リーガ・エスパニョーラ1942-1943 – Wikipedia

この項目では、1942-1943年シーズンのリーガ・エスパニョーラ (ラ・リーガ、プリメーラ・ディビシオン)について述べる。

リーガ・エスパニョーラ1942-1943は、スペインのプロサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラの12回目のシーズンである。

1942年9月27日に開幕し、1943年4月4日に閉幕。アトレティコ・デ・ビルバオ(現・アスレティック・ビルバオ)が8年ぶり5回目の優勝を決めた。

レギュレーション[編集]

  • 14チームによるH&A2回戦総当たり・全26節。勝ち点配分は勝利2・引分け1・敗北0。勝ち点が並んだ時の順位決定法に変化なし。
  • プリメーラ・ディビシオン13位・14位はセグンダ・ディビシオン1位・2位と自動的に入れ替え。
  • プリメーラ・ディビシオン11位・12位はセグンダ・ディビシオン3位・4位と中立地で1試合制の入れ替え戦を行う。組み合わせはタスキ掛け。

1942-1943年シーズンの昇降格[編集]

1942-1943年シーズンのリーガ・エスパニョーラのチーム[編集]

リーガ・エスパニョーラ1942–1943のクラブチーム所在地

シーズンの流れ[編集]

優勝争い[編集]

第1次黄金期からの世代交代を完了したアトレティコ・デ・ビルバオが[5]、4連勝2回を含む開幕11戦無敗という圧巻のスタートを見せ[6]、第8節に首位を奪回して以降一度も譲る事なく最多5回目の優勝を果たした。内戦後の新たな潮流となったアトレティコ・アビアシオンは序盤から下位に低迷し8位[7]。序盤ビルバオと白熱した争いを繰り広げた王者バレンシアCFも、後述の監督交代以降は失速し7位に終わった[8]

昨季は入れ替え戦行きの屈辱を味わったCFバルセロナは開幕5戦未勝利と序盤苦しむが、初の総得点トップを記録する攻撃力などで4位に入り成績が大きく改善された[9]。高い攻撃力を持ちながら優勝に手が届かなかいセビージャCFはパトリック・オコネル監督を招聘、副監督となったペペ・ブランは6人の即戦力を補強した。今季のセビージャは攻撃力頼みの戦いが少し変わり、派手に大量点で勝つ事よりも継続力・勝ち点積み上げを重視する姿勢が窺えた[10][11]

首位を走り続けた間、ビルバオは第14節に最下位ベティスに1-3で敗北[12]、第18節には10位RCDエスパニョールに2-2のドローなど[13]、意外な足踏みがあった。2位以下集団が追いつく好機はあったが、昇格2年目のCDカステリョンが抜けてくるなど対抗馬が明確化せず[14]。第21節にはセビージャがホームでビルバオを直接叩くが[15]、依然勝ち点差は3[16]。第23節はビルバオの敗戦に乗じカステリョンが勝ち点差を2に縮めるも[17]、翌週また3差に開いた。

2位セビージャに勝ち点3差の首位で第25節を迎えたビルバオは[18]、敵地リアソールで8位のRCデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャに0-2で敗れた[19]。だが、また同じ事が繰り返された。勝ち点4差で追っていた3位カステリョンはホームで9位アビアシオンとドロー[20]。2位セビージャは中盤戦7試合無敗を記録して浮上してきた4位バルサに1-3で敗れた[21]。こうしてビルバオの5度目の優勝は「敗戦後決定」というやや白けたものになり[22]、しかも前節ビルバオに勝ち点2を献上した[23]、バルサによるヘルプで決めた格好になった。

しかしビルバオの長期無敗と優勝は新世代の手によるもので、総得点・総失点はリーグ2位。ハットトリックがテルモ・サラの2回だけという数字に表れているように、複数のアタッカーが分散して稼ぎ、かつ失点を少なく抑え連敗を1度も記録しない安定感は、群雄割拠化したリーグで復活する為に出した名門なりの答えかもしれない。
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残留争い[編集]

デポルは2年連続で総失点が最少だったが、失点しない代わりに自分達も得点できず勝ちきれない試合が増え[26]<、引き分けがリーグ最多12試合。だが10位以下に一度も落ちず、前述の首位ビルバオ叩きで1節を残し残留を確定させた[27]。一方、宿敵セルタは52得点・50失点と相変わらず「敵より多く決めて勝つ」を継続[28]。第17節で入れ替え戦圏内を脱出[29]、3節を残して残留を確定させ[30]、最後は5位でフィニッシュ。貧打に泣いたデポルの9位を越えた。全く対照的なスタイルを持つガリシア州の両雄は、今季も対照的な戦い方で残留を決めたのだった。

2年間のセグンダ生活を経て復帰した6年前の王者ベティスは、第4節から9試合未勝利、第15節から最終節まで11試合未勝利と振るわず[31]。第22節終了時に12位グラナダCFと勝ち点差8・当該対戦2敗で入れ替え戦圏内浮上が不可能となり、自動降格が決定した[32]。ダービーでも2試合計10失点で全敗した[33][34]。かつて自分達を初優勝に導いたオコネル監督が宿敵セビージャの監督として優勝を争う光景を横目に、ベティスは1年で降格した。

