大宮アルディージャ – Wikipedia

熊谷スポーツ文化公園陸上競技場

大宮アルディージャサポーター

大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、Omiya Ardija)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

1969年創部の電電関東サッカー部(1985年に日本電信電話公社が民営化により日本電信電話 (NTT) となったことに伴いNTT関東サッカー部へと改名)を前身とし、1999年にJリーグへ加盟[1]。運営会社は東日本電信電話・NTTドコモ・NTTデータなどが出資するエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社(NTTスポーツコミュニティ)[1][2]。クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」はスペイン語でリス(リスは旧・大宮市が1990年の市制施行50周年記念時に制定したマスコット)を表す「Ardilla」に由来し、それを読みやすいように変更した造語である(Ll参照)[1][5]

ホームスタジアムはさいたま市大宮区高鼻町の大宮公園内にあるNACK5スタジアム大宮(さいたま市大宮公園サッカー場)[1][6]で、熊谷市の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でもホームゲームを開催する[6]。練習場はさいたま市西区西大宮の高木第二最終処分場跡地をさいたま市が整備して開設した[7]さいたま市西大宮サッカー場を「アルディージャ練習場」として使用しており、敷地内にクラブハウス「オレンジキューブ」を設けている[1][8]。かつてはさいたま市西区中釘の秋葉の森総合公園サッカー場(2004年3月以降)や、志木市上宗岡(荒川そば)のNTT東日本志木総合グラウンド(2012年以前)も使用していた[8]

2022年よりフットボールビジョンとスタイルを制定しているが(後述)、それ以前よりクラブの主軸として「スピード」「アクティブ」「アグレッシブ」を提唱している(エンブレム内の5本ストライプはスピード、ロゴはリスの素早い動き、エンブレム内のリスの尻尾に見立てた盾形は堅守とバランスの表現)[9]。大宮はピム・ファーベークと三浦俊也が構築したトータルフットボールを主軸にしていたが2005年からのJ1では堅守速攻を主軸にし、2014年にJ2降格となるまで堅守速攻で戦い抜き、トータルフットボールの組織力を組み合わせた堅守速攻が大宮の伝統として確立したが2014年より頻繁にスタイルが変わり続けている。2021年シーズン中断期間後初戦 第24節 新潟戦にて5年以来となる伝統の守備重視の4-4-2 堅守速攻が使用された[10][11]。堅守速攻の中でも特に守備を徹底した監督はズデンコ・ベルデニックであり、アトレティコ・マドリードのディエゴ・シメオネが使用する4-2-2-2の強固ブロックも採用した[12][13]

クラブマスコットはリスがモチーフのアルディとミーヤで、仲良しのカップルという設定であり、1998年にアルディ、2008年にミーヤが登場し、2009年に公式マスコットとして認定され、2012年よりゆる玉応援団のメンバーとなっている[1][5][14]

アカデミー(育成期間)は大宮アルディージャユース・大宮アルディージャジュニアユース・大宮アルディージャジュニア、姉妹チームは大宮アルディージャVENTUSが存在する。

同じくさいたま市がホームタウンの浦和レッズとのダービーマッチ「さいたまダービー」が存在する。

フットボールビジョンとスタイル[編集]

2022年度より攻守共にひたむきにハードワークして走り勝つ堅守速攻サッカーを提唱し、フットボールビジョンとスタイルを制定している[15]。フットボールビジョンは「ひたむきを体現して、観ている人に感動が伝わるサッカー」、スタイルは「攻守において躍動感、一体感を持ち、2点取って走り勝つサッカー[15]

大宮氷川神社との関係性[編集]

大宮アルディージャは大宮氷川神社と氷川信仰との関係性を持つ神聖なクラブであり[要出典]、大宮アルディージャのクラブカラー オレンジとネイビーは大宮氷川神社の色である。大宮アルディージャのホームスタジアム さいたま市大宮公園サッカー場(呼称:NACK5スタジアム大宮)は大宮氷川神社に隣接している。大宮アルディージャは大宮氷川神社の御加護を受けたクラブであり[要出典]、大宮氷川神社のお守りと御朱印帳に大宮アルディージャ柄があり、参拝や祈願を行っている[16][17][18][19][20][21][22][23]

川崎フロンターレとの縁故[編集]

大宮と川崎フロンターレは1999年度に同時にJリーグに参入し、2004年度に同時にJ1昇格が確定した縁故があり、ライバル関係とされている[24]。クラブ同士のスタイルは正反対であり、大宮のスタイルが堅守速攻とバランスであることに対し、川崎のスタイルは開拓精神的な攻撃的ポゼッションフットボールである(大宮は年度によっては攻撃的なポゼッションフットボールを採用することもある)[9][25][26][27]。2016年度 2nd第12節 川崎戦では大宮・川崎間の選手同士・サポーター同士のトラブルが発生し[28][29]、更に大宮の中心選手 家長昭博が川崎へ移籍(家長の大宮移籍後初ゴールは2014年度 第3節 川崎戦であり同時にJ1通算17500ゴールとなった)。2017年度最終節 第34節 川崎戦(家長出場)では5-0で大敗し、この試合で川崎のリーグ初優勝と大宮のJ1最下位によるJ2降格が確定(2017年度開幕戦の対戦クラブも家長出場の川崎)[30][31][32]。大宮監督 石井正忠にとっては前年2016年度は鹿島を優勝させレアル・マドリード戦にて世界2位を記録したことに対し、2017年度はリーグ優勝チーム戦での大敗・最下位によるJ2降格という正反対の結果となった[30][31][32]。2021年度は大宮がJ2最下位になったことに対し、川崎はJ1首位で大宮の2012-2013年のJ1通算21試合連続無敗記録を更新[33][34][35][36]。2021年度終了後に2019・2020年度に川崎所属であり2021年度大宮J2残留の原動力となった馬渡和彰が浦和レッズへ移籍。

