Month: May 2021

台北ドーム – Wikipedia

台北ドーム(臺北大巨蛋)遠雄巨蛋、Farglory Dome 建設中の台北ドーム(2019年) 施設データ 所在地 中華民国(台湾)台北市信義区 起工 2012年4月17日 開場 2022年予定 所有者 遠雄グループ(中国語版) グラウンド 人工芝 スコアボード メインスコアボード – 全面フルカラーLED(18.0m x 33.0m)

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太陽の彼方に – Wikipedia

「太陽の彼方に」(たいようのかなたに、Movin’)は、アメリカ合衆国のロック・バンド、アストロノウツが日本で大ヒットさせたインストゥルメンタル曲。リー・ヘイズルウッドが書いた楽曲で、大滝詠一らの誤った発言で、アストロノウツのプロデューサーがリー・ヘイゼルウッドと書かれていることがよくあるが、彼らのレコードは全て名プロデューサーのアル・シュミットがプロデュースしている。(山下達郎や萩原健太といった有名人も大瀧の誤った発言を真に受けた発言をよくしてるので、これを信じてる人は少なくない。) 1963年にアメリカで発売されたアルバム『Surfin’ With The Astronauts』に収録されていたが、日本ではシングル化されて大ヒットし、その後、日本語の歌詞が付けられるなど、様々な形で日本の歌手、グループなどに取り上げられた。アメリカではシングルとしては発売されなかったが、当時サファリーズやエディ&ショーメンらもカヴァーしている知られた曲ではある。 8小節からなるメロディを、転調なども織り込みながら延々と反復し続ける構成となっている。 アストロノウツ[編集] 「Movin’」は、リー・ヘイズルウッドが、インストゥルメンタル曲としてアストロノウツのデビュー・アルバム『真夏のリズム~サーフィン! (Surfin’ With The Astronauts)』に書き下ろした楽曲で、アルバムB面の3曲目に収められていた[4]。本国ではシングルにはされなかったが、日本では1964年4月20日にシングルがリリースされ[5]、同年の洋楽の年間チャートで5位に入るヒットとなった[1][2][3]。文化放送『ユア・ヒット・パレード』では1964年度の年間5位[6]を記録。 日本語による歌唱[編集] この曲に「タカオカンベ」(神戸孝夫)名義による日本語の歌詞を載せた楽曲は「太陽の彼方に」と題され、1964年5月に藤本好一の歌唱、寺内タケシとブルージーンズの演奏でシングルが発売され、B面には寺内タケシとブルージーンズによる「カーニバルの夜は更けて」(La-Di-Da Song、ヴィレッジ・ストンパーズのカバー)が収められた。また、田川譲二の歌唱、アストロノウツの演奏によるシングルも発売され、B面には田川の歌唱、ブルージーンズの演奏による「好きだよベイビー」(C’mon Everybody、エルヴィス・プレスリーのカバー、安井かずみによる日本語詞)が収められた。 1972年5月25日、ゴールデン・ハーフが、シングル「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」(B面は「カム・カム・ハワイ」[7])を出して、この曲をリバイバルさせた。 参考文献[編集]

