槙野智章 – Wikipedia

槙野 智章(まきの ともあき、1987年5月11日 – )は、広島県広島市西区出身[2]のサッカー選手。元日本代表。ポジションはディフェンダー、フォワード。ヴィッセル神戸所属。

プロ入り前[編集]

サッカーファンで実際にサッカーをやっていた父[3] と、既にサッカーを始めていた2人の兄[注 1]の影響で小学1年生からサッカーを始めた[4]。地元草津の草津小学校のサッカー少年団は4年生からしか入団できなかったため、隣町井口の井口明神小学校のサッカークラブに入団し[4]、小学6年次にはFWとしてフジパンカップ広島県大会で3位入賞した。

2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。同期には森重真人、左山晋平などがいる。当初はFWのポジションでプレーし、森重や平繁龍一と2トップを組んでいたが、トップ下、サイド、ボランチなど様々なポジションを経て、中学3年次にコーチの月岡利明によりセンターバックにコンバートされた[4]

2003年にユースチームに昇格。ユース時代からの同期には、木原正和、福本尚純らがいる。2年次からセンターバックとしてレギュラーを獲得し、ユースレベルでの3大大会の全てで決勝に進出し2冠達成に貢献した。一学年上の藤井大輔と組んだセンターバックは森山佳郎監督から「同世代には絶対に破れない」と賞賛された。3年次には広島ユースおよびおかやま国体における広島県選抜の主将を務めた。各年代別代表にも招集されここでも主将を務め中心選手として活躍した[4][5]

サンフレッチェ広島時代[編集]

2006年、橋内優也、趙佑鎮らと共にサンフレッチェ広島トップチームに昇格。

2007年8月にダリオ・ダバツおよび盛田剛平が負傷したため先発メンバーに抜擢された。以降は、レギュラーとして定着した[6]。J2降格が決まった際、元日本代表FW佐藤寿人と広島残留を表明する。

流動的に動いた2008年は、元日本代表SB駒野友一の移籍で空いた背番号5をつけて、出場停止1試合を除く全試合に出場する。その結果、悲願のJ1昇格に貢献した。

2009年は初めてJ1で一年間レギュラーとして出場し続け、センターバックではリーグ最多の8得点を挙げた。

2010年はリーグ全34試合に出場、うち33試合ではフル出場し、初のJリーグベストイレブンに選出。また、全試合に出場しながら警告、退場が1つもなく、フェアプレー個人賞を受賞した。

ケルン時代[編集]

2010年12月、ドイツへ渡った。欧州挑戦を目指し、ボルシア・ドルトムントとホッフェンハイムの練習に参加した。しかし、独誌キッカーの回答としては、「1対1の弱さがあり、右サイドバック向きとして獲得は現実的ではない」と評された。欧州レベルでは、センターバックとしては評価されなかった。結局、正式契約には至らず、槙野は日本へ帰国する。同年12月30日、当時ケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケの誘いでドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルンへ完全移籍[7][8]。契約期間は2013年6月30日まで。元代理人は長谷部誠、香川真司らと同じトーマス・クロートであった。

2011年1月29日、FCザンクトパウリ戦でブンデスリーガデビュー。ケルンは敗れたが、センターバックとしてフル出場。その後は、出場機会に恵まれず、移籍1年目の出場は5試合にとどまった。翌2011-12シーズンも3試合の出場のみとなり、レギオナルリーガのケルンIIの試合にも出場した。

浦和レッズ時代[編集]

2012年1月11日、復活を目指して、ミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任した浦和レッズへの1年間の期限付き移籍が決定した[9][注 2]。浦和加入後、ペトロヴィッチ監督の愛弟子としてチームを牽引。6得点を記録し、チームの2008年以来のACL出場に貢献。また、自らが音頭を取り、浦和サポーターが勝利の凱歌として歌う『We are Diamonds』をホーム開催試合に限り、メンバー入り選手全員もサポーターと共に歌うなど、持ち前の明るいキャラクターでチームとサポーターの距離を縮める施策を実行した。12月4日、2013年シーズンより浦和への完全移籍加入が発表された[12]。また背番号を5番に変更し、この年はリーグ戦34試合全試合に出場した。

2015年9月8日、サウジアラビア1部の強豪・アル・ナスルから約5億円の年俸での獲得オファーを受けたが、断り浦和に残留した[13]

2016年は29試合3ゴールでチームの年間勝ち点1位に貢献した。12月3日の鹿島アントラーズとのチャンピオンシップ第2戦の後半34分、自陣ペナルティーエリア内で鈴木優磨に対してファールを犯し、その後PKを決められた[14]。12月4日、中国1部の強豪・広州恒大から年俸は言い値という破格のオファーを受けたが、浦和の一員としてリーグやACLで悲願のタイトルを目指すため断った[15]