セグンダ2位サラゴサCFもベティスに匹敵する速度で降格した。開幕6試合未勝利、第12節から最終節まで15試合未勝利を記録。ただ失点数はベティス・グラナダより少ない54、引き分け数リーグ2位と健闘はした[35]。だが総得点がリーグ最少25・勝利数わずか2(ベティスと同数)では、デポルのような守備的戦術で残留をするのも難しい。第23節終了時に12位グラナダとの勝ち点差が7に開き[36]、1年での降格が決定した。

グラナダのパコ・ブル監督は古巣のレアル・マドリードと最終節まで自動残留圏争いを繰り広げた。

殆ど勝てないチームが早期に落ちる一方、昨季バルサが陥った入れ替え戦圏付近の攻防が白熱した。グラナダが6試合未勝利を2度記録して[37]、12位に定着したのは決してサプライズでは無く、コパ・デル・レイ優勝2回のエスパニョール、過去リーグ優勝2回のレアル・マドリードCFの行く末こそが今季残留争いの注目点であった。

エスパニョールは長期の連敗・未勝利は無く[38]、前半戦はむしろ上位だった。だが降格圏のサラゴサに対する敗戦[39]、ダービー全敗なども[40][41]、精神的に作用したのか、終盤戦で入れ替え戦圏内に転落した。Rマドリードは開幕3連勝と絶好調だったが[42]、その後は2度にわたる5試合未勝利で[43][44]、中盤戦から11位に定着。ここでアルメ監督が解任され、SDのコロナドが短期間代行した後、なんと上位バレンシアの監督ラモン・エンシナスが引き抜かれたのである。

昨季の優勝監督が連覇の夢を放棄し、今や残留請負人として迎え入れられた。Rマドリードはバルサと5-5の激しいドローを演じた後に3連勝[45]、11位と勝ち点1差の8位に浮上した[46]。だがその後3連敗を喫して第21節終了時に10位に転落[47]。それでも翌週12位エスパニョールを7-0で大破して当該対戦優位を確立し[48]、3連勝で7位に浮上した[49]。だが第24節でセビージャに敗れ11位・12位との勝ち点差2の10位となった[50][51]

第25節、Rマドリードは12位グラナダとの直接対決でドロー[52]。だがエスパニョールも引き分け[53]、単独10位をキープした[54]。最終節は勝ち点24の10位Rマドリードと勝ち点22の12位グラナダの争いとなった。Rマドリードとの当該対戦スコアが劣るエスパニョールは既に11位以下・入れ替え戦が確定。パコ・ブル監督のグラナダは古巣Rマドリードとの当該対戦で勝ち越したため[55][56]、勝ち点が並べばバルサの屈辱の二の舞はあり得た。

Rマドリードは敵地で7位バレンシアと因縁対決。11分にメナに先制点を許すが、15分にボテージャが同点弾。しかし31分・43分アマデオに得点を許し1-3で前半を折り返す。グラナダはホームにバルサを迎え、11分にマリンが先制点。17分セサール・ロドリゲス、22分マルティンに決められ逆転を許すが、44分にソサが決め2-2に追いつき前半を終えた。

後半に入り、Rマドリードは60分アルスーア・64分ベルマールと5分間で2点を決め3-3の同点。残り時間の試合運びは難題だったが、80分にバルサのマルティンがグラナダから再びリードを奪う得点を決めて結末が見えた。その後スコアは動かず、Rマドリードがドローで勝ち点1追加し10位で自動残留、グラナダは2-3で敗れ12位で入れ替え戦出場が決まった[57][58]

順位表[編集]

出典: BDFútbol
(C) 優勝; (O) プレーオフ勝者; (R) 降格.
注釈:
  1. ^ a b バレンシアCFはアトレティコ・アビアシオンに対し3-0、1-1の1勝1分けで当該対戦勝ち点が3-1のため順位が上になった[59][60]

勝敗表[編集]

出典: BDFútbol
色: 青 = ホームチームが勝ち; 黄 = 引き分け; 赤 = アウェーチームが勝利。

自動昇格チーム[編集]

入れ替え戦[編集]

プリメーラ・ディビシオン11位のRCDエスパニョールがセグンダ・ディビシオン1940-1941決勝ステージ4位のレアル・ヒホンと中立地マドリードで対戦した。



プリメーラ・ディビシオン12位のグラナダCFがセグンダ・ディビシオン1942-1943決勝ステージ3位のレアル・バリャドリード・デポルティーボと中立地バルセロナで対戦した。


  • 勝ったグラナダCFがプリメーラ・ディビシオン1943-1944に残留。敗れたレアル・バリャドリード・デポルティーボはセグンダ・ディビシオン1943-1944に残留。

得点ランク・記録[編集]

得点ランキング[編集]

ハットトリック[編集]

最少失点ゴールキーパー[編集]

できごと[編集]

  • フアン・アクーニャは2シーズン連続で最少失点率達成。アトレティコ・アビアシオンのリカルド・サモラ監督の現役時代以来の快挙となった。
  • ビルバオのフアン・ウルキス監督は、リカルド・サモラに続き現役・監督時代両方でリーグ優勝した2人目の人物となった。

外部リンク[編集]