ロゴジュスク公国 – Wikipedia

ロゴジュスク(ロゴイスク)公国(ベラルーシ語: Лагожское (Лагойскае) княства、ロシア語: Логожское (Логойское) княжество)とは、12世紀後半のルーシ西部に位置した分領公国である。ロゴジュスク(現ベラルーシ・ラホイスク)を首都とした。

ロゴジュスク公国は12世紀後半にイジャスラヴリ公国から分離した[1]。しかし他公国との国境線は詳しくは不明である。『イパーチー年代記』には、1180年のロゴジュスク公フセスラフ・ミクリチは、イジャスラヴリ公、ヴィテプスク公と同盟を結んでいたという記述がみられる[2]。また『ラヴレンチー年代記』には、1186年に、ミンスク公家出身のロゴジュスク公ヴァシリコ・ヴォロダレヴィチ(be)が、ノヴゴロド公・スモレンスク公・ドルツク公と共に、ポロツク公国を攻めたという記述がある[2]

その後ロゴジュスク公国は、スキルガイラ、ヴィータウタス、Andrejus(be)[注 1]等のゲディミナス朝の諸公の所領となった。この時期にはロゴジュスク公国は、ロゴイスク、ガインスク、ホレツクの3領域からなっていた[注 2]

注釈[編集]

  1. ^ 「Andrejus」はリトアニア語表記による。
  2. ^ 「ロゴイスク」「ガインスク」「ホレツク」はロシア語の形容詞形からの転写による。よって名詞形、またベラルーシ語・リトアニア語に基づく表記では異なる名称となる可能性があることに留意されたし。

出典[編集]

  1. ^ Алексеев Л. В. (1966),p76
  2. ^ a b ПОЛОЦКОЕ КНЯЖЕСТВО // М.Петрович ДРЕВНЯЯ РУССКАЯ ИСТОРИЯ ДО МОНГОЛЬСКОГО ИГА

参考文献[編集]

  • Алексеев Л. В. Полоцкая земля: Очерки истории северной Белоруссии в IX—XIII вв. — М.: Наука, 1966.
  • Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — М.: ОЛМА-ПРЕСС, 2001.
  • Коган В.М., Домбровский-Шалагин В.И. Князь Рюрик и его потомки: Историко-генеалогический свод. — СПб.: «Паритет», 2004.

関連項目[編集]