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青森駅 – Wikipedia

青森駅(あおもりえき)は、青森県青森市柳川(やなかわ)一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・青い森鉄道の駅である。 青森県の県庁所在地・青森市の中心駅(ターミナル駅)である。かつては東京から伸びる鉄道幹線である東北本線および奥羽本線の終着駅であり青函連絡船との乗換駅だった[1][2][3]。1988年(昭和63年)の青函トンネル開通に伴う青函連絡船廃止と旅客輸送の海峡線経由化、2010年(平成22年)の東北新幹線開通に伴う東北本線の第三セクター化、さらには2016年(平成28年)の北海道新幹線開業に伴う海峡線経由の旅客輸送の新幹線への移行を経て、「北海道との連絡口としての役割から、三内丸山遺跡や世界遺産白神山地への玄関口とその機能は変貌を遂げる駅」として、東北の駅百選に選定されるに至っている[1][2][3][4]。なお、東北本線八戸駅 – 青森駅間の第三セクター化に伴い、在来線における所属線は東北本線から奥羽本線に変更されている[5]。 2022年2月現在、乗り入れている路線はJR東日本の奥羽本線と津軽線、青い森鉄道の青い森鉄道線の合計3路線であり、いずれの路線も当駅が起終点となっている(津軽線のみ起点、奥羽本線、青い森鉄道は終点)[1][2][3]。 JR青森駅の事務管コードは▲211066、青い森鉄道青森駅の事務管コードは5461246である[6]。 当駅は古くは青函連絡船の本州側玄関口であり、北海道と本州をつなぐ、全国的な交通網の要であった。その情景は歌謡曲「津軽海峡・冬景色」の歌詞にもなった。 1988年(昭和63年)に青函トンネルが開通すると、青函連絡船はその役目を新たに開業した津軽海峡線に譲って廃止され、津軽海峡線の快速「海峡」の始発・終着駅の役割を果たしていた。 その後、2002年(平成14年)の東北新幹線盛岡 – 八戸間開業時に快速「海峡」が廃止され、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」の停車駅(一部始発および終着あり)となったことから、昼間の当駅始発・終着列車は減り、さらに2010年12月4日の東北新幹線新青森開業後は、東北本線八戸 – 当駅間は青い森鉄道に経営移管され、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」の起終点は八戸駅から新青森駅に変更され[注 1]、多客期の臨時特急「白鳥」の午前の1往復のみ当駅始発となった。 そして、2016年(平成28年)の北海道新幹線開業に伴い、青函トンネル経由の旅客列車はすべて新幹線へ移行することになったため、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」をはじめとした津軽海峡線の旅客列車はすべて運行を終了した。これにより、当駅から直接北海道方面へ向かう旅客列車は無くなり、北海道への玄関口としての役割は新青森駅に譲り渡された。 かつては1番線側に青函連絡船の岸壁があり、連絡船の車両甲板につながる可動橋があった。また、当駅から安方を経て埠頭方面への臨港線(青森県公用臨港線)もあり、貨車の入れ替え作業がホームから頻繁に見られた。連絡船への貨車積み込みのため、構内の線路は岸壁に向かって北側に伸びた構造になっている。 年表[編集] 1891年(明治24年)9月1日:日本鉄道の駅として開業。この当時は、玄関が安方通りに面していた。なお、1番列車は、前日17時45分に上野駅を出発し、当駅に当日17時10分に到着した列車だった。また、当時の運行ダイヤは、下り列車が上野14時45分発青森17時10分着、上り列車が青森12時50分発上野10時10分着の1往復の運行だった[7][注 2]。 1906年(明治39年)

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ストーンの表現定理 – Wikipedia

数学において、ブール代数に対するストーンの表現定理(ストーンのひょうげんていり、英: Stone’s representation theorem)は、任意のブール代数が何らかの集合代数 (field of sets) に同型であることを述べるものである。この定理は20世紀前半に浮上してきたブール代数の深い理解にとって基本的である。この定理を初めて証明したのは Stone (1936) であり、名称はこの業績に因むものである。ストーンはヒルベルト空間上の作用素のスペクトル論の研究によってこの定理を導いた。 この定理はストーン双対性の特殊な場合に当たる。 ストーン空間[編集] 各ブール代数 B は、それに付随するストーン空間と呼ばれる位相空間 S(B) を持つ。S(B) における点は B

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ウカシュ・ヤニク – Wikipedia

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “ウカシュ・ヤニク” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年9月) ウカシュ・ヤニク(Lukasz Janik、波: Łukasz Janik、1985年12月17日 – )は、ポーランドのプロボクサー。イェレニャ・グラ出身。 2006年12月16日、ヤニクはプロデビューを果たし3回TKO勝ちを収めた。 2007年8月18日、ベルリンのマックス・シュメリング・ハレでラシード・エル・ハダクと対戦し6回2-0(60-57、58-56、58-58)の判定勝ちを収めた。 2008年3月29日、ジャン・クラウデ・ビコイと対戦し6回3-0(2者が60-54、60-56)の判定勝ちを収めた。 2009年5月2日、マルセル・エルテールと対戦し2回終了時エルテールの棄権によるTKO勝ちを収めた。 2009年6月20日、シルビオ・メイネルと対戦し2回終了時メイネルの棄権によるTKO勝ちを収めた。

