エアロマスター硬式野球部 – Wikipedia

エアロマスター硬式野球部
チーム名(通称) エアロマスター、日本熱学
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1963年
廃部 1974年
チーム名の遍歴
  • 日本熱学 (1963 – 1972)
  • エアロマスター (1973 – 1974)
本拠地自治体
  • 大阪府大阪市 (1963 – 1974)
都市対抗野球大会
出場回数 3回
最近の出場 1969年
最高成績 ベスト8
日本産業対抗野球大会
出場回数 5回(日本熱学で4回・エアロマスターで1回)
最近の出場 1973年
最高成績 優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 ※大会創設前に廃部
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし
※大会創設前に廃部

エアロマスター硬式野球部(エアロマスターこうしきやきゅうぶ)は、大阪府大阪市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1974年5月に解散した。

運営母体は、空調機器製造メーカーの日本熱学工業。

1963年、日本熱学工業が『日本熱学硬式野球部』として創設[1]

1966年に都市対抗野球に初出場を果たし、3度目の出場となった1969年にはベスト8に進出した[1]

1973年からチーム名を同社の主力商品の商標名と同じく『エアロマスター硬式野球部』に改称する。同年11月、同年が最後の開催と決まっていた産業対抗野球で、商業部門から初出場[注釈 1]にして初優勝を果たした[2]

1974年5月20日、母体の日本熱学工業が業績悪化により会社更生法を申請し倒産した。これに伴い、同年5月22日に野球部も解散となった[3]

設立・沿革[編集]

  • 1963年 – 『日本熱学』として創部。
  • 1966年 – 都市対抗野球に初出場(1回戦敗退)。
  • 1973年 – チーム名を『エアロマスター』に改称。産業対抗野球に初出場(優勝)。
  • 1974年 – 5月に母体の倒産により解散。

主要大会の出場歴・最高成績[編集]

  • 都市対抗野球大会 – 出場3回、8強1回(1969年)
  • 日本産業対抗野球大会 – 出場1回、優勝1回(1973年)
  • JABA京都大会 – 優勝1回(1973年)
  • JABA高砂市長杯争奪大会 – 優勝1回(1974年)

主な出身プロ野球選手[編集]

  • 溜池敏隆(内野手) – 1968年ドラフト2位でサンケイアトムズに入団
  • 益川満育(内野手) – 1971年ドラフト4位でヤクルトアトムズに入団
  • 今西和男(外野手) – 1971年ドラフト外で阪神タイガースに入団
  • 金橋薫(投手) – 1972年ドラフト外で阪急ブレーブスに入団
  • 松村彰士(内野手) – 解散に伴い辻和に移籍し、1974年ドラフト外で近鉄バファローズに入団
  • 宮本好宣(投手) – 解散に伴い西濃運輸に移籍し、1975年ドラフト6位で日本ハムファイターズに入団
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注釈[編集]

  1. ^ 日本熱学は建設部門から出場経験がある。

出典[編集]

  1. ^ a b “躍り出た36代表 <5>”. 毎日新聞. (1969年6月30日) 
  2. ^ “初陣・エアロが優勝”. 毎日新聞. (1973年11月12日) 
  3. ^ “エアロマスターが解散”. 毎日新聞. (1974年5月23日) 

関連項目[編集]

  • 社会人野球チーム一覧
  • 都市対抗野球大会 (大阪府勢)