近鉄6000系電車 – Wikipedia

近鉄6000系電車(きんてつ6000けいでんしゃ)とは、近畿日本鉄道(近鉄)の保有する一般車両(通勤形電車)で、狭軌(軌間1,067 mm)用の車両である。

本項では、その前身で6000系に編入された6900系電車と、増備系列でラインデリアを搭載した6020系電車、6000系・6020系をベースとした新製冷房車の6200系電車、および6200系の1編成を観光特急用に改造した16200系電車についても記載する。なお、解説の便宜上、吉野側先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:モ6001以下4両編成=6001F)する。

1957年に登場した6800系を皮切りに、名古屋線1600系、大阪線1470系・1480系、奈良線900系といった片側4扉車体の高性能車が順次投入されていた。しかし1960年代当時の南大阪線にはモ5601形やモ6601形といった戦前の大阪鉄道時代から在籍する旧型車両がまだ残っており、4扉車体の6800系が32両投入されたとはいえ、片側3扉の旧型車両群では急増する沿線の乗客増加には対応しきれず不十分であった。

そのため、6800系の基本設計を踏襲した一般車両を製作して、6800系の増備車だけでなく旧型車両の代替用とすることとした。それが6000系である[1][2]

新ラビットカーとして1963年に登場し、ラビットカーと呼ばれた6800系の出力を増強してT車(付随車)を連結できるようにした系列である。

6800系同様MMユニット方式を引き続き採用したが、Mc+Mc+Tcの3連で登場[1][2]。当初は6900系として落成し、1966年の増備車からは6000系としてMc+M+Tcの3両を基本にMc+M+Tc+Tcの4両編成を組み、1968年にはTのサ6150形の増備により、Mc+M+T+Tcの4両固定編成が登場した[1][2]。全車がオレンジバーミリオンに白帯のラビットカー塗装で落成し、サ6150形以外にはステンレス製のラビットマークが取り付けられていた。サ6150形にこのマークが取り付けられなかったのは、完成後の近い時期にマルーン塗装に変更されることが決定済であったためである[* 1]。1966年の6009F完成と相前後して、既存の6900系も6000系に改番された[1][4][2]

主要機器[編集]

駆動装置はWNドライブで、当時、狭軌用としては最大の出力135 kWの主電動機であった三菱電機MB-3082-Aを装備する[3][2]。主電動機の端子電圧は340 Vであるので、実質は150 kW級である。制御装置はバーニア制御の日立製作所製VMC-HTB20B形(モーター8台制御)[4]で偶数Mc車に搭載した。

台車は6007Fまでは金属ばね台車で(電動車はKD-48を、制御車はKD-39Aを装着[3])、6009F以降は近鉄初の車体直結式空気ばね台車(電動車はKD-61、制御車はKD-61Aを装着[3])を装着した。集電装置は6007FまではS-534-AをMc車 (偶数) に、6009F以降はPT-4206型をM車 に2台搭載した。

ブレーキ(制動)方式はHSC-D発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキで、抑速ブレーキは搭載していない[4]。空気圧縮機 (D-3-FR型、6009F以降はC-2000M型) はM車に、電動発電機(MG)はTc車に装備した。

改造[編集]

1968年から塗装合理化により近鉄マルーン1色に塗り替えられ[2]、ラビットマークも取り外された。

6900系も6000系に編入後は固定編成化され、1969年頃に旧6900系の車両は抵抗器の容量を増大して最初から6000系として落成した車両とともに吉野線への入線を可能にする工事を実施した。

1970年代初頭に旧モ6900形偶数Mcのモ6000形[* 2]、ク6100形6101 – 6104(旧ク6950形)はATSや列車無線などの導入後、中間車として使用されるようになり、運転台も簡易化された[1]。その後1978年から1979年に行われた冷房化の際にモ6000形偶数Mc車及びク6100形の運転台は撤去された[4]

1983年から1987年にかけて車体更新が行われ、内外装材の張り替え、正面・側面の行先表示器の設置、中間運転台跡の客室化が行われた[4]

廃車[編集]

6620系の投入により15両 (6011F – 6017F・サ6152・サ6153・サ6109) が600系・620系に改番の上養老線に転属している[4][2]。この転属・改番されたものを除き、2002年の6009Fを最後に、全車が除籍・廃車されており、系列消滅している[2]

1968年に登場し、6000系の通風装置をラインデリアに変更した系列である[1][2]。輸送力増強と旧型車代替のため[6]、1973年までに99両製造され、南大阪線系統では最大勢力となっている[6][5]。電算記号はC(20番台、C21 – C77)[7]

