Month: September 2018

応答せよ1994 – Wikipedia

『応答せよ1994』(おうとうせよ1994、原題:응답하라1994、英:Reply1994)は、2013年に韓国tvNで放送されたテレビドラマ。2012年に韓国でヒットしたドラマ『応答せよ1997』に続く応答シリーズの第2弾[1]。 舞台を1994年に変え、ソウルに上京し同じ下宿で暮らす学生たちの青春物語。当時流行した音楽や小道具が登場し、三豊百貨店崩壊事故など実際に起きたことも描かれている[2]。さらに当時韓国でバスケットボールが大流行していたこともあり本作の主人公は実在したバスケットボール選手イ・サンミンの追っかけをしている設定になっている[3]。前作同様に主人公の結婚相手が誰なのか伏線を探り過去と現在を行き来する構成になっている[4]。本作もケーブルチャンネルながら最高視聴率11.9%、瞬間最高視聴率14.3%を記録するヒットとなり、前作の記録を塗り替えた[5]。 あらすじ[編集] 1994年、馬山からソウルにやって来たナジョンの家族は大学生向けの「新村下宿」を営んでいた。延世大に進学したナジョンは、バスケットボール部のスター、イ・サンミンの追っかけをし、下宿では幼馴染で医学部3年のスレギや、大学生のユンジン、サムチョンポ、ピングレ、スレギ、ヘテ、チルボンら下宿生たちと生活を共にする日々を送っていた。そして時は過ぎ2013年、ソウルにあるナジョンの新居にナジョンを含めた下宿生7人が再び集まる。ナジョンはこの中のメンバーのキム・ジェジュンという本名の人物と結婚していた。 登場人物[編集] ソン・ナジョン 演:コ・アラ(Ara) 延世大学コンピューター工学科1年。慶尚南道馬山市出身。延世大バスケットボール部のイ・サンミンの追っかけをしている。幼い頃に兄を亡くして以来、兄の幼馴染のスレギが兄のような存在。口は悪いが根は優しい。2002年に結婚し、2013年現在3人子どもがいる。 スレギ 演:チョンウ 延世大学医学部3年。馬山市出身。ナジョンとは幼馴染で兄妹のような関係。大学では優秀で慕われる存在だが家ではだらしなく、あだ名のスレギとはゴミを意味する。 チルボン 演:ユ・ヨンソク 延世大学社会体育学科1年。延世大学野球部のエース投手。高校時代7連続完封しあだ名は「七封」(チルボン)。ソウル出身で地方出身の下宿人たちからは羨望されている。 サムチョンボ 演:キム・ソンギュン 延世大学工学部コンピューター工学科1年。慶尚南道三千浦(サムチョンボ)出身のため、あだながサムチョンボ。几帳面な性格。 ヘテ 演:ソン・ホジュン 延世大学工学部コンピューター工学科1年。ヘテ・タイガースのファンであることからあだ名がヘテになった。女子にモテるが初恋が忘れられない。