Jリーグ参入前[編集]

1969年に埼玉県浦和市を本拠地とした電電関東サッカー部が設立され[1]、1985年に日本電信電話公社の民営化により日本電信電話 (NTT) が発足した後はNTT関東サッカー部へと改名し、1987年-1992年に日本サッカーリーグ2部に、1993年からはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に在籍。

1997年に佐々木則夫が監督に就任後、紆余曲折を経てチームのプロ化を決定し、1998年には本拠地を誘致のあった埼玉県大宮市に移して、チーム名を「大宮アルディージャ」に改める。同年7月に佐々木が監督を退任し(普及強化部長に異動)、後任にピム・ファーベークを招聘、トータルフットボールを組織力を重視した。

同年12月には東日本電信電話(NTT東日本)を中心としたNTTグループ・関連企業18社の出資による運営会社「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された[1][注 1]。1999年のJリーグ2部制導入に合わせて、旧JFLから新たにJリーグに参加した8クラブの一つとなる。

1999 – 2004(J2)[編集]

1999年
ピム・ファーベーク体制2年目。序盤は首位争いをしていたが、得点源賭して牽引役となっていたFWヨルン・ブーレが5月に深夜に暴漢に襲われ左眼失明の重傷を負って引退すると失速し、最終順位は6位。ピム・ファーベークはこの年限りで退任。
2000年
ファーベークの後任に三浦俊也が監督に就任。浦和がJ2に降格したこともあり、この年初めてリーグ戦でのさいたまダービーが行われた。
2001年
三浦体制2年目。第11節から12連勝(延長Vゴール勝ち3試合を含む)、第8節から17戦無敗を記録するなど、前半戦を17勝(うちVゴール勝ち4)3分2敗の勝点50、2位京都に勝点差5の首位で前半を折り返すと、後半はFWジョルジーニョとパナマ代表のFWバルデスが重傷を負い得点力が低下、新加入のFWバレーが活躍したもののチームは不調に陥り、後半戦では9勝(うちVゴール勝ち2)3分10敗で負け越しとなり、最終的に年間勝点78の5位に終わった。この年限りで三浦は辞任。
2002年
三浦の後任にヘンク・デュットが監督に就任するが、年間を通じて4糸8位の間を行き来する順位となり、1度も昇格圏内に入れずに最終順位6位。
2003年
菅野将晃が監督に就任し、シーズン序盤は6戦負け無しで一時2位に浮上するが、その後は昇格圏に上がれず、10月には菅野が退任しゼネラルマネージャーだった清雲栄純が監督に就任。最終的に前年同様の6位に終わる。
2004年
3シーズンぶりに三浦俊也を監督として招聘。
シーズン前半は一時8位に沈むときもあったが、第19節から6戦負け無し(5勝1分け)で2位に浮上すると、第32節からはシーズン終了まで13連勝を果たし、この年独走した川崎を捉えることは出来なかったものの、シーズン2位で初のJ1昇格を果たした。

2005 – 2014(J1)[編集]