車体[編集]

車体や尾灯の形状は大阪線2410系や名古屋線1810系と同様のものに変更されており[5]、奈良線900系以降の車両に合わせて車体側面の腰羽目高さは床面から850 mm、窓框の高さは900 mmとされた[5]。塗装は落成当初より近鉄マルーン1色塗装で新造された。

1971年に増備された6043編成以降は車体幅が30 mm拡大され[5]、従来の2,709 mmから2,740 mmとなった[8]。前面に排障器が、側面には列車種別表示器が取り付けられた。

編成[編集]

奇数のMc・偶数のM車でユニットを組む[9]。編成は吉野側からMc+M+T+Tcの4両編成と、Mc+M+Tcの3両編成が存在する[1][5]。4両編成は中間T車を解放した3両編成での運用も可能とする。なお、6037Fは後年6000系からク6109形を付随車化した上で中間に組み込まれて4両編成にされている[6]

編成
 

← 大阪阿部野橋

3両 ク6120 モ6020
(偶数)
モ6020
(奇数)
 
4両 ク6120 サ6160 モ6020
(偶数)
モ6020
(奇数)

主要機器[編集]

性能面では6000系6009F以降と同一で[6]、駆動装置や主電動機、台車、制動方式も同系後期型に準じている[3]。制御装置はバーニア制御のVMC形から日立製作所製のNMC型またはMMC型抵抗制御(モーター8台制御、6041Fまでは無接点カム軸制御のNMC-HTB-20AをMc車に[3]、6043F以降は多段カム軸制御のMMC-HTB-20KをM車に搭載[3])を搭載した。

集電装置はM車に2台搭載したが、一部編成は旧型車両から流用した[6]

空気圧縮機は6041FまではM車に、6043F以降はMc車に装備し、電動発電機(MG)はMc車に装備した[1]

改造[編集]

冷房化と電動発電機の交換

1979年から1984年にかけて冷房化が行われ[6][5]、電動発電機が大容量の120 kVAのMG-130Sに交換された[8]。当時の新造冷房車で搭載されていたロスナイ(熱交換型換気装置)は他形式の冷房改造車と同様に搭載されていない[8]

車体更新

1987年から1994年にかけて内外装材の交換を中心とする車体更新が行われた[5]

車体前面および側面の方向幕設置とパンタグラフの交換

先述の車体更新と前後して車体前面および側面の方向幕設置が行われ、旧型車両から流用したパンタグラフは他形式からの発生品および下枠交差式に交換された[6]

B更新

1997年から2009年にかけて内装材の交換を中心とする2回目の車体更新(B更新)が行われた[5][10][11][12]。2008年以降の更新車ではク6120形連結側車端部の車椅子スペース設置が行われた[12]

車体連結部の転落防止柵設置

先述のB更新と前後して6023F・6025F・6029F – 6035F・6039F – 6077Fに車体連結部の転落防止幌設置が行われた[10][11][12]

ラッピング広告・復刻塗装[編集]

6051F 復刻ラビットカー塗装
  • 6049F:PiTaPa・KIPSカード(2013年3月 – )
  • 6051F:復刻ラビットカー塗装(2012年8月 – 2020年8月)
    • 2012年10月を以って吉野線が開業100周年を迎えたことから、「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」の一環である「吉野線開業100周年記念列車ツアー」の実施[13]に先駆けて塗装変更した[14]。2016年9月に五位堂検修車庫を検査出場した際にも復刻塗装が維持されていたが[15]、2020年8月に五位堂検修車庫を出場した際に、通常塗装に戻された。
  • 6069F:大和高田号(2015年9月23日[16][17] – 運転終了[17]
  • 6075F:こふん列車(2019年7月28日- 2022年4月4日)近鉄エリアキャンペーン「こふんまち 羽曳野・藤井寺」の一環として、古墳をイメージした車体ラッピングが実施された。車両全面には古墳をあしらったロゴステッカーを掲出して運転していた。運行終了の際には近鉄のプレスリリースで告知された。[18][19]

廃車[編集]

2019年現在までに13両の車籍抹消が発生しており、2001年には6037FがB更新の際に養老線(現在の養老鉄道養老線)向けに改造・625系625Fに改番となって転出し[20]、2003年から2004年にかけて10両(6021F・6027F・サ6164・サ6165)の余剰廃車[20]が発生している。

2019年4月1日現在、3両編成18本54両と4両編成8本32両の計86両が現存し、古市検車区に配置されている[21]