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鳥尾小弥太 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “鳥尾小弥太” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月) 鳥尾 小弥太(とりお こやた、弘化4年12月5日(1848年1月10日) – 明治38年(1905年)4月13日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将正二位勲一等子爵。諱は照光、のち敬高(孝)。幼名は一之助。通称は百太郎、鳳輔など。号は得庵居士、不識道人など。 弘化4年12月5日(1848年1月10日)、萩城下川島村に長州藩士(御蔵元付中間)・中村宇右衛門敬義の長男として生まれる。安政5年(1858年)に父とともに江戸へ移り、江川英龍に砲術を学ぶ。万延元年(1860年)に帰藩して家督を相続。文久3年(1863年)に奇兵隊に入隊。乱暴者なので、親から勘当され、自ら鳥尾と名を定めた。長州征伐や薩摩藩との折衝などの倒幕活動に従事した。戊辰戦争では建武隊参謀や鳥尾隊を組織し、鳥羽・伏見の戦いをはじめ、奥州各地を転戦する。戦後は和歌山藩に招聘され、同藩の軍制改革に参与している。 維新後は兵部省に出仕して陸軍少将、のち陸軍中将に昇進した。西南戦争では、大阪において補給や部隊編成などの後方支援を担当した。陸軍大輔、参謀局長、近衛都督などの要職を歴任する。明治13年(1880年)、病気のために一切の職を辞し、君権と民権が互いに尊重しあう状態を理想とする『王法論』を執筆した。 陸軍内においては、政治的立場の相違から、山縣有朋や大山巌らと対立するなど反主流派を形成した。明治14年(1881年)の開拓使官有物払下げ事件では、反主流派の三浦梧楼・谷干城・曾我祐準と連名で、払下げ反対の建白書および憲法制定を上奏する。この事件の結果、反主流派は陸軍を追われ、鳥尾も統計院長に左遷される。その後は軍事研究団体である月曜会に属し再び山縣らと対立、枢密顧問官や貴族院議員などを勤めたものの、再び陸軍の要職に就くことはなかった。 明治17年(1884年)、維新の功により子爵を授けられる。 欧州視察から帰国後の明治21年(1888年)に東洋哲学会、翌明治22年(1889年)には山岡鉄舟や川合清丸、松平宗武らによる日本国教大道社、貴族院内における保守党中正派の結成など、国教確立と反欧化主義を唱えて国家主義・国粋主義の興隆に努めた。明治31年(1898年)、大日本茶道学会の初代会長に就任する。明治34年(1901年)には青少年教育を目的に統一学を起こし、翌明治35年(1902年)に統一学舎を設立した。 晩年は一切の職を辞し、仏教を信奉する参禅生活に入った。明治38年(1905年)、静岡県熱海の別邸にて肺患のため[1]死去した。享年58。墓所は兵庫県加古川市の光念寺。

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ゴールド争覇 – Wikipedia

ゴールド争覇(ゴールドそうは)、愛知県競馬組合が施行する地方競馬の重賞競走(SPI)である。正式名称は「日刊スポーツ杯 ゴールド争覇」、日刊スポーツ新聞社が優勝杯を提供している。 1973年中京競馬場ダート2000mの4歳(現3歳)以上の東海(笠松・愛知)所属馬限定重賞競走「ゴールド争覇」として創設。その後、幾度か施行条件が変わり、2006年を最後にいったん中断。2017年、SPIの3歳以上による地方競馬全国交流競走として再開し、再開後は名古屋競馬場ダート1400m、開催時期は10月下旬に施行されている。2022年からは名古屋競馬場の移転に伴い、ダート1500mへ距離が変更される[2]。 条件・賞金(2021年)[編集] 出走条件 サラブレッド系3歳以上、全国地方交流で他地区所属馬の出走枠は5頭以下と定められている。 負担重量 別定 賞金額 1着500万円、2着192万円、3着108万円、4着72万円、5着48万円、着外6万円。 副賞 日刊スポーツ新聞社賞、東海地方公営競馬協議会会長賞、愛知県競馬組合管理者賞、開催執務委員長賞[3]。 優先出走権付与 優勝馬には笠松グランプリの優先出走権が付与される。 歴代優勝馬[編集] 馬齢は2000年以前についても現表記を用いる。 コース種別を記載していない距離は、ダートコースを表す。 回数 施行日 競馬場

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窪井義道 – Wikipedia

日本の政治家 窪井 義道 くぼい よしみち  窪井義道 生年月日 (1892-01-04) 1892年1月4日 出生地 山口県熊毛郡三丘村(現・山口県周南市) 没年月日 (1949-11-13) 1949年11月13日(57歳没) 出身校 東京帝国大学法科大学独法科 前職 弁護士 所属政党 立憲政友会昭和会立憲政友会革新同盟日本進歩党