2005年
クラブスローガン「「Departure」→走り出す大宮→」。
三浦俊也体制2年目。元ブラジル代表FWクリスティアンや日本代表MF藤本主税などを補強したがシーズン中のクリスティアンの移籍や故障者続出によりチームは不調に陥り、第28節時点で16位に下がったが、レアンドロや若林学の活躍により第29節より4連勝し最終順位13位。ナビスコ杯ベスト8で天皇杯ベスト4。
2006年
クラブスローガン「OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂」。
三浦体制3年目。各ポジションに選手を補強するも外国人選手が機能せず、最終順位は12位。
2007年
クラブスローガン「シンカ ~進化、真価、深化」。
1999年まで監督を務めたピム・ファーベークの弟・ロバート・ファーベークが監督に就任。
シーズン前半で16位となりファーベークが退任し、強化育成部長の佐久間悟が監督に就任したがチームは不調が続き最終順位15位で辛うじてJ1残留を果たす。
2008年
クラブスローガン「シンカ NEXT~進化、真価、深化」。
三浦の監督退任時からオファーを出していた山形元監督の樋口靖洋が監督に就任。攻撃的なサッカーを志向し、第5節から5戦負け無し(3勝2分)など上位に食い込む兆しを見せ第14節時点では7位につけたが、そこから4連敗を含む5試合未勝利と低迷、その後連勝するも第24節からは5戦連続無得点を含む6連敗を喫し降格圏の17位にまで沈む。リーグ終盤再び5戦負け無し(3勝2分)となって最終的には12勝7分け15敗の12位でシーズンを終えた。同年限りで樋口は退任となった。
2009年
クラブスローガン「橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009」。
監督に東京Vや札幌で指揮経験のある張外龍を招聘。
5戦負け無し(2勝3分)でスタートを切るものの、開幕当初から主将のMF小林慶行をはじめとしてケガ人が続出したことが響いて第6節からの8試合で4連敗を含む1勝2分5敗と低迷。そこからも苦しい試合が続くが、3連敗を喫しないなど辛うじて降格圏を免れ、ラスト3試合を引き分けて13位でシーズンを終えた。
2010年
クラブスローガン「橙想心 より強く、より高く、より深く」。
張体制2年目。塚本泰史が右大腿骨の骨肉腫を患っていたことが判明。
開幕戦を勝利するも、そこから7試合未勝利(2分5敗)とチームが17位に低迷し、張が監督を退任。後任に元新潟監督の鈴木淳を招聘するとチーム状態は上向き、第15節から5戦負け無し(3勝2分)となるなどチーム状態は回復の兆しを見せ、第27節からの終盤8試合を4勝3分け1敗で乗り切ったこともあり、11勝9分14敗の12位でシーズンを終えた。
なお、この年の10月2日の浦和戦で観客数の水増しが発覚。クラブ側は当初全面否定したが、翌日にリーグ事務局による本格調査が入ると一転してこれを認め、その後の調査で2007年11月以降の主管58試合で各試合4,000人以上、合計111,737人の水増しが行われていたことが明らかになった[37]。10月19日には代表取締役の渡邉誠吾が辞任し、11月16日には日本プロサッカーリーグより譴責(始末書提出)と制裁金2,000万円の処分が課せられた[38]
2011年
クラブスローガン「上昇宣言 ~リスの木登り~
鈴木体制2年目。東日本大震災の影響でレギュレーションが変わる中、連勝も連敗もない(第8節から4試合無敗、第14節から3試合未勝利はあり)という順位表の注意を彷徨う星取りで前半を推移したが、後半戦に入ると第18節から3連敗を含む5試合未勝利(2分3敗)、さらに第19節からも5試合未勝利(3分2敗)と15位まで順位を下げる。しかしそこでなんとか踏みとどまり、最終的に10勝12分け12敗の13位でシーズンを終える。
2012年
クラブスローガン「上昇宣言2012 ~リスの木登り~
鈴木体制3年目。現役復帰を断念した塚本泰史が大宮アンバサダーに就任し、7年間在籍したMF藤本主税が熊本に移籍。
前年同様開幕時から連勝・連敗のない星取りだったが、第12節からの連敗で4勝3分け6敗の15位に沈むと監督の鈴木とヘッドコーチの石井知幸を解任。後任に元スロベニア代表代表監督で千葉などでも監督を務めたズデンコ・ベルデニックを監督として招聘し(7年ぶりの日本復帰)、ユーズコーチの井上卓也をヘッドコーチに昇格させる。
ベルデニックは守備の再整備と戦力の見直しに着手。最前線からの守備を徹底し、中盤を詰めてチームをコンパクトに保つ守備陣形のトレーニングを積み重ね、夏の移籍期間に絶対的エースだったFWラファエルを移籍させる一方で、スロベニア代表のFWズラタンとFWノヴァコヴィッチを獲得する[12]。ベルデニックは「短期間でチームに自分のサッカースタイルを浸透させた」(金澤慎談)[39]ものの、どちらも着任当初はすぐに効果が出ず、就任後10試合で2勝2分6敗と低迷し降格圏の17位にまで沈む[12]が、9月に入って最初のゲームである浦和とのさいたまダービーで数的不利の状況から追いついて引き分けに持ち込む[39]と、そこからのリーグ戦11試合を5勝6分の無敗(この間複数失点0[12])とし、11勝11分12敗の13位でシーズンを終える。
2013年
クラブスローガン「大宮共闘
ベルデニック体制2年目。前年から引き続き中盤をコンパクトにした4-4-2 (4-2-2-2)の布陣を敷き[12]、選手全員が最前線からハードワークしてボールを奪いシンプルにFWにつなぐスタイル[39]が浸透。前線こそ曺永哲、ズラタン、ノヴァコヴィッチと各国代表クラスの選手が並ぶものの、日本代表経験のない選手らを中心としたハードワークで勝ち星を積み重ね[12]、劇的な試合展開もありながら[39]、第4節からの7連勝を含む10戦無敗(8勝2分)、前シーズン終盤から通じて21戦無敗という、当時のJ1リーグ無敗記録(それまでの記録は2009年に鹿島が記録した17試合無敗[12])を更新した。
その後仙台相手に初黒星を喫した後も1杯をキープしたまま前半戦の終盤を迎えるが、真夏が近づくにつれハードワークを要求される大宮の選手たちの疲労が蓄積し、選手の間からもハードな練習メニューに対する不満の声が聞かれるようになった[40]。そして前半戦折り返しの第17節で川崎に逆転負けで3敗目(シーズン初の連敗、ホーム無敗記録も13でストップ)を喫して首位から陥落すると、クラブはこの年ヘッドコーチについていた小倉勉をテクニカルディレクターに異動させてベンチメンバーから外して立て直しを試みる[40]が、さらに連敗を重ねた結果、8月11日にベルデニックを解任[40]、岡本武行GMの代行指揮1試合を挟んで小倉が後任監督に就任した。しかしその後も浮上のきっかけはつかめず、第24節の横浜FM戦を挟んで都合2度の8連敗を喫して失速。第33・34節で連勝するが、結果的に14勝3分17敗の14位でシーズンを終えた。シーズン終了後、GMの岡本と強化部長の古矢武士が退任した。
2014年
クラブスローガン「大宮共闘
監督として元FC東京監督の大熊清を招聘。海外でプレーしていた家長昭博を完全移籍で獲得するなど戦力の補強を進め、第4節終了時点では2勝2敗の8位とするが、そこから4連敗を含む7戦未勝利(3分4敗)となって降格圏に低迷。その後FC東京戦に勝利するが、そこから再び未勝利となり、ワールドカップによる中断期間を挟んで10戦未勝利(4分6敗)となった第22節終了後の8月31日に大熊を解任。コーチを務めていた渋谷洋樹が監督に就任し、そこからの6戦で5勝1敗と持ち直し一時は降格圏を脱出するものの、第29節からの5戦未勝利(1分4敗)で再び降格圏に沈み、最終節で勝利したものの、残留を争っていた清水が引き分けたために勝ち点で1及ばず、10年間守り続けたJ1の座から下りることとなった。。

