市にある史跡である。 山ン寺遺跡の無縫塔 佐賀県伊万里市東山代町川内野字山の寺にある14世紀末に成立した史跡である。中世の武士団である松浦党の初代源久、二代源直、三代源清を祀る平安時代の館跡と言われているが、調査の結果平安時代や鎌倉時代のものが一切出土しないことから館の成立は室町時代(14世紀末)と考えられている。「松浦家世伝」等の史料の研究から城館跡とされているが、防御機能である竪堀、切岸等といった城館にあるはずの防御機能が認められず、更に遺跡の立地範囲が周辺より低く、周囲からのぞき込まれる様な立地であるため、発掘調査を行った伊万里市教育委員会は信仰対象としての山岳寺院跡ではないかとの見方を示している。 遺跡の土地は15世紀末まで松浦本宗家(今福家)の所領であり、造営に本宗家が関与可能性はあるが、寺院跡地の広さから本宗家だけの財力で造営したかは疑問を呈されている。出土された陶磁器から14世紀末には遺跡の存在が認められるが、同時期に松浦党諸家が一族一揆していた時期と重複しており、松浦諸家も関与したことは十分に考えられる。伊万里市教育委員会は諸家の財力に応じて、出資を行うような方法が取られた可能性もあるとしている。 宗教的施設として考えられる機能は、拡大した一族間の精神的統一、軍事力や財政力の乏しい諸家の連携強化であり、それら効果を高める為の松浦三代の宗廟としての象徴化であった。本宗家や諸家がそれぞれ菩提寺を持つ中で、象徴施設を持つことには意味があったと考えられる。 ただし、出土品に輸入陶磁器類当があったことから、遺跡は単なる山岳寺院だけでなく、松浦諸家の海外交易活動にも深い関わりが可能性がある。 一山二水三方位の山ン寺の風水施設 山祇神社を背に總持寺・列石・土塁・二つの明堂を備える。また、佐世保烏帽子岳を祖山とした地脈は案山として福島を、朝山として唐津の馬渡島を見立てている。 列石(人頭大、50㎝~100㎝) 鎮山である山祇神社山頂と青龍の地脈を強化するため、最も強く硬い石を用い、連続させて両者を連絡 土塁 山祇神社頂上部と西方高地に向かう土塁は山頂の生気を盛んにするため。内明堂と外明堂の明堂水は向かって左から右へ流れる約束で、總持寺境内の両側の谷を左右の明堂水とみなす 宗廟遺跡 肥前松浦党の始まりは、1068年嵯峨源氏の源久が宇野御厨荘官として下向、松浦彼杵郡壹岐国に所領を持ち梶谷に住み松浦の苗字名乗ることによる。その子である伝直夫妻の墓、現存する石造物で最も古い宝筐印塔(室町前半)である伝久の遥拝墓、直の子清の遥拝墓と伝えられる宝筐印塔がある また、中世末から近世の五輪塔郡・宝筐印塔群・板碑・地蔵塔・無縫塔・自然石塔等、100基ほど散在。山祇神社北面を開削し、寺地の平坦地造成は、室町前期の土木造成工事としては比較的大規模であり、東西松浦地域の中世の造営は他にない 總持寺は天正期末松浦山代氏が杵島郡へ退転後廃絶。その後、文禄の役の折り、秀吉名護屋在陣の諸大名陣屋用として破壊され、寺鐘とともに撤廃 山祇神社 祭神は、象樟日神(熊野久須毘命)。他、熊野十二社権現及び松浦三代の祖霊を合祀 巨石 山祇神社付近。玄武岩系自然石。4×2.5mの角柱状立石・1.5×5×3mの板状石・ほか1~3mほどの巨石等多数散在

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