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LOVE TRIP/しあわせを分けなさい – Wikipedia

『LOVE TRIP/しあわせを分けなさい』(ラブ・トリップ/しあわせをわけなさい)は、日本の女性アイドルグループ・AKB48のシングル。作詞は秋元康、「LOVE TRIP」の作曲は春行、「しあわせを分けなさい」の作曲は箭内道彦。2016年8月31日にAKB48のメジャー45作目のシングルとしてキングレコードから発売された[注 1]。AKB48としては初となる両A面シングルである[14]。楽曲のセンターポジションは指原莉乃が務めた[15][16]。 背景とリリース[編集] AKB48の45枚目のシングルに関する告知は、2016年3月21日に『AKB48 45thシングル 選抜総選挙』の開催の告知として行われた[17]。45thシングル選抜総選挙は、本シングルに収録される楽曲を歌唱するメンバーをファンからの投票によって選抜するイベントであり、2016年6月18日に開票結果の確定・発表により選抜メンバー16名ならびに一部のカップリング曲を歌唱するメンバーが決定した[18]。楽曲のセンターポジションは、同イベントで最多票数を獲得した指原莉乃が、『ハロウィン・ナイト』以来1年ぶりに務める。 初選抜はゼロで、須田亜香里が40thシングル『僕たちは戦わない』以来1年3か月(5作)ぶりの選抜復帰。兒玉遥、向井地美音、岡田奈々、高橋朱里の4人が、AKB48選抜総選挙によるシングルでは初の選抜入りとなった[19]。入山杏奈、大島涼花、大家志津香、加藤美南、加藤玲奈、川本紗矢、木﨑ゆりあ、北川綾巴、小嶋真子、後藤楽々、白間美瑠、須藤凜々花、高倉萌香、樋渡結依、峯岸みなみ、宮崎美穂、山田菜々美の17人が選抜から外れた。 開票イベントにおいては本シングルの発売日が8月31日となる旨も公表された[20]。なお、「しあわせを分けなさい」はリクルートが発行する結婚情報誌『ゼクシィ』のCMソングとなった関係で選抜総選挙以前の2016年5月20日にタイトルが明かされた[21][22]。加えて本シングルが両A面シングルとなる旨が6月1日の選抜総選挙速報発表時に公表された[14]。その後、6月29日にキングレコードよりタイトル決定が正式に報じられた[23]。 「LOVE TRIP」は7月2日放送の『THE MUSIC DAY 夏のはじまり。』(日本テレビ)で初披露された[24]。さらに、指原が実行委員を務めた『FNS27時間テレビフェスティバル!』(フジテレビ)の企画「AKBの中心で愛を叫ぶ〜告れメッセージフェス」(7月24日生放送)で[25]、告白メッセージとミックスしたスペシャルパフォーマンスとして[26]、テレビでは初めて完全フルコーラスで披露された[27]。主題歌に採用されたテレビドラマ『時をかける少女』(日本テレビ)の2016年8月6日放送の最終回オープニングでは、当日に行われた『第2回AKB48グループ チーム対抗大運動会』会場のさいたまスーパーアリーナから生中継で披露された[28][注 2]。 振付を担当したのは牧野アンナで[29]、指原と同じ太田プロダクション所属のダチョウ倶楽部のネタであるジャンプ芸の振りが取り入れられている[15][24]。楽曲のテーマは「告白」[24]。キャッチコピーは「あの時、「好き」と言えたら、何かが変わっていただろうか?」[30]。 「しあわせを分けなさい」は、『ゼクシィ』のCMソングとして2016年5月22日より、歌唱メンバーが決まるまでは作曲・編曲をそれぞれ担当した箭内道彦と亀田誠治が歌う「しあわせを分けなさい (Demo