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ラスパ御嵩 – Wikipedia

ラスパ御嵩RASPA MITAKE SC全景 地図 店舗概要 所在地 〒505-0126岐阜県可児郡御嵩町上恵土1052番地1号 座標 北緯35度26分2.7秒 東経137度4分14秒 / 北緯35.434083度 東経137.07056度 / 35.434083; 137.07056 (ラスパ御嵩)座標: 北緯35度26分2.7秒 東経137度4分14秒 /

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中原裕 – Wikipedia

中原 裕(なかはら ゆう)は、中澤秀樹、田島裕之のコンビの漫画家のペンネーム[1][2]。当初は中澤と田島のほかに同級生の原を加え、3人で活動していた[2]。埼玉県[1]戸田市出身。田島裕之は、漫画家の田島昭宇の兄である。 1984年になかはらゆう名義で『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に『リョウ』を投稿し、青年漫画賞で入選を受賞[1]。同誌に掲載されてデビューを果たす[1]。その後1987年より『週刊少年サンデー』(小学館)に『ぶっちぎり』[2]、1990年より同誌で『タフ』を連載して[2]人気を得る[要出典]。1994年より『ビッグコミックスピリッツ』(同)に連載した『奈緒子』は[2]、2008年に映画化されている[3]。 2010年10月7日から10月18日に渋谷パルコの地下にある「ロゴスギャラリー」で行われた『ビッグコミックスピリッツ』の創刊30周年記念企画展示「スピリッツmeets PARCO」では、『スピリッツ』の歴代作家陣がお祝いイラストを寄せ、中原も参加[4]。 2014年、『ビッグコミックスピリッツ』19号にて『ラストイニング』が完結した記念として、中原が阪神タイガースの藤浪晋太郎へインタビューを行い[5]、対談を実施[6]。 2015年、『ビッグコミックスピリッツ』2016年4・5合併号より『WILD PITCH!!!』の連載を開始[7]。 2016年4月28日、単行本未掲載読み切りを収録した中原初の自選短編集『オンリー・ユー 中原裕 自選短編集』を刊行[8]。 2018年、『ビッグコミックスピリッツ』16号のプロ野球の開幕特集にて、ストレイキャッツの公式キャラクターのスクラッキーによるプロ野球キャンプリポートを執筆し、中原が藤川球児へ直撃インタビューを行う様子が収録された[9]。 2020年、『月刊!スピリッツ』(同)2021年1月号より『テルカンボーイズ』の連載を開始[10]。 2021年、『ビッグコミックオリジナル』(同)にて18号よりコロナ禍で活動する高校球児を描く『僕らはそれを越えてゆく〜天彦野球部グラフィティー〜』の連載を開始[11]。 生粋の阪神タイガースファンである[5]。 作品リスト[編集] 連載[編集] 読み切り[編集] リョウ(『週刊ヤングジャンプ』)

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長野県後期高齢者医療広域連合 – Wikipedia

長野県後期高齢者医療広域連合 広域連合長 藤原忠彦(川上村長) 設立日 2007年 3月23日 事務所 所在地 〒380-0935 長野県長野市大字中御所79番地5NOSAI長野会館2階 外部リンク 長野県後期高齢者医療広域連合 長野県後期高齢者医療広域連合(ながのけんこうきこうれいしゃいりょうこういきれんごう)は、高齢者の医療の確保に関する法律第48条の規定に基づいて長野県の後期高齢者医療制度を取り扱う自治体によって運営されている後期高齢者医療広域連合である。 目次 1 沿革 2 構成自治体 3 脚注