1974年に登場。6020系に最初から冷房装置を取付けて登場した系列で[23][8]、1978年までに計38両が製造された。電算記号はU(U01 – U21)[7]

増備車[編集]

1次車の6201F – 6207Fは3両編成として落成したが[24]、1975年に落成した2次車である6209F – 6217Fの製造時にサ6351・サ6352が6201F・6203Fに組み込まれて4両編成化された[24]。1978年に落成した3次車である3両編成の6219F・6221Fを以って本系列の製造が終了し、4両編成5本(6201F・6203F・6213F – 6217F)と3両編成6本(6205F – 6211F・6219F・6221F)の陣容となった[22]

編成[編集]

編成はMc+M+T+Tcの4両編成とTを抜いた3両編成Mc+M+Tcがあり、6020系同様にMMユニット方式が採用されている[24]。4両編成は需要に応じてT車を抜いた3両編成での運用も可能とする。

編成
 

← 大阪阿部野橋

3両 ク6300 モ6200
(偶数)
モ6200
(奇数)
 
4両 ク6300 サ6350 モ6200
(偶数)
モ6200
(奇数)

車体[編集]

車体スタイルは大阪線2800系の第5編成以降に準じ、新造時より前面に行先表示器や排障器(スカート)が取り付けられた[22]

主要機器・性能[編集]

性能面では6020系後期型と同様で[25][22]、駆動装置や主電動機、制御装置、ブレーキ方式、補機類や集電装置の配置も同系に準じている[3]。主電動機の出力は135 kW、主制御器はMMCで8個の主電動機を制御する1C8M方式である[26]

冷房装置は新造時よりCU19を4基、および三菱電機の熱交換型換気装置(ロスナイ)を屋根上に搭載している[26]。MGは大容量のMG-119S(160 kVA)をMc車に搭載する[26]

台車は新設計のKD-77形空気ばね台車が採用されているが[3][26]、6207Fのモ6208は後年に事故で台車を破損したためKD-61Bを装着する[22]

改造[編集]

車体更新

1994年から1998年にかけて側面の方向幕設置を中心とする車体更新が行われた[25][22]

B更新

2009年から2018年にかけて6201F – 6219Fに2回目の車体更新(B更新)が行われた[22][27][28][29][30][31]。内容は2008年以降にB更新出場した6020系に準拠しており、ク6300形連結側車端部の車椅子スペース設置が行われ[28]、2016年から2018年にかけてB更新出場した6211F・6219Fでは新仕様の内装デザインに変更された[31][30]。2610系2627Fと同等の黒色基調の壁板や茶色基調の床面にグレー調(優先座席はオレンジ)のシートモケットとなり[31][30]、各車両優先席床面部分に優先席表示が追加され[31][30][* 3]、つり革は2610系2627Fと同様の三角形にオレンジ色のつり革に交換された[31][30]。ただし、6211Fについては6人掛け優先座席中間のスタンションポール設置は省略されている[29][31]

車体連結部の転落防止幌設置

先述のB更新と前後して全編成に車体連結部の転落防止幌設置が行われた。

観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」への転用・形式変更

2016年に6221Fが観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」に改造され、形式も後述の16200系に変更された[22][32][26]

廃車[編集]

2019年4月現在、特急車に改造された6221Fを除いた本系列の廃車や車籍抹消は発生しておらず、4両編成5本20両、3両編成5本15両の計35両が在籍しており、古市検車区に配置されている[21]

ラッピング広告[編集]

  • 6215F:近鉄百貨店スマイルトレイン(2006年11月 – 2007年5月)

6200系の内、2016年に6221Fが観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」に改造され、形式も16200系に変更された。2015年に6200系1編成を改造して運行することが発表され[35]、同年2月17日に形式名と車両愛称が発表された[36][37]。運転日は毎週水曜日以外の週6日(水曜日はこの編成以外の特急車両で運用)で1日2往復運転される[38][39]。編成は3両編成で、1・3号車にサロン席(3・4人用)とツイン席(2人用)、2号車にラウンジスペースとバーカウンターを設ける[34]

種車は通勤車6200系6221編成で[40]、吉野側からモ16201(Mc車)-モ16251(M車)-ク16301(Tc車)の3両編成を組む[38][41][42]。電算記号は「SYmphony」もしくは「Symphony Yoshino」から取られたSY01[43]。一般車から格上げされた近鉄の特急車は680系以来である。