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岩絵具 – Wikipedia

岩絵具の一種、合成岩絵具。 岩絵具(いわえのぐ)とは、主に鉱石を砕いてつくられた粒子状の絵具で、絵画、彫刻、工芸、建築に用いられる伝統的な顔料である。本稿では主に日本画の材料としての岩絵具について説明する。また、泥絵具についても補足的に述べる。 粒子状の顔料であり固着力がなく、単独では画面に定着しない。伝統的には、固着材として膠(ニカワ)を併用し、指で混ぜて練成する。粒子の目の細かさは番数で分別されており(分級)、一般的には、5番~13番、白(びゃく)とあり、数字が大きくなるほど粒子が細かくなる。同じ組成を有する岩絵具でも、粒子の粗いものほど暗色で鮮やかに、逆に細かいものほど表面の乱反射が多く、白っぽく明るい色になる。 天然岩絵具[編集] 地球上には多彩な鉱物が存在し、これを粉砕・精製したものが古くから天然の顔料として用いられてきた。日本では古墳壁画や絵巻物などから、色数が少なく原色が多い古代の色遣いをみることができる。材料を天然のものに依存し(なかには希少価値の高いものもある)、精製前の選別を機械や化学的処理によらず行うため、その多くは高価である。 自然の鉱物であるため、不純物が混入したり、色調が若干異なったりするが、それがかえって天然岩絵具特有の深い色合いを作り出している。原料とする鉱石などの違いだけでなく、水に入れて上澄みをすくって沈殿の時間差で粒子の大きさをより分ける、焼いて酸化させることにより黒っぽい色を出す、水晶を混ぜることで発色を鮮やかにするといった工夫で、様々な色合いを生み出す[1]。 人工的な岩絵具[編集] 天然岩絵具の原石の希少価値、高価格、有毒性[2]、扱いのむずかしさ、そして色調の少なさといった天然鉱物の欠点[3]を克服するべく、近代に入ってから新しい岩絵具が開発されるようになった。それまで新しく中間色をつくる際は、胡粉に染料を染めつけて中間色をつくっていた[4]。 新岩絵具[編集] 人工的に作られた色の塊である新岩を、天然岩絵具と同じように粉砕・精製してつくられた岩絵具。ひとことでいえば着色ガラスの粉末。確かな品質と種類の豊富さは日本画の歴史を変えたとも言われている。 新岩は、フリットと呼ばれるガラス体質に金属酸化物を混合し、700度から1000度の高温で焼成しつくられ[4]る。耐久性にすぐれ安定しているが、不純物が少ないため、天然岩絵具と比べて色合いの深さで一歩譲る。また天然岩絵具のように、焼いても色の変化は起こらない。 岩群青、岩緑青の人工代替を主目的として、第二次世界大戦以後(1945年以後)研究が進められた顔料で、1952年には市販されていた。現在では、日本が材料市場において、確固たる地位を構築している。 合成岩絵具[編集] 粒のもととなる水晶末[5]や方解末[6]に、色のもととなる顔料や染料を付着させた岩絵具。従来の岩絵具になかった蛍光色やパステルカラー、洋画顔料を備えるが、耐光性に乏に劣る傾向がある[3]。同種の合成岩絵具どうしでは比重が同じなため、直感的に混色ができる。 水干(すいひ)絵具とも呼ばれる。日本画の顔料のうち、粒子の細かいもの。粒子の粗い岩絵具とは違い、厚塗りができて被覆力があり、マットな塗面をつくる。一般的には、胡粉若しくは白土を染料で染着したものである。 脚注・出典[編集] 関連項目[編集] 参考文献[編集] 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2018年11月) 『絵具講座(第V購)色材,