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ジャニス・アラガオ – Wikipedia

ジャニス・アラガオ(Janis Aragao、1990年6月12日 [1] – )は、ブラジル人の日本の女優。本名同じ。 稲川素子事務所所属。 1990年、ブラジル人の両親のもと、ブラジル セアラー州ソブラル[2][3]に生まれた。ジャニス(Janis)の名前の由来は、父親がアメリカ合衆国のロックシンガー、「ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)」の大ファンで彼女のようになって欲しい、との思いから名付けられたらしい[4]。更に、ジャニス・アラガオのミドルネームは「ジョプリン(Joplin)」との事[4]。ブラジルでの生活が貧しく子供達におもちゃを買うことも靴を買うこともできない状態になったのを機に、母親マリアは29歳の時に、兄、姉、2歳のジャニスとともに、日本へ移住した。その後、日本で生まれた、弟カズも含めて兄弟は、マリア一人の手で育てられた[5]。 2002年、小学校6年生の時に、それまで住んでいた中野区から新宿区に転居し、以降、新宿区に居住している[6]。 2003年、中学校に入学。中学生の時、芸能事務所に入った。入所のきっかけは、ジャニスが小さい頃、テレビ番組「天才てれびくん」に「てれび戦士」として出演していた、ジャスミン(ジャスミン・アレン、ジャスミン・S、Jasmine S[7])であった。ジャニスはジャスミンが大好きで、6歳の時に兄のCM撮影の現場についていったところ彼女に会えて感激した。ジャニスは彼女の休憩時間に沢山遊んでもらい、大人になったらジャスミンみたいになりたいと思い、中学生の時に芸能事務所に入った[6]。 また、中学時代に、バスケットボール部に所属し、ここで親しい友人に巡り合えた[8]。 2006年、私立日出高等学校に入学し、芸能コースに入った。自身が所属していた芸能コースはもとより、スポーツコースにも親しい友人が出来た[9]。 2009年、大学に入学[10]。学問に専念するため、芸能界の仕事は一旦休んだ[11]。 2013年、大学卒業後、生命保険会社に入社した。芸能界の仕事はせず、会社の仕事に集中し、FP(ファイナンシャル・プランナー)の資格も取得した。 ここで数年間勤務したが、ある人の介護をするため離職した。1年間の介護生活の後、職場復帰は出来ずキャリアの全てを失った[11]。 2017年、テレビ番組「メイドインジャパン 日本を誇りに思えるSP!」への出演[注釈 1][12][13]をきっかけに芸能活動を本格化し、再現ドラマ(海外ミステリー等)を中心に活動している。

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水本成美 – Wikipedia

水本 成美(みずもと なるみ[1]、1831年6月24日(天保2年5月15日)- 1884年(明治17年)7月28日[2])は、幕末から明治期の薩摩藩士、律令学者、法制官僚。元老院議官。字・君之、号・樹堂、通称・保太郎[3]。明治初期法曹界の卓越した律令学者であり復古的法学派の総帥[1]。 目次 1 経歴 2 栄典 3 著作 4 脚注 5 参考文献 6 関連文献 江戸二本榎で生まれる[3]。西島蘭渓、松崎慊堂から指導を受け、さらに昌平坂学問所で学ぶ[3]。文久3年(1863年)薩摩藩から招聘され、慶応3年(1867年)夏に鹿児島に移り、重野安繹、今藤君容らと藩律改修に取り組む[3]。 明治維新後、新政府に出仕し明治元年9月25日(1868年11月9日)徴士・議政官史官となり、同年10月25日(12月8日)明律取調を命ぜられた[4]。その後東京に移り、明治2年1月19日(1869年3月1日)昌平学校教授に就任[4]。以後、昌平学校一等教授、大学校一等教授、大学大博士、刑部大判事などを歴任[4]。 明治2年3月20日(1869年5月1日)刑律取調を命ぜられ、村田保、鶴田皓、長野文炳、邨岡良弼等の補佐を受け、新律綱領を編纂した[5]。