2016年3月末に入場して改造工事が行われた後、7月7日に車体外装材の改造を完了して高安検修センターを出場し[44]、最終整備を五位堂検修車庫にて行った後に同年同月19日に出場し[32][41][42][45]、9月10日に営業運行を開始した[38]

改造までの経緯[編集]

近鉄では、15400系を用いたクラブツーリズム専用列車「かぎろひ」、50000系を用いた観光特急「しまかぜ」、2013系を用いた観光列車「つどい」などといった観光輸送に特化した特別仕様車両を多数保有し、運転されているが[46]、南大阪線・吉野線にも本格的な観光列車を運行する計画が2013年夏頃に開始された[46]。また、南大阪線沿線には阿倍野橋に立地する「あべのハルカス」をはじめ、桜の名所である「吉野」、日本遺産として認定されている「明日香村」、世界遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」として登録された「金峯山寺」をはじめとした神社仏閣などといった多数の観光資源に溢れている沿線に注目し、「上質な大人旅」をコンセプトに、南大阪線用一般車両の6200系を改造して南大阪線系統の新たな観光特急車両の導入が計画された[46]。それが本系列である。

改造費用は3両1編成で総額2億円。1両あたりの費用では、50000系の4分の1となる。新車投入ではなく、従来からある車両の改造となった理由は50000系の場合、伊勢志摩に近鉄関連施設があり、それらから得られる派生収入も見込んで、収支モデルを構築できるが、吉野周辺には潜在的な魅力は多いが、近鉄関連施設が少ないため、派生収入が得られず、製造コストを抑制して、運賃・料金収入だけで投資額を回収しやすい収支モデルを選択したからである。乗車率100 %の状態が2年間続いて、2.6億円。約2年分の運賃・料金で、車両の改造費用を回収する方策を選択した。近鉄観光事業統括部の黒田隆によると、「製造費2億円は予算上のボーダーライン」とのことである[47]

車両コンセプト[編集]

当初は既存の特急車両を改造する案[46]、観光列車「つどい」を発展させた案[46]、映像シアターを備えた案など複数の案があったが[46]、2度のアンケート調査では沿線特性から「歴史・文化・自然」に対する人気が高い傾向があり、ファミリー層よりも中高年層の夫婦・友人との来訪傾向が高いことがわかった[46]。そこでアンケート調査の結果を踏まえ、本列車の開発コンセプトを「ゆったりとした時間を楽しむ、上質な大人旅」、「大人同士でゆったり楽しむ観光列車」とした[46]。列車の愛称は沿線の歴史・文化・自然・食などの魅力的で様々な観光資源と調和し、響き合いながら走る「青色の列車」をイメージして「青の交響曲(シンフォニー)」と命名された[34]

プロジェクトメンバーは近鉄の企画統括部営業企画部および技術管理部が企画[46]、大阪統括部工機部検修課が工事図面作成から施工管理[46]、株式会社近創が内装品の製作[46]、近鉄車両エンジニアリング株式会社が車両改造工事を担当し[46]、観光列車「つどい」と同様の近鉄グループの総力を挙げたチームが再結集した[46]。設計デザインに関しては従来の近鉄車両にはない建築的なテイストを取り入れるため、全日本コンサルタント株式会社[46]、デザイン監修は主に店舗デザインに携わるIMOデザインの一級建築士である飯田英二が担当した[46]

改造種車[編集]

南大阪線系統で運用されている6200系から車体更新時期に差し掛かっていた3両編成の6221Fが選定された[22][32][34]。3両編成とされた理由は、16000系をはじめとする特急車両は2両単位の偶数両数での運用しか出来ず、2両編成では開発のコンセプトとされた「ゆったりとした時間を楽しむ、上質な大人旅」を実現させるには輸送力に問題が生じ[34]、4両編成では4月の観桜期を除いては過剰輸送となり得るという理由からである[34]

改造に際し、乗降扉は各車両の8箇所のうち6箇所を埋め、埋めた部分には扉幅と同じ1,300 mm幅の固定窓が設置された[40]。中間車の側窓は上下寸法が400 mmに縮小されている[40]

主要機器は新造品に交換された部品はあるものの、機器構成そのものは全くの無改造であり[34]、従って車両性能も営業最高速度を除けば6200系時代とは相違がほとんど無い[34]

編成[編集]

← 大阪阿部野橋

吉野 →

Tc
ク16300
M
モ16250
Mc
モ16200

2019年4月現在、古市検車区に配置されている[21]

車体外観[編集]