2017年3月19日、J1第4節のガンバ大阪戦でJ1通算250試合出場を果たした。

2018年8月19日、J1第23節の清水エスパルス戦で史上100人目となるJ1通算300試合出場を果たした[16]。この年、2010年以来2度目の警告・退場0を記録した。

2019年11月16日、AFC年間最優秀選手賞の候補に選ばれた[17]

2020年10月10日、J1第21節のサガン鳥栖戦でJリーグ通算400試合出場(J1通算359試合、J2通算41試合)を果たした。シーズン終了後、国内外の複数クラブが槙野の獲得に動いたが、浦和の延長オファーに合意した[18]

2021年11月、シーズン終了後に浦和レッズを退団することをクラブが発表した[19]。12月19日、国立競技場で開かれた天皇杯決勝、後半ATに劇的な決勝ゴールを決め浦和を8度目の優勝に導き、来季のACL出場獲得へ貢献した[20]

ヴィッセル神戸時代[編集]

2021年12月24日、ヴィッセル神戸に完全移籍することが決定[21]。2022年2月19日、開幕戦でスタメン出場し、J1通算400試合出場を果たした[22]

日本代表[編集]

2006年11月に開催されたAFCユース選手権2006および翌2007年7月に開催された2007 FIFA U-20ワールドカップでは福元洋平とセンターバックでコンビを組み、守備の要として、またムードメーカーとしても活躍した。カナダで開催されたU-20ワールドカップ本大会では髪を赤に染めていたが、これは当時広島でチームメイトだった戸田和幸のFIFAワールドカップ・日韓大会でのヘアースタイルを真似たものである。現地では「ジャパニーズ・ベッカム」と評され注目を集めた。2009年にA代表に初招集されたときにも同様の髪型にしている[23][24]

2009年5月にはキリンカップおよび2010 FIFAワールドカップ・アジア予選に臨む日本代表合宿に初招集されたものの出場はなかった。

2010年1月、既に予選突破を決め、若手が起用されたアジアカップ最終予選のイエメン戦で代表初出場を果たし、ゲームキャプテンも務めた[25]。5月に発表されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会本大会の日本代表メンバーからは落選したが、予備登録選手に選出された。同年末にはAFCアジアカップ2011に臨む日本代表に選出されたものの、怪我により大会直前に途中離脱した。

2012年2月24日のキリンチャレンジカップ・アイスランド戦で代表初得点を挙げた。

2017年11月10日、国際親善試合ブラジル戦で得点を決めた。なお、日本代表がブラジル代表相手に得点したのは、2006年ドイツW杯で決めた玉田圭司から11年ぶりであり、DFで得点した初めての選手となった[26]

2018年6月、ロシアワールドカップメンバーに選出された。2017年後半以降、欧州遠征で全試合にレギュラーとして出場するなどW杯でもスタメンとして出場すると思われたが、第1戦のコロンビア戦では事前合宿のテストマッチ最後の試合で活躍した昌子源にレギュラーの座を奪われ、ロシアW杯本番でスタメン落ちとなる[27]。しかしながら、ベテランとして本田圭佑と共に控え選手として裏側で日本代表チームを支え[28]、第3戦のポーランド戦でW杯初出場を果たした[29]。前評判の低かった日本代表チームはGL突破し、ベスト16進出を2大会振りに果たした。

プレースタイル[編集]

森山佳郎曰く「一言で言うとファイター」[30]、ミハイロ・ペトロヴィッチ曰く「DFらしいDF」。コーチングに優れ、高い身体能力と闘争心を持ち、1対1の局面での強さに定評がある。[5][6]

また、得点への意欲が非常に高いのも特徴[注 3]。広島では3バックの一角を務めていたが、試合中もセットプレーのみならず、流れの中で自由に前線へ上がり、強引なドリブル突破からシュートを放つシーンもしばしば見られ、自らのポジションを「DFW(DFながらFWの役割も果たす)」と称する[6]。フリーキック、ペナルティキックなどのプレースキッカーも務めており、特にFKは高い精度を持つ。PKにおいては、後ろ向きの状態から反転してキックを放つという独特の蹴り方を行う。

心が広く、誰とでも仲良くなれる。日本人的には、ポジティブで物怖じしない性格のムードメーカーである。また、数々のエピソードも持つ[6]。サッカー関係者以外にも幅広い交友関係を持つが、槙野曰く佐藤寿人から「いろんな職種の人と接すること」の大切さを教わったことが大きいという[31]

