星子敏雄 – Wikipedia

星子 敏雄(ほしこ としお、1905年11月9日 – 1995年7月13日)は、日本の政治家。熊本市長(4期)。

熊本県鹿本郡稲田村(現山鹿市)出身。1928年東京帝国大学法学部政治学科卒。同年満州に渡り、関東庁に勤務する。その後奉天省、満州国総務庁で勤務し、1945年満州国警務総局長に就任した。同年、ソ連軍が満州に侵入し、星子はソ連軍に拘束され、シベリアに抑留される。1956年帰国。1963年熊本市助役に就任。1970年熊本市長選挙に立候補して当選、4期16年務めた。1986年に引退。1987年、勲二等瑞宝章受章[1]。1995年死去。

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  1. ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊

参考文献[編集]

  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『満州国の最期を背負った男 星子敏雄』荒牧邦三 弦書房、2016年。
先代:
19・20代: 1963 – 1970
石坂繁
Flag of Kumamoto, Kumamoto.svg 熊本市長
21・22・23・24代: 1970 – 1986
星子敏雄
次代:
25・26代: 1986 – 1994
田尻靖幹