車体構造は改造以前と変わらず、前照灯や尾灯、転落防止幌の形状やクーラーキセの配列も6200系時代のものを踏襲するが、排障器は独自の形状と金色塗装に変更された。行先表示器は両先頭車の車掌側窓下に新設され、従前の方向幕装置は前面・側面共に全て撤去された[41][42]。乗降扉も両開き扉が存置されて各車両2箇所のみに変更されているが、窓形状をスリット状にして建築的な乗降扉を演出し[33][44][41]、側窓は全てUV遮断加工ガラスに交換された[48]。集電装置は6200系時代と同様、モ16251に菱形式を2基搭載した[42]。両先頭車の連結側妻面下部にはミュージックホーンが新設され、ハイドンの交響曲101番「時計」の第2楽章から選曲された[39]

車体塗装は紺色を基調としたメタリック塗装を近鉄で初めて採用して金帯を纏ったものとされ[34]、車体前面には新規にデザインされたエンブレムが貼り付けられた[33][44][41][42]

車内設備[編集]

共通事項
コンセプトである「ゆったりとした時間を楽しむ、上質な大人旅」に合わせて、中高年層を対象に非日常的で特別な時間を過ごせる空間を演出するために随所にその設計意図が取り入れられた[33]
側壁の化粧板には2010年代以降に登場・更新改造した特急車両では一般的な木目調を採用し、アクセントに壁灯やメタリック調のボーダー板を配した[48]。床面には高級ホテルの室内を演出するために「丹後緞通」のカーペットを採用した[48]。天井は空調関係についてはラインデリアを撤去した以外は6200系時代のものがそのまま流用されたが[48]、照明にダウンライトを採用し、レール方向にアルミ製の装飾モールを取り付けて飾り天井とされた[48]。荷棚はレトロ調のものが新調された[48]
照明関係では柔らかな空間を演出するために電球色のLEDを採用した[39]。座席スペースには天井のダウンライトと共に壁灯やテーブル照明をアクセントとして取り付けており[39]、ラウンジ車両の小天井には間接照明と天井にはレトロ調の照明をそれぞれ採用しており、壁灯にクリスタルガラスを使用して、光り輝くブラケット照明としている[39]。エントランス・バーカウンター・バックヤード・トイレの照明にはダウンライトを使用しており、エントランスの天井には、ラウンジ車で使用されているレトロ調の照明を取り付けている[39]。また、トイレの鏡の照明には、やわらかで自然な光が出せる有機ELパネルを初めて採用している[39]
新設されたデッキ部分には22000系以降の特急車両と同様に安全面を考慮して手すりを設置したが、真鍮を用いた高級感のある造りとされた[33]。床面にはウレタン樹脂製のものを採用し、タイル状に分割して濃淡2色をランダムに配して石畳を表現した[33]
座席スペース
座席車両の座席は新規設計の幅広デラックスシートで、リクライニングやインアームテーブルの有無を除いて全座席共通とされた[48]。背もたれは縦ラインを強調してボリュームを持たせており、上辺は本系列のロゴマークと共通する三つの曲線が入れられた[48]。モケットはグリーンを基調に金糸を入れて柔らかな心地よさを実現した[48]。肘掛けや肘掛け用パネルには吉野産の竹集積材を採用し、壁面にはモバイル用コンセントを設置した[48]
座席は21000系以降の特別仕様特急車両のデラックスカーと同一の2+1列に配置された[33]。側扉だった部分の座席は向かい合わせのボックス席とされ、大型の木製テーブルを配して3人・4人用サロン席と2人用ツイン席とされた[48]。2連窓部分にはインアームテーブル付きの回転リクライニングシートが採用され、2脚ずつ配置された[48]。ただし、乗務員室側の座席はスペース制約の都合で1人席とされたが[48]、先頭に対して斜め22.5度に腰掛を配置してテーブルを備えることで、特別感を演出した[48]。この部分の向かいは機器収納箱とされ、従前はロングシートの下に配していた機器をこの部分へ移設して集約している[48]
モ16201
種車はモ6221[32]
座席車両とされており、座席定員は37名[33]。ツイン席とサロン席が各3箇所ずつ配置されている[33]
乗降扉は阿部野橋側の1箇所に配置された[44][49]。側面窓は独立した1枚窓となっている[44]
モ16251
種車はモ6222[32]
本車両ではゆったり時間を楽しむためにラウンジ車両とされ、電車らしさを払拭し、高級ホテルのラウンジをイメージしたデザインとされた[48]。室内中央の吉野側にバーカウンターとバックヤードが設けられ、地元の素材を使用したスイーツや酒類、ドリンク類を販売するための冷蔵ケースやサーバーを装備した[48]、冷凍冷蔵庫・電子レンジ・三槽シンクなどの電源確保のための変圧器などはバックヤードに集約した[48]。カウンター背面には商品陳列棚を設置し、周辺に幾何学的な模様を施したLED照明パネルを設けて華やかな雰囲気を演出した[48]。側壁化粧板には座席車両よりも明るめの木目調が採用され、床面は座席車両と同様に素材感と色柄を変えた「丹後緞通」のカーペット材を採用した[48]。通路側窓下は通行時の安全面を考慮して真鍮製の手すりを全体にわたって取り付けた[48]。放送設備に関してはバーカウンターに3両全体を一括する車内放送用マイクを追説し[48]、ラウンジ車のみの放送設備としてワイヤレスマイクシステムを既存の保安用車内放送回路と独立させたスピーカーと共に新設した[48]。この車両ではラウンジ空間に丸テーブルに独立した4脚の2組(茶色)と向かい合わせテーブルを挟んで窓側にロングタイプと通路側の独立した6脚(黒色)の合計20席分の革張りソファが配置された[48]。バーカウンターでの支払いには交通系ICカードの利用も可能。
デッキ部分にはライブラリーが設けられており[39]、沿線を紹介する写真集や書籍を飾る区画とされ、向かい側にベンチを設置した[39]。この部分はラウンジ空間に対して屋外をイメージするためにロートアイアンを各所に施して街角のイメージを表現した[39]
乗降扉は吉野側の1箇所に配置された[44][49]。側面窓は全て小窓化された[48][44]
ク16301
種車はク6311[32]
座席車両とされており、座席定員は28名[33]。車椅子対応座席が1席用意され、当該部分のデッキ仕切扉は開口寸法980 mm両開き扉とされた[48]。この関係でツイン席はモ16201形同様の3箇所配置であるがサロン席は2箇所の配置となっている[48]
本車両には連結側に床下機器の無い部分があるため、この部分にトイレ用機器を設置してトイレを新設した[39]。トイレは車椅子対応の多目的トイレがデッキの車体中央寄りに、男性用トイレが車端部に設けられ、設備は50000系や22000系更新車に準拠している[39]
乗降扉は吉野側の1箇所に配置された[44]。側面窓はモ16201同様に独立した1枚窓となっている[44]
その他
車両番号や号車表示や座席番号などの標記サインはアルミ板に天然木の突板を貼り合わせてレーザー加工によって文字を削り出したプレートを新製した[39]。なお、近鉄特急車両で順次設置が進行している喫煙室については、本系列では指定運用となること、スペース上の都合で設置が見送られたため、全面禁煙となった[34]
注釈
  1. ^ 当初から6000系として完成した車はラビットカーと呼称されていたが、6800系や6900系と異なり、厳密には高加減速車ではない。また、登場当初より当時6800系・6900系が入線できなかった吉野線に入線することが可能であった。
  2. ^ 該当車両の番号は6002・6004・6006・6008
  3. ^ モ6211については当該部分に主電動機の点検蓋があるために床面の優先席表示は省略されている。
出典