好きな言葉は木村孝洋元サンフレッチェ監督が語った、アーセナルFCの下部組織に所属する選手が教わるという『Big heart』と、広島ユースの監督森山佳郎の『気持ちには引力がある』であるとインタビューで語っている[32]

2011年3月24日に大手芸能プロダクションのホリプロとマネージメント契約[33]。スカパー!「URAWAチャンネル」内のコーナー「槙野の部屋 〜俺たちの休日〜」MC担当。

2016年9月発売のサッカーゲーム「FIFA 17」日本版のパッケージになった。

2016年6月に共通の知人を交えた食事会にて知り合った女優の高梨臨と、約1年6か月の交際期間を経て翌2017年12月17日にプロポーズし、翌2018年1月20日、高梨との結婚を正式発表[34]。同年2月9日に婚姻届を提出した[35]

2013年頃から2018年頃にかけてスパイクを左右非対称で履く「槙野スタイル」が注目された。本人曰く「サッカーを好きになる人を増やすため、悪いプレーをしたら注目されるためそうならないためにプレッシャーをかけている」とのこと。なお、スパイクはプレデター、ナイトロチャージ、アディゼロ、エース、X、ネメシスを使った。

また、2021年のJリーグ最終節、名古屋グランパス戦での勇退を表明していた村上伸次への感謝のメッセージを自身のアンダーシャツに書き込み、両チーム選手によって作られた花道を村上が通る際に見せ、村上からイエローカードを貰うという場面もあった。なお、このイエローカードは公式記録には記載されていない。村上自身も「槙野さんにイエローカードは出しましたが公式記録には載せないでくださいとお願いしました」と語っている[36]

パフォーマンス[編集]

「プレー以外の面でも観客にサッカーを楽しんで欲しい」という考えから、ピッチ内外において様々なパフォーマンスを行なっている。

トリックPKが後に反則行為と判断されたり[37]、遅延行為だとして主審にゴールパフォーマンスを制止されたり[38] と、その派手なパフォーマンスは時に物議を醸している。槙野はパフォーマンスを巡る意見について、「サッカーファン以外の人、これからサッカーを好きになっていく子供たちにも、もっとサッカーを好きになってほしいという一心でやっている」とコメントしている[39]

2011年3月11日、ブンデスリーガ第26節ハノーファー96戦終了後、ユニフォームを脱ぎ、「被災者のみんなへ、ガンバレ!! 一人でも多くの命が救われますように!!」と書かれたアンダーシャツを披露し、同日に日本で起きた東北地方太平洋沖地震の被災者に向けメッセージを送った[40]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

その他の公式戦
  • 2007年
  • 2008年
  • 2012年
  • 2015年
  • 2016年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2019年
    • スーパーカップ 1試合0得点
その他の国際公式戦

タイトル[編集]

クラブ[編集]

サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島
浦和レッズ

代表[編集]

日本代表

個人[編集]

出場大会[編集]

  • U-18日本代表
    • アジアユース選手権予選(2005年)
  • U-19日本代表
    • カタール国際ユース親善大会(2006年)
    • アジアユース選手権日本代表(2006年)
  • U-20日本代表
  • 日本代表

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 38試合 4得点(2009年 – 2019年)

出場[編集]

ゴール[編集]

関連出演[編集]

テレビアニメ[編集]

2014年

ラジオ[編集]

CM[編集]

  • AS進学セミナー(2010、広島限定)
  • 「守ろうよ広島」広島県消費生活相談窓口周知キャンペーン(2010-2011、広島限定)
  • SIXPAD(2016年 – )
  • クオリティファースト(QUALITY 1st) オールインワンシートマスク(2017年)
  • DAZN(2018年)
  • 明治安田生命「Jリーグ2018シーズン」篇(2018年2月24日 – 3月11日)
  • アルペン スポーツデポ 試着フェス『休日コーデに』篇(2018年4月)

著書[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 兄の一人は2011年時点富士ゼロックス広島SCに所属するGK・DF登録の選手。2003年・2004年の全広島サッカー選手権大会決勝でチームとして対戦が実現、兄は2試合ともGKとして試合に出場したが弟は出場していない。
  2. ^ 代理人を通じサンフレッチェ広島にも打診をしたが、獲得オファーは無かった[10][11]
  3. ^ 「得点王を狙います」(入団会見のコメント)、「シーズン10得点が目標」(2008年の個人目標を聞かれた際のコメント)といったコメントをしばしば発し、目標の選手には田中マルクス闘莉王を挙げるなど。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]