穂積敬重 – Wikipedia

穂積 敬重(ほづみ たかしげ、1849年6月4日(嘉永2年閏4月14日[1]) – 1904年(明治37年)8月28日[1])は、幕末の小倉藩士。明治時代の官吏。東京市赤坂区長。旧姓は鈴木[1]

江戸神田橋の小倉藩邸に生まれる[1]。1869年(明治2年)金沢純直、山田直矢らと刑部史正を拝命し、1872年(明治5年)頃、東京権少属となる[1]。1887年(明治20年)11月、東京市赤坂区長に任じ、1889年(明治22年)5月まで務めた[2]。同月、滋賀県栗太・野洲郡長に転任し[3]、のち同県犬上郡長を務めた[4]

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  1. ^ a b c d e 大植 1935, 773頁.
  2. ^ 江戸東京を知る_大東京35区物語_歴代区長一覧”. 東京都総務局. 2020年3月29日閲覧。
  3. ^ 『非職元東京府赤坂区長穂積敬重滋賀県栗太野洲郡長ニ転任ノ件』 – 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治22年5月31日。
  4. ^ 『滋賀県犬上郡長穂積敬重滋賀県収税長高等官六等ニ任叙ノ件』 – 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治27年11月18日。

参考文献[編集]