参考文献[編集]

  • 中村卓之、「近鉄南大阪線”ラビットカー”の30年」、『関西の鉄道』 19、1988年。
  • 慶應義塾大学鉄道研究会編、『近鉄』 (私鉄ガイドブックシリーズ第4巻) 、1970年。
  • 中山嘉彦、「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」、『鉄道ピクトリアル』 2003年12月臨時増刊号、2003年。
  • 飯島厳・藤井信夫・井上広和『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II 通勤車他』ネコ・パブリッシング、2002年(原版は保育社、1986年)。ISBN 4-87366-296-6
  • 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』(カラーブックス)、保育社、1998年。ISBN 4-586-50905-8
  • JTBパブリッシング
  • 交友社 『鉄道ファン』
    • 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル 車両配置表&車両データバンク」2014年8月 – 2019年8月発行号
    • 奥山元紀「新車ガイド3 近畿日本鉄道『青の交響曲(シンフォニー)』」2016年10月号、p.73 – p.77
    • 2016年11月号(第56巻 通巻667号)特集「近畿日本鉄道 内装デザイン変更車両」p.56 – p.57
  • 林基一「近畿日本鉄道 現有車両プロフィール2018」『鉄道ピクトリアル』2018年12月臨時増刊号、電気車研究会。p.217-284

関連項目[編集]

外部リンク[編集]