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ツツイカ目 – Wikipedia

ツツイカ目 Teuthida(-もく、筒烏賊目)は十腕形上目の下位分類群で、胴の細長いイカ(頭足類)が属する。十腕形上目は伝統的にツツイカ類とコウイカ類に二分され、コウイカ類と対置される(旧コウイカ目のうちダンゴイカ目を独立させ、3大分類に分けることもある[1])。英語ではsquidと呼ばれ、コウイカ類 cuttlefishとは区別される[2]。なお、十腕類を閉眼類 Myopsidaと開眼類 Oegopsidaに二分する説もあり、その場合はコウイカ類が前者に含まれ、ツツイカ類という括りは存在しない[3]。 下位分類[編集] ツツイカ類のうち、ケンサキイカやヤリイカ、アオリイカなど沿岸回遊性のものは眼に透明な膜があるため閉眼類、対してスルメイカやホタルイカなどの沖合に生息するものは眼に膜がなく、開眼類と呼ばれる[2]。本項のツツイカ目を置く場合は、これらはそれぞれ閉眼亜目 suborder Myopsina (Myopsida)と開眼亜目 suborder Oegopsina (Oegopsida)として亜目のレベルに置かれるが[1]、近年はツツイカ目は多系統であるとしてこれを独立させることも多く[4]、その場合これらは閉眼目 order Myopsidaと開眼目 order Oegopsidaとなる[5]。 以下はSweeney & Roper

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エニマ・オブ・アメリカ – Wikipedia

『エニマ・オブ・アメリカ』 ブリンク 182 の スタジオ・アルバム リリース 1999年6月1日 録音 1998年11月から1999年2月 ジャンル ポップ・パンク 時間 35分17秒 レーベル MCAレコード プロデュース ジェリー・フィン(英語版)ブリンク 182 専門評論家によるレビュー Allmusic

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検梅 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “検梅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2010年1月) 検梅(けんばい)は、梅毒に感染しているか否かを検査することである。「検黴」とも。 近代日本においては、公娼に対して、梅毒その他の花柳病感染の有無その他の健康状態を、警察医などの官憲医またはこれに代わる医師が強制的に検診をおこなうことということができる。 その目的は、花柳病の感染拡大の予防と、あわせて娼妓の健康保護であるとされた。 歴史的には横浜開港時、イギリス駐屯軍の保健のために、イギリス軍医のニュートンの建議によって、慶応3年9月、横浜町吉原町会所において行なわれたのが最初であるとされる。梅毒が国民病となっていたロシア艦隊が幕末の1860年代に長崎で行なった検黴が日本初ともされる[1]。1871年に民部省が売春業者の新規開業禁止と梅毒治療施設の創設を命じ、それを機に各地に検梅所・駆梅院が開設された[2]。明治9年4月、内務省令で娼妓の検黴法が各府県に実施され、明治33年10月、内務省令で娼妓取締規則が公布された。明治13年の娼妓梅毒規則 布告書のコピーが記載されている。[3]規則によって娼妓貸座敷免許地は娼妓健康診断所を設置し、娼妓の定期検診を行ない、危険な者は所定の病院(道府県立のいわゆる娼妓病院)に収容し、1週1回または2回の検診が行なわれ、強制的に治療を受けさせ、治癒後にのみ稼業に就くことを許す。沖縄県では遅れて、娼婦身体検査規則ができたのが明治29年、検梅が開始されたのは明治33年であった。那覇の辻遊郭ではたいへんな騒ぎとなった。[4] 私娼の検診は行政執行法の規定によって密売淫常習者に対して健康診断を強制し、花柳病にかかった者は、強制的に前述娼妓病院で入院治療を受けさせる。 私娼の場合は花柳病予防法の規定によって診療所が設けられ、診療所は市町村の経営で、支出経費の6分の1ないし2分の1は国庫補助である。 芸妓、宿屋、料理屋、飲食店、待合茶屋、または貸座敷営業者が雇用する婦女の健康診断は、地方庁でその取締規則が規定される。 一部では、営業者が自発的に保健組合を設け、毎月1ないし2回の健康診断を実施し、組合支弁で疾病治療を受けさせる。 一般公衆の場合は、本人の求めに応じるかたちで官公私立病院、一般開業医で行なわれるが、経済的に困難な者のために日本性病予防協会などが花柳病専門の診療を行なう。 ^ 「性病」と帝国―ロシアから日本への「検黴」制度の伝播とその後科学研究費助成事業データベース、2016-04-21

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