2015(J2)[編集]

クラブスローガン「挑む 頂点へ、未来へ」。

渋谷体制2年目。2012年度に期限付き移籍加入であった河本裕之が完全移籍加入し、播戸竜二・大屋翼・加藤順大・塩田仁史・清水慎太郎・横谷繁などを補強。

渋谷はコーチとして師事した初代監督のピム・ファーベークが目指したような、GKを含めた「自ら仕掛けて、つないでいく」ポゼッションスタイルを志向[41]。MF家長昭博を前年途中加入のムルジャと共に最前線に配置し[42]、得点力を大幅に向上させることに成功。序盤はスタートダッシュに失敗したがその後はチームが安定していき第15節に首位に立つとそこから首位を一度も譲ることなく勝利を積み重ね、第29節から4節未勝利(1分3敗)、連勝の後第35節から再び4戦未勝利(2分2敗)と磐田や福岡に迫られる展開となるも。最終的に第41節のホーム大分戦で0-2からムルジャの2ゴールと家長の逆転PKで勝利し、J2優勝と1年でのJ1復帰を決めた[43]

2016 – 2017(J1)[編集]

2016年
クラブスローガン「挑む より高みへ、未来へ
渋谷体制3年目。「勝ち点48」「年間順位7位から12位」を目標に掲示し、江坂任などを補強。前年と同じ4-4-2の布陣ながらも、それまでのポゼッション重視から最前線からボールを奪いに行きカウンターでは積極的に人数をかけるというディエゴ・シメオネ率いるアトレティコ・マドリードにも似た堅守速攻スタイル[13]に変えて勝ち星を積み重ね、2シーズン制の1stステージは5位、2ndステージ第11節の広島で残留を確定させ、次の川崎戦での勝利によりクラブJ1最高の勝ち点46以上が確定した[注 2]。さらに2nd第14節の鹿島戦での勝利(過去未勝利のカシマサッカースタジアムでの初勝利)により目標の「勝ち点48」を越える勝ち点50を達成。最終年間順位はクラブ過去最高の5位となった。
Jリーグカップでは予選トーナメント2位により2005年以来の決勝トーナメント進出となり、前回進出時と同様に横浜FMとの準々決勝ではホームの第1戦は勝利、アウェーの第2戦は敗北し、アウェーゴールで劣るために準々決勝敗退となった。
天皇杯では2005年以来2度目のベスト4まで勝ち上がったが川崎に敗北。
2017年
クラブスローガン「挑む ~より強く、未来へ。~
渋谷体制4年目。前年までの主力となっていた家長昭博が川崎に、泉澤仁がG大阪に移籍したが、2017年のエースだったFW大前元紀と期限付き移籍在籍のマテウスが完全移籍加入。
この年は前年度の堅守速攻重視から2015年度のポゼッション重視にスタイルを戻したが開幕より6連敗で最下位に沈み、清水戦を引き分けてシーズン初勝ち点を挙げるも、続くG大阪戦では6失点の大敗。続く浦和戦(さいたまダービー)にてシーズン初勝利を挙げるがチームは不調を脱することが出来ず、13節柏戦終了後の5月28日に監督の渋谷とヘッドコーチの黒崎久志を解任、コーチの伊藤彰を監督に、海本慶治をヘッドコーチに昇格させた。
伊藤はフォーメーションを4-1-4-1に変えてポゼッションスタイルを継続しながら選手間の流動性を増し、1トップに据えた江坂任が得点を増やす状況も見られ[46]て一時は降格圏を脱出するが、シーズン中断期間に補強したカウエ・マルセロ・トスカーノ・キム・ドンスといった外国籍選手が機能せずチームは再度降格圏に沈み、残り3節となった11月5日に監督の伊藤と強化本部長の松本大樹の退任を発表、後任監督に5月まで鹿島の指揮を執っていたNTT関東出身の石井正忠を招聘し、スカウト担当だった西脇徹也が強化本部長に就任することを発表した[10]
石井は就任会見時に涙を浮かべ、残留のためにポゼッションから堅守速攻へとスタイルを緊急変更した[10]が、32節仙台戦と、ホーム最終戦となった33節甲府戦を共に落とし、1試合残してのJ2降格が決まった[47]

2018 -(J2)[編集]

