土木計画学(どぼくけいかくがく、英:Planning and management of land, infrastructure and project)は、国土計画や都市計画、環境計画、交通計画などの計画の応用分野ともいうべき空間・環境計画や社会的な施設システムの計画と、土木事業の企画・計画、設計、施工、管理といった各プロセスにおけるいわゆる計画・管理内容としての土木事業計画について、それらの基礎および共通する計画の理念および手順、手法をシステム工学的な見地にもとづいて展開した学問の体系である。 土木計画学の定義[編集] 土木計画学は、土木計画を対象にする学問の体系である。土木計画には、国土計画や都市計画、交通計画など空間や施設システムの計画を主体とするものと、各種土木事業の実施における計画の立案並びに実施過程の計画といった事業マネジメントを主体にするものの2通りに大別される内容がある。しかし、計画の理念や手順、手法については互いに共通するところがある。 したがって、土木計画をどのように把握するかで、土木計画学の内容が定まるが、その土木計画に関し一般的に次のように定義することができる。すなわち、土木計画とは、空間、社会基盤施設およびそれらにかかわる土木事業において発生する問題内容を発見整理し、これに関係する社会基盤施設などを対象に、事業の主体者(意思決定者)が計画の目的を検討し、目的達成に必要な多くの手段(代替案)の中から、合理的かつシステマティックな選択行為を遂行する一連の行為と、その支援手続きおよびそれらにより得られる成案である、とするものである。 この土木計画の定義から、主体者(意思決定者)、対象、目的、手段(対代案)といったキーワードがひろいだされる。これらに計画内容の配列や実施過程のつながりを意味する構成を加えた5つの項目が、土木計画の基本要素ということができる。したがって、土木計画学は、これら基本要素に沿った内容に関する各論を展開するとともに、その組み立てによる土木計画のシステムを構築し、必要となる科学的手法を展開する内容となる。具体的には、社会基盤施設や土木事業などの計画に関係する現象の把握・分析とその将来予測を内容とする現象システムと、計画の立案および評価を内容とする評価システムとから成り立つ学問の体系として土木計画学を定義することができる。 土木計画学として計画史の研究は、昭和20年代に利根川と筑後川で発生した大規模水害を一つの契機とし、治水技術の問題点を明らかにする研究が河川分野で行われるようになる。それを担ったのが安芸皎一が事務局長を務めた経済安定本部資源調査会の地域計画部会で小出博、栗原東洋、新沢嘉芽統らを中心にして,「日本古来の治水技術を文化遺産としてもう一度評価」[1]してそれを一つの拠り所とした新たな技術論の構築が目指された。伝統技術に関する文献の発掘・分析もこの部会で行われていた。彼らは建設省からの強い反発に遭いながらも、歴史的文献の調査とフィールドワークの中から近代治水事業の計画思想を紡ぎ出し、当時の河川事業に欠如していた川の個性に基づく計画の重要性を説いた。この研究の流れ自体はその後も高橋裕、宮村忠、大熊孝らに受けつがれていくが、これに対し河川法改正(1964年〈昭和39年〉)をめぐる動きを背景として参議院建設委員会常任委員会専門員の武井篤は治水の政治的性格に着目し「わが国における治水の技術と制度の関連に関する研究」を取りまとめ、その技術と制度の矛盾について歴史的に考察、これは河川史研究における日本初の学位論文である。現代的な問題意識をもとに描き出されたこれら河川史研究はその後より広範で密な史料分析に基づく検証によって精緻化がはかられる。それを代表するのが松浦茂樹や知野泰明らの研究である。 もちろん計画史研究は河川以外の社会基盤施設も対象として行われる。その後鈴木忠義らがこうした計画学研究を土木の計画原論として発展させようとしていたが、むしろ計画学の主流は河川以外の分野が占することになっていった。 土木計画学の内容[編集] 土木計画学の主な内容は以下のとおりである。 土木計画の定義と意義 土木計画の手順 計画課題の発見と整理 計画における調査と分析
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