白勢量作 – Wikipedia

白勢 量作(しろせ りょうさく、1883年(明治16年)12月[1] – 1944年(昭和19年)10月3日[2])は、日本の実業家。第四銀行、新潟貯蓄銀行各頭取[1]。新潟商工会議所会頭[3][4][5]。白勢合名代表[6]。満州帝国名誉領事[3][5][6]

新潟県の素封家・白勢春三の長男[7]、白勢二朔の養甥である[3][5]。新潟市の自邸に生まれ、県立中学、高等学校を経て[7]、1909年、東京帝国大学法科大学政治学科卒業[4][5]。1936年、新潟電力社長に就任[6]。1938年、新潟駐在満州帝国領事を嘱託された[3][5]

第四銀行、新潟貯蓄銀行各頭取、新潟電力、新潟電鉄、東北配電、二葉社各社長[1]、会津電力、中ノ口電気鉄道、昭和肥料、北越パルプ、日本火災海上保険、佐渡汽船、東亜電力興業各取締役[1][3][4][6]、新潟鉄工所、帝国火災保険、北越製紙各監査役[1]、庄内電気鉄道相談役などをつとめた[1][3][5]。1944年10月3日、新潟市の自邸にて死去[2]

趣味は囲碁[3][5]。宗教は真宗[6]、仏教[7]。住所は新潟県新潟市本町通八番町[5][7]

  • 『満州と新潟』満州帝国駐新潟名誉領事館、1938年

家族・親族[編集]

白勢家
  • 父・春三(1863年 – 1941年、新潟商工会議所顧問、新潟県多額納税者、第四銀行、新潟貯蓄銀行各頭取、白勢合名代表社員、衆議院議員、貴族院議員)[5]
  • 妹・ツウ(1891年 – ?、新潟、池田文蔵の妻)[5]
  • 妻・トヨ子(1890年 – ?、新潟、石黒忠三郎の孫)[5]
  • 男・誠一[5](1913年 – 1982年、白勢商事社長)
  • 二男(1916年 – ?)[4]
  • 長女・フミ(1911年 – ?、千葉、小幡治和の妻)[3]
  • 二女[4]
  • 三女[4]
  • 四女[4]
  • 五女[4]
親戚

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 日本風土民族協会編『越・佐傑人譜 昭和14年度版』日本風土民族協会、1938年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。

関連項目[編集]