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伽羅先代萩 – Wikipedia

『伽蘿先代萩』(めいぼく せんだいはぎ)は、伊達騒動を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の演目。通称「先代萩」。 伊達騒動の概要[編集] 本作の題材となった伊達騒動は、万治・寛文年間、1660年から1671年にかけて仙台伊達家に起こった紛争をいう。その史実については、伊達騒動その他関連項目を参照。 巷説においては、おおむね以下のような物語が形成された。 仙台伊達家の3代藩主・伊達綱宗は吉原の高尾太夫に魂を奪われ、廓での遊蕩にふけり、隠居させられる。これらはお家乗っ取りをたくらむ家老原田甲斐と黒幕である伊達兵部ら一味の仕掛けによるものだった。甲斐一味は綱宗の後を継いだ亀千代(4代藩主・伊達綱村)の毒殺を図るが、忠臣たちによって防がれる。忠臣の筆頭である伊達安芸は兵部・甲斐らの悪行を幕府に訴える。酒井雅楽頭邸での審理で、兵部と通じる雅楽頭は兵部・甲斐側に加担するが、清廉な板倉内膳正の裁断により安芸側が勝利。もはやこれまでと抜刀した甲斐は安芸を斬るが自らも討たれ、伊達家に平和が戻る。 本作をはじめとする伊達騒動ものは基本的にこの筋書きを踏襲している。 現行「伽羅先代萩」の成立[編集] 伊達騒動を扱った最初の歌舞伎狂言は、正徳3年(1713年)正月、江戸市村座で上演された『泰平女今川』である。 これ以降、数多く伊達騒動ものの狂言が上演されるが、特に重要な作品として、安永6年(1777年)4月、大坂中の芝居で上演された歌舞伎『伽羅先代萩』(奈河亀輔ほか作)と、翌安永7年(1778年)7月、江戸中村座で上演された歌舞伎『伊達競阿国戯場』(初代桜田治助・笠縫専助合作)、さらに天明5年(1785年)、江戸結城座で上演された人形浄瑠璃『伽羅先代萩』(松貫四ほか作)の3作が挙げられる。 歌舞伎『伽羅先代萩』は、伊達騒動を鎌倉時代に託して描き、忠義の乳母・政岡とその子・千松を登場させた。『伊達競阿国戯場』は、騒動の舞台を細川・山名が争う応仁記の世界にとり、累伝説を脚色した累・与右衛門の物語と併せて劇化した。現在『伽羅先代萩』の外題で上演される内容は、「竹の間」「御殿」「床下」は前者、その他は後者の各場面を原型としている。 天明5年(1785年)の人形浄瑠璃『伽羅先代萩』は歌舞伎『伽羅先代萩』を改作・浄瑠璃化したもので、現行「御殿」に用いる浄瑠璃の詞章はこの作品から取られている。 場面構成や科白・演出についてはこの他多くの派生形があり、「花水橋」「竹の間」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」からなる現行の構成は明治半ばから徐々に定着したものである。 また明治以降、累・与右衛門の物語は『薫樹累物語』などの外題で、独立の狂言として歌舞伎・人形浄瑠璃で上演されるようになった。 物語の概要[編集] 現行の脚本は大きく「花水橋」「竹の間・御殿・床下」「対決・刃傷」の3部に分けることができる。それぞれが別系統の脚本によっており、全体をとおしての一体感は薄いが、一つの演目で多様な舞台を楽しめるところは本作の魅力でもある。 以下、各場のあらすじに解説を添える。 花水橋の場[編集] 廓からお忍びで屋敷に帰る途中の足利頼兼(伊達綱宗に相当)が、仁木弾正(原田甲斐に相当)に加担する黒沢官蔵らに襲われるが、駆けつけた抱え力士の絹川谷蔵に助けられる。 危機の中でもお大尽の殿様らしく優雅にふるまう頼兼、その威にたじろぐ刺客たちの滑稽な動き、力士絹川の颯爽とした立ち回りを見せる華やかな一幕。七代目澤村宗十郎の頼兼は鷹揚で古風な芸を満喫させる至芸だった。

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