2018年
クラブスローガン「ONE 勝利のために
石井体制2年目(スローガンは石井を中心に考案された[48])。原崎政人・大塚真司・藤原寿徳・大塚慶輔がコーチに就任。岩上祐三、江坂任、瀬川祐輔、大屋翼、高瀬優孝、長谷川アーリアジャスール、播戸竜二、松井謙弥、和田拓也が完全移籍で、黒川淳史、清水慶記、藤沼拓夢、山田陸が期限付き移籍でチームを離れる一方、笠原昂史、酒井宣福、嶋田慎太郎、ロビン・シモヴィッチ、富山貴光、中村太亮、三門雄大が完全移籍加入し、佐相壱明が新加入、奥抜侃志がユースから昇格した。
石井は4-4-2を基本戦術とし[49]開幕前からそれまでの渋谷・伊藤時代にあまり見られなかったサイド攻撃を意識させた練習を繰り返し、DFの裏を狙うなどシンプル且つアグレッシブに攻めるスタイルを確立しようとする[50][51]。開幕当初は特に守備面で選手間の連携構築に時間がかかった[52]こともあり第9節終了時点では2勝1分5敗と黒星が大きく先行し、19位まで順位を落とす。一方で攻撃面では大前元紀を軸としてシモビッチまたは冨山を配置した2トップが徐々に功を奏し、第10節から第12節まで3連勝しシーズン初の連勝を記録する。守備面でも三門と大山啓輔のダブルボランチが攻守をオーガナイズできるようになる[53]と、第16節からは第23節まで8戦負け無しを記録するなど好調さを取り戻し、順位を徐々に上げていき、J1昇格プレーオフ圏を狙える順位となる。迎えた最終節、7位大宮はアウェイで岡山に数的不利の状況から勝ち越しに成功し、引き分けた5位東京V・6位福岡を逆転して5位でJ1参入プレーオフに進出を決める。しかし、プレーオフでは1回戦で東京Vに0-1で敗れ、1年でのJ1復帰とはならず、この年限りで石井が退任した。
大前が24得点でリーグ得点王に輝き、チーム総得点も65と大分・千葉に続くリーグ3位となる一方、失点48(11番目、優勝した松本を14点下回る)と守備面での課題が浮き彫りになったシーズンであった。
2019年
クラブスローガン「121%ORANGE
前長崎監督の高木琢也を監督に招聘。大規模改革や人事異動などは行われずにコーチ陣は続投し移籍も少数に留まった。
金東秀、マルセロ・トスカーノが契約満了で、加藤順大、マテウス、横谷繁が完全移籍で、清水慎太郎が期限付き移籍でチームを離れ、藤沼拓夢、山田陸は引き続き期限付き移籍。一方で、前年夏から期限付き加入していた畑尾大翔が完全移籍で残留、石川俊輝、フアンマ・デルガドを獲得したほか、小島幹敏と清水慶記が期限付き移籍から復帰、小野雅史が新加入、吉永昇偉がユースから昇格した。
高木は大宮が長年採用した4バックではなく3バックを採用、3-4-2-1を基本フォーメーションとした[54]。3バックへの変更によりサイド攻撃が減少しカウンターによる中央攻撃が多くなり、前年度よりもポゼッション比率が減少[55]
序盤4試合は1勝1分け2敗とスタートダッシュとは行かなかったものの、第5節水戸戦から第20節金沢戦までの3ヶ月間で5連勝を含む16戦無敗(8勝8分)を記録し上位争いを演じる。第29節から4戦未勝利(2分2敗)となって6位にまで後退するが、第33節から3連勝して再び上位争いに食い込むも、その後のラスト3試合を引き分けて2位の横浜FCを捉えることは出来ず、3位でJ1参入プレーオフ出場となった。しかし、J1参入プレーオフ1回戦にて山形と対戦し、後半の2失点で敗北。
2020年
クラブスローガン「WIN☆WIN」。
高木琢也体制2年目。原崎政人と藤原寿徳がコーチを退任し北嶋秀朗と松本拓也がコーチに就任。開幕前からシーズン終了までの入団選手は19名に上り、開幕前退団選手においては主将・エース・背番号10番を兼任していた大前元紀を始め、得点源のフアンマ・デルガド・ベテラン選手・成績不振の選手を放出し、合計17名の大量放出となった。基本フォーメーションは3-4-2-1を継続しポゼッションも取り入れた[56]
開幕4連勝とスタートダッシュを決めるものの、その後徐々に成績を落とし第9節福岡戦から7戦勝ちなし(2分5敗)に陥り13位へ後退、イバを補強したが、その後も1勝3分2敗と調子は上がらず15位で前半戦を終える。後半戦は2連勝でスタートするも、第24節東京V戦から再び7戦勝ちなし(5分2敗)に陥り、第28節終了時点で17位まで後退する。怪我人も続出し、他チームへの期限付き移籍中選手を呼び戻すなどの緊急補強が行われたが、終ぞ成績は上向かず、最終順位はクラブ最低のJ2 15位に終わった。
2021年
クラブスローガン「SHOW 勝つ、笑う、昇格する」。
森正志が代表取締役を退任、2月1日付で佐野秀彦が代表取締役に就任、岩瀬健が監督に就任。岩瀬の監督歴は約2ヶ月であり開幕前からの指揮は初経験となった。メディアからは「変革」のシーズンと評され、岩瀬は「勝利」を強く提唱しフォーメーションを大宮の伝統4バックへ戻し、岩瀬の前所属大分的なポゼッションとカウンターの二枚刃を武器にした攻撃的戦術を採用したが[57][58]、自陣内ポゼッションが多くなり岩瀬の志向する能動的なサッカーが機能しなかった。第5節長崎戦にて4-0で勝利、第6節琉球戦にて引き分け、第7節秋田戦にて引き分けたが最下位に転落し、クラブ側が緊急声明を発表する事態となった[59]
第15節北九州戦にて10試合連続未勝利となり5月25日に岩瀬が監督、西脇徹也が強化本部長を退任。大宮トータルアドバイザー・VENTUS総監督の佐々木則夫が期間限定で監督に就任しJリーグ参入後の大宮トップチームの20人目監督となった(佐々木はJリーグ参入前の大宮トップチームにて監督経験があったが、Jリーグ参入後の大宮トップチームの監督就任は初経験となった)。秋元利幸が強化部長代理に就任し、代表取締役 佐野自らが本部長と強化部長を兼任する事態となった[60]。新強化部と新監督による体制強化が宣言され、前年度までの体制と比較して代表取締役・強化部・監督が総替え・一新されることになった[60]。佐々木は「能動的に試合を進める理想的なサッカー」から「現実的なサッカー」への転換を提唱し前パスへの意識や球際に注視した[61][62]。佐々木は就任早々チーム再建に着手し、前への意識を出すことや声掛け徹底などの基本基礎的な部分からチーム再建を始めた[62]。選手には自身を「佐々木監督」ではなく「ノリさん」と呼ばせ選手との親近感や交流を重視した[61][62]。5月28日に2020年度クラブ経営情報が先行発表され大宮が全J2クラブ営業収益1位となった(全Jリーグクラブ中12位)[63][64]。6月7日に霜田正浩の監督就任を発表、霜田は「魂を込める」「ファイト」「デュエル」という言葉を用いてチャレンジャーとしてアグレッシブ・強気に相手に向かっていく精神・躍動感・ハードワークを提唱[65][66][67][68]。6月9日の天皇杯2回戦千葉戦にて、佐々木は三門雄大をベンチキャプテンに指名したが[66]1-0で敗戦、佐々木体制は全敗で終了した。その後、6月11日に主将を渡部大輔から三門へ変更した。
霜田体制初陣となった第18節栃木戦にて4-1-2-3を使用し引き分け、第19節松本戦にても引き分け、リーグ戦と天皇杯を含めて通算15試合未勝利となった。6月23日に北嶋秀朗のヘッドコーチ就任を発表。第20節山口戦にて黒川淳史がシーズン初得点を決め16戦ぶりに勝利[69]。7月29日に3月決算クラブを含めた2020年度クラブ経営情報が正式発表され5月28日の先行発表と同様に大宮が全J2クラブ営業収益1位となった[70][71][72]。シーズン中断期間に補強した南雄太と河田篤秀がシーズン後半に活躍し、霜田の提唱するアグレッシブさや躍動感を基軸に活力や勢いを徐々に取り戻していったが失点が増加。第27節松本戦にて、復帰した菊地俊介を4-2-3-1の司令塔に起用し勝利し、第28節東京V戦にても菊池を司令塔に起用し2連勝、シーズン初連勝し降格圏より脱出したが、第34節千葉戦より菊池が離脱すると4-4-2の使用が増加。10月22日に河本裕之の2021年度限りでの引退を発表。第41節町田戦まで1勝のみの苦戦が続き、再度降格危機に立たされた。12月1日に2007年より約14年間在籍したフットボール本部育成部長中村順の契約満了を発表した。
霜田体制初戦よりDFよりビルドアップするポゼッションフットボールを使用していたが、対戦相手のカウンターアタックにより失点することが多く降格の危機に立たされた。最終6試合は手堅く現実的な堅守速攻サッカーへの転換によるJ2残留を目指し[73]、第42節群馬戦にて7試合ぶりの勝利を挙げJ2残留が確定した。前年に記録したクラブ最低順位のJ2 15位を下回る16位でシーズン終了、降格した19位相模原との勝点差は僅か「4」であった。試合終了後にクラブは声明を発表し「シーズン当初に掲げたJ1昇格という目標とはかけ離れた最終節まで残留が決まらないシーズンになり、この悔しい現実をしっかりと受け止めて2022シーズンはクラブ全体で甘い部分を全て捨てる覚悟で臨み、2022シーズンは強くて魅力的なクラブになるために大宮アルディージャは歴史的な変革へ踏み出す覚悟である」こと、「J1時代の仕様が多く残った体質や継続主義を変え、筋肉質なクラブを目指し、聖域なき選択と集中・大胆な廃止を行い、最適化されたコストバランスによりひたむきにクラブの成長を目指し、攻守においてハードワーク・走り切るサッカースタイルに取り組み、事業面ではこれまでクラブ独自に取り組んできたチケットシステム・グッズ販売・スマートスタジアム事業を見直してJリーグIDを基軸としたサービスへ移行し、変革へ覚悟を持ってチャレンジする」と大宮の変革を表明し、霜田は「今年の悔しさを絶対に忘れず、新しい大宮アルディージャを作っていかなくてはならなく、魂の伝わる試合をしたい」ということを語り、主将の三門は試合後のインタビューにて涙を流した。河本の引退セレモニーでは三浦知良よりビデオメッセージが送られ、霜田の監督続投と秋元の強化部長就任を発表[74][75][76][77][78][79]。12月6日に霜田の会見が行われ、「山口時代のつなぐサッカーは自己満足だった。最後の6試合はリスクを考えて(現実的な堅守速攻サッカーに)変えた。膿が溜まっているし、原因がわからないから膿は溜まる。まっとうなクラブにしていきたい。選手のクオリティだけでは勝てない。クラブの格やスポンサーの多寡とかも関係なく、松本がJ3に落ち、秋田はあれだけやれている。クラブの中で何が起きているか。それが順位に反映されている」と語った[73]
2022年
クラブスローガン「ひたむき」。
霜田正浩体制2年目。2021年最終戦後の変革についての声明に続き、新年の挨拶にて代表取締役佐野秀彦が大宮の変革を再度表明し、前年度は報道機関に「変革のシーズン」と評されていたが2022年度は本格的・公式的に変革に乗り出すこととなった[80]
河本裕之、ユースを含めて2002年より約20年間在籍した渡部大輔、黒川淳史、イバ、翁長聖、笠原昂史、河面旺成、櫛引一紀、フィリップ・クリャイッチ、ネルミン・ハスキッチ、松田詠太郎、馬渡和彰、約12年間大宮に在籍したコーチの大塚真司、23年間在籍したGKコーチ渡邉英豊など多くの主力選手や長期在籍スタッフが退団し、クラブ最高開幕前退団選手数22名を記録(期限付き移籍や期限付き移籍中選手の移籍などを含む)。一方で、前年度主将の三門雄大、河田篤秀、中野誠也、菊地俊介、奥抜侃志、小野雅史、小島幹敏、柴山昌也、西村慧祐などの主力選手が契約更新し、2016年度まで大宮に所属していた泉澤仁や元日本代表矢島慎也が完全移籍で加入。スタッフでは、秋元利幸が強化部長、2019年に大宮にて引退した金澤慎がコーチに就任した。大宮は毎年豊富な資金力で外国籍選手を揃えていたが方針転換、クラブ初の外国籍選手開幕時無在籍のシーズンとなり、霜田は「強い大宮を取り戻すリスタートの年にしたい」と語った[81]。1月14日に2003年に大宮応援番組『Ole! アルディージャ』が『オレアル』に、約19年ぶりに改題された。1月15日の新体制発表会にて、攻守共にひたむきにハードワークして走り勝つサッカーを提唱し、フットボールビジョンとスタイルを制定した(フットボールビジョンとスタイルを参照)[15]
アカデミー
記録
(入場者数の上段は水増し発覚後である2010年J1第25節以降の数値で、下段は水増し発覚前である2010年J1第24節以前の数値。)
項目 数字 時期 対戦相手、結果、試合会場
最多連勝 13連勝 2004 J2 第32-44節
最長無敗期間 21試合 2012 J1 第24節-2013 J1 第10節(引分8試合)[注 3]
最多連敗 8連敗 2013 J1 第16-23節、第25-32節
最長未勝利期間 10試合 2003 J2 第8-17節(引分4試合)
最多得点試合 6得点 2019 J2 第22節 鹿児島ユナイテッドFC、6-0、NACK5スタジアム大宮
最多失点試合 6失点 2000 J2 第14節 浦和レッズ、0-6、大宮公園サッカー場
2003 J2 第21節 コンサドーレ札幌、2-6、札幌ドーム
2017 J1 第8節 ガンバ大阪、0-6、市立吹田サッカースタジアム
最多入場者数 29,575人 2010 J1 第25節 浦和レッズ、埼玉スタジアム2002
42,346人 2009 J1 第29節 川崎フロンターレ、埼玉スタジアム2002
最少入場者数 5,627人 2011 J1 第18節 ヴィッセル神戸、NACK5スタジアム大宮
844人 2000 J2 第35節 モンテディオ山形、大宮公園サッカー場

