ハイミー・シャーツァー – Wikipedia

ハイミー・シャーツァー
Hymie Shertzer
出生名 Herman Shertzer
生誕 (1909-04-02) 1909年4月2日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市
死没 (1977-03-22) 1977年3月22日(67歳没)
ジャンル スウィング・ジャズ
担当楽器 アルトサックス
活動期間 1934年 – 不明

ハイミー・シャーツァーHymie Shertzer、1909年4月2日 – 1977年3月22日[1])はアメリカ合衆国のアルトサックス奏者。スウィング・ジャズ時代のビッグバンドで主に活躍した。

1909年、ニューヨーク市に生まれる。本名はハーマン・シャーツァーHerman Shertzer[2]。シャーツァーは9歳からバイオリンを、16歳からサックスを学んだ
[3]
。1934年、ベニー・グッドマンのオーディションを受けたシャーツァーは、バイオリンとサックスの両方で合格となり、1938年にかけてグッドマンのバンドで演奏[3]。当初はバイオリニストとして参加したが、その後はリードアルトを担当した。1939年にトミー・ドーシーのバンドに引き抜かれてリードを担当[3]。また、同年にはAll Star Band(後にメトロノーム・オールスターズ英語版と改名)のアルバム『Blue Lou / The Blues』に2曲のみ参加している[3][4]。1年でグッドマンのバンドに復帰したのち[2]、1940年代にはバニー・ベリガン英語版のバンドでも活動。ライオネル・ハンプトンやビリー・ホリディ、テディ・ウィルソンなどのレコードセッションにも参加している[3]

1942年以降はNBCのスタジオミュージシャンとなったが[2]、エラ・フィッツジェラルドやルイ・アームストロングなど著名なアーティストのレコードセッションにも参加。ルビー・ブラフ英語版の1955年のアルバム『Holiday in Braff』(ベツレヘムレコード)[5]や、レイ・エバール英語版の1957年のアルバム『Ray Eberle Featuring The Ray Eberle Orchestra』などでも名演を披露した[6]
。また、1955年に制作されたグッドマンの伝記映画『ベニイ・グッドマン物語』にも出演しており、演奏シーンが撮影されている[3]

1977年3月22日、ニューヨーク市で没した[1]

  1. ^ a b Hymie SchertzerのDiscogsにおけるディスコグラフィ”. Discogs. 2016年9月28日閲覧。
  2. ^ a b c ハイミー シャーツァー”. コトバンク. 2016年9月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f
    、1992、「特集 アルト・サックス、フルート、クラリネット他 Vol.2」、『ジャズ批評』(76)、ジャズ批評社 p. 107
  4. ^ All Star Band Albums: songs, discography, biographym and Listening guide”. Rate Your Music. 2016年9月28日閲覧。
  5. ^ Ruby Braff – Holiday In Braff”. Discogs. 2016年9月28日閲覧。
  6. ^ Ray Eberle Featuring The Ray Eberle Orchestra, Will Bradley, Hy Schertzer* – Plays Glenn Miller Favorites”. Discogs. 2016年9月28日閲覧。