熊谷スポーツ文化公園陸上競技場

秋葉の森総合公園サッカー場

ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮であり、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でも不定期にホームゲームを開催する。2013年よりさいたま市西区所在の「大宮アルディージャ練習場」(さいたま市西大宮サッカー場)を練習場として使用し、クラブハウス「オレンジキューブ」を併設している[1][8]。2012年以前は志木市所在のNTT東日本総合グラウンドを使用していた。2004年3月より「大宮アルディージャ練習場」から近距離に位置する西区所在の秋葉の森総合公園サッカー場も練習場として使用している。

年度・スタジアム別ホーム試合[82]
リーグ Jリーグ杯 備考
大宮
NACK
駒場 埼玉ス 熊谷陸 その他
2001 21 0 0 鴻巣 1 大宮 1
2002 20 1 1 なし 不参加
2003 0 2
2004 19 1 J1昇格
2005 5 2 8 3 大宮 1
埼玉ス 2
駒場 1
熊谷陸 1
大宮は当時J1規格外であったため試合数を制限し、
埼玉スを事実上準本拠地とした。
2006 10 5 2 駒場 3 大宮改修のため駒場が暫定本拠地。
2007 2 13 2 1 10月まで駒場を暫定本拠とし、11月よりNACKに本拠復帰した。
2008 16 0 0 NACK 2
熊谷陸 1
2009 13 3 NACK 3
2010 15 1
2011 16 0 NACK 1
2012 0 NACK 3
2013
2014 J2降格
2015 20 不参加 J1昇格
2016 16 NACK 4 当初Jリーグ杯グループリーグはNACKで5試合を行う予定だったが、
FC東京のACL本戦出場のために1試合減少した
2017 NACK 3 J2降格
2018 20 不参加
2019
2020 21 0
2021

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) オレンジ ネイビー ネイビー
FP(2nd) ホワイト ネイビー ホワイト
GK(1st) ネイビー ネイビー ネイビー
GK(2nd) オレンジ ホワイト オレンジ
GK(3rd) 水色 ネイビー 水色

クラブカラー[編集]

  •     オレンジ、    ネイビー

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
NTTドコモ NTT
docomo
2007年 – 2000年 – 2006年は背中上部
2006年9月 – 2007年はパンツ
表記変遷は後述を参照。
鎖骨 武蔵野銀行 武蔵野銀行 2018年 – 両側に掲出
2012年 – 2016年はパンツ
2016年7月 – 2017年は背中下部
2018年は鎖骨左のみ
背中上部 東日本電信電話 NTT東日本 2007年 – 1999年7月 – 2006年は胸
2004年 – 2006年は「FLET’S」表記
2007年 – 2014年は「FLET’S 光」表記
背中下部 しまむら しまむら 2018年 – 2017年はパンツ
富士薬品


2005年 –
パンツ前面 武蔵コーポレーション 武蔵コーポレーション 2020年 –
パンツ背面 インバースネット FRONTIER 2022年 –

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

歴代ユニフォーム[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

  • 2018年鎖骨右には、クラブ創設20周年記念ロゴが掲出されていた
損益
営業収益 営業費用 営業利益 経常利益 未処分
利益
税引前
利益
法人税
住民税等
純利益 出典
総営業
収益
広告料 入場料 配分金 育成
関連
物販 その他 総営業
費用
事業費 人件費 試合
関連経費
トップ
運営経費
育成
運営経費
女子
運営経費
物販
関連費
販売費 一般
管理費
総営業
利益
営業外
収益
営業外
費用
総経常
利益
特別
利益
特別
損失
2005 2,242 1,359 311 256 316 2,232 1,648 584 10 9 -188 2 2005
2006 2,376 1,470 254 231 421 2,518 2,041 1,246 477 -142 141 -146 2006
2007 2,842 1,960 305 248 329 2,840 2,403 1,384 437 2 0 8 2007
2008 3,059 2,165 324 228 342 3,046 2,591 1,565 455 13 1 -2 2008
2009 3,553 2,396 379 220 558 3,546 3,090 1,954 456 7 6 0 2009
2010 3,308 2,286 375 427 3,290 2,802 1,850 488 18 0 -1 2010
2011 2,775 1,924 325 218 150 158 2,770 1,314 313 354 61 0 728 5 2 6 1 0 1 2011
2012 3,344 2,172 329 208 143 492 3,348 1,787 288 387 59 827 -4 12 7 1 0 2012
2013 3,228 2,296 341 214 142 235 3,226 1,606 226 472 68 854 2 9 10 2013
2014 3,422 2,405 347 205 164 301 3,423 1,720 207 561 67 868 -1 20 8 11 11 2014
2015 3,005 2,183 315 100 157 250 3,003 1,360 204 496 63 880 2 12 14 -0 0 -1 2015
2016 3,203 2,077 398 216 174 165 173 3,194 1,411 229 487 73 142 852 9 3 12 -0 2016
2017 3,685 2,296 397 445 189 138 220 3,675 1,792 252 548 80 99 904 10 2 8 4 4 2017
2018 3,972 2,611 339 282 189 156 395 3,965 1,915 271 682 78 107 912 7 1 8 0 0 2018
2019 3,454 2,464 332 151 215 129 163 3,458 1,547 272 625 78 96 840 -4 15 11 2019
2020 3,034 2,452 96 152 162 85 87 3,046 1,300 254 315 87 98 992 -12 20 8 -0 -0 -0 2020
資産
(金額の単位は百万円。)
資産 負債 資本 出典
総資産 流動資産 固定資産 総負債 流動負債 固定負債 純資産 資本金 資本剰余金 利益剰余金
2005 753 602 151 100 2005
2006 612 608 4 335 2006
2007 1,044 1,031 12 327 2007
2008 1,015 1,004 11 328 2008
2009 661 650 329 2009
2010 441 430 10 2010
2011 976 409 567 966 920 46 240 -330 2011
2012 1,505 414 1,091 1,494 853 641 11 -329 2012
2013 1,236 324 912 1,225 587 638 2013
2014 1,155 383 772 1,145 494 651 2014
2015 1,184 431 753 1,174 523 10 2015
2016 1,310 412 898 1,299 645 654 11 2016
2017 1,670 642 1,028 1,659 981 678 2017
2018 2,722 1,862 860 2,711 2,031 680 2018
2019 1,512 701 811 1,501 827 674 2019
2020 1,351 590 761 1,340 667 673 2020
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注釈[編集]

  1. ^ 法人設立当時は持株会社移行前で日本電信電話(NTT)本体が株主だったが、1999年7月の持株会社移行後はNTT東日本が親会社となった
  2. ^ この試合で大宮・川崎間の選手・サポーター同士のトラブルが発生している[44][45]
  3. ^ J1リーグ1位記録。この間に天皇杯で柏レイソル、ナビスコ杯でジュビロ磐田とヴァンフォーレ甲府に負けている
  4. ^ 1999年7月1日付を持って持株会社移行。それに伴い7月以後の試合はNTTのロゴをNTT